2.腹筋と再会
「あのさぁ、俺は王子だよ? 自分から挨拶もできないの?」
「申し訳ございません」
前世の記憶が甦り、息が浅くなり、反射的に謝罪の言葉を口にする。
有給をとらせてもらえず、仕事もろくに教えられないまま「できない」と馬鹿にされ、恋愛経験や趣味についても変な質問をされて、時には「教える時間がもったいない」とまで言われた。その度にため息をつかれた記憶が――。
フラッシュバックに体が震え、必死にそれを押さえ込む。
「王子の婚約者だって聞いたから期待したのに、こんな筋肉だるまなんて思わなかったよ。こんな奴と結婚したくねぇわ」
でも、この筋肉があれば私は無敵だから。
「まぁ、王子だから愛人いてもいいし、お前は硬そうだから触ってもなー……」
私は……私は――
「気が向いたら抱いてやるよ」
私は――
「なんか言えよ!ブス!」
「も、申し訳……ありません……」
彼の舌打ちに、震えを抑えきれなくなる。
「つまんねぇ」
王子は私に興味を失ったように去っていき、その瞬間、私は安堵と恐怖でその場にへたり込んだ。周りの生徒が心配そうに駆け寄ってきたが、私はうわ言のように「申し訳ありません……」と繰り返し、涙を流して震えていた。
「大丈夫?」
「……はい」
「彼、前は優しい人だったんだけどね。2年くらい前から急に人が変わっちゃって」
何が原因かはわからないけど、きっと私と同じようにその時に転生したんだ。
保健室の先生が淹れてくれたハーブティーをゆっくりと飲み込む。体は温まってきたが、足先は冷たいままだ。
「入学式はもう終わるけど、教室に行けそう?」
「あの、じょ……王子のクラスは?」
「婚約者と一緒にするわけにはいかないって、別のクラスだよ」
「そうですか……」
安堵のため息をつく。なんて情けないんだ……。あの上司を殴るために鍛えたのに、何も言えないなんて……。
これ以上ここにいると先生に迷惑がかかる。私は震える体を抑え、一礼して部屋を後にする。
「あの……大丈夫ですか?」
振り返り視線を下に落とすと、クリッとした目に茶色がかったウェーブの髪、華奢な体、ソプラノ声の少女が立っていた。
「あ、アンリちゃん!?」
思わず後ずさってしまう。私は男女問わず筋肉が好きだが、この乙女ゲームの『儚い運命』に出てくるアンリちゃんは別だ。儚げなのにモンスターに立ち向かい、攻略対象を叱咤激励する姿が本当に主人公らしくて可愛い!
「あの、私のことをご存知なのですか?」
まずい!
「ち、違って、いやー、その、可愛い子がいるなって!主席で合格したって先生も言ってたし、それで知ってて」
「まぁ!ルナ様に覚えていただけたなんて光栄です」
「え、アンリちゃんも私のことを知ってるの?」
「はい。ルナ様のおかげで命を救われたことがあるんです。兄も感謝していて、本当にありがとうございます」
深々とお辞儀され、私は慌てて止める。
「頭を上げてください。ごめんなさい、私には身に覚えがなくて……」
「当然です。ルナ様は幼い頃から人助けをされてきました。モンスターを倒してくださったおかげで、私は今ここにいます。ありがとうございます」
モンスター?確かにいくつか倒したが、アンリちゃんがその中にいたとは。乙女ゲームも全てのイベントを見たわけではないし、兄がいることも初めて知った。どこかにそんなイベントがあったのだろうか?
「あのさぁ、邪魔なんだけど」
王子の声に体が硬直する。アンリちゃんが私を庇うように前に立った。私より小さくて細いのに……情けない……!
私は王子を睨みつける。
「なんだ、その目は? 俺は王子だぞ。刃向かったらどうなるか分かってんのか?」
「お、お言葉ですが殿下……」
なんとか声を絞り出す。
「ここは公共の場です。国民の見本となる貴方が大声を出すのは……」
「あのさぁ! 俺が一番偉いの、わかる? なんで俺より下の人間なんか気にしなきゃならないんだよ!」
廊下にいる他の生徒も騒ぎに反応している。この学園には貴族も平民もいる。それなのに、そんなことを大声で言っては品が下がるというもの。革命だって起こりかねない。
しかし、そこまで言う勇気が出ず、私は口をパクパクさせるだけだった。
ふと、上司はアンリちゃんの顔をじっと、ドブのような濁った目で見つめる。
「君、すごく可愛いね。愛人……あー、じゃなくて妾にしてやるよ」
何を言ってるの?
