第14話 身近な尊属殺人

「ん…………あ………………………………」


 暗闇が真一文字の光に裂かれたように広がり、視界が徐々に明るくなる。

 練摩れんまは寝転がっていた。視界には木造の天井と、木の枠で装飾された和風照明が映る。先程居た居間とは、また違った部屋であった。


「あ、起きた」


 視界の端から顔を見せたのは百良ももらだった。長いもみあげを垂らしながら、練摩の顔を覗き込む。


 練摩はゆっくりと上体を起こした。その際、練摩にかぶさっていた掛布団の上からカサカサと音が鳴った。加えて、頭を乗せていた枕の方からも同じような音がする。


 見ると掛布団の上に、ふりかけのように大量のふだが乗せられていた