「光栄でしょ?」
この人、どこにいてもこうなの? 大声で好き勝手に、女性を物のように扱って――。
震えている場合じゃない。止めなきゃ。
私の拳は、このためにあるんだから……!
「王子!」
アンリちゃんの声に、握りしめた拳をおろし、現実に戻る。
「光栄な申し出ですが、私は学びに来た身です。貴族籍もないため、王子の足枷となってしまいます」
アンリちゃんは深々と頭を下げた。
「じゃあ学校を卒業したら貴族籍をやるから楽しみにしてな」
王子は不機嫌そうに舌打ちし、教室へ戻っていった。
「ルナ様」
「え?」
「私のために拳を振るおうとしないでください。婚約者といえど、王家の人間に手を挙げれば罰は免れません」
「ごめんなさい……庇ってくれてありがとう」
「いえ、出来すぎた真似をして申し訳ありません」
アンリちゃんのために殴る決意はしたけれど、彼女の言う通り、殴って終わりじゃないんだ。
前世で受けた仕打ちの復讐のためにも、私はアイツを王位から引き摺り下ろさなきゃ。
図書館に行き、王位剥奪の事例を調べると、いくつかの条件が見つかった。
【反逆行為】
王が国家や王家に対して裏切り行為を行った場合。例えば、同盟国との密約や敵国への寝返り、王家の他成員に対する攻撃などが該当する。
【統治能力の欠如】
無能、もしくは精神的な問題により統治が困難と判断された場合。他の貴族や諸侯が退位を迫ることがある。
【宗教的・道徳的な問題】
宗教的な規範に反する行為が教会の破門や異端認定に至った場合、それが王位剥奪につながることがある。
【政治的圧力】
政敵や対立勢力が王を排除するために策謀を巡らせる場合。クーデターや革命によって強制的に王位が剥奪されるケースもある。
【王位継承争い】
王位の正統性を巡る争いに敗北した場合。特に継承権が曖昧だったり、複数の後継者がいる場合、他の有力者が王位を争い、結果として正統な王位継承者として認められなかったこともある。
これらの条件のいずれかにより、歴史的に王位剥奪が正当化されることがあるが、具体的な基準は国や時代によって異なる。
本で調べたこと、前世で習ったうろ覚えの歴史の授業を思い出す。
私が知っている限りでルイ16世だ。
国民の不満が爆発し、フランス革命が起こり王政の廃止、王位剥奪となった歴史的な大事件。
クーデターなので政治的な圧力のパターンだろう。
これを起こすのは時間もかかるし、犠牲も多くなるため、使いたくない手段だ。
王位継承争いも長男のため難しいだろう。子供が3人もいるが妾の子でこれを理由にするのは薄い。
そして、この世界では主人公のアンリちゃんが攻略キャラクターと恋愛を育み、
地母神の力を借りて、土地を豊かに平和をもたらすのが目的だ。
あのパワハラ上司がプレイしていないことを過程すると、
叛逆行為、統治能力の欠如、宗教的・道徳心の欠如が可能性がある。
どの条件も簡単ではないが、地母神を味方につけることで優位に立てるかもしれない。まずは地母神に助けを求めるべきだ。
図書室から出ようとすると、アンリちゃんが微笑んで待っていてくれた。
なんて健気でいい子なんだ!
地母神に会いたいと言うと、「兄が知っているかも!」と、森へ案内してくれた。
この森は私が初めて狩りに挑んだ場所だ。
結局、食べられるものを見つけられなかったが、筋肉質な獣人に魚をあげたことを思い出す。
元気にしているのだろうか?
病気は、治ったんだろうか?
筋肉、増量したかなな?
「お兄ちゃん!」
妄想から戻ると、アンリちゃんのお兄さんにしては似ても似つかず、銀髪で身長2mはあり、鋭い目つきをしていた。
なにより、なにより
すごくいい肉体をしている!!!
「妹が世話になっている」
声をかけられ、貴族の令嬢らしく礼儀正しくお辞儀をする。
自己紹介をしようと顔をあげると、身に覚えのある腹筋が目に入った。
この筋肉は――まさか、あの時の
「獣人さん?」
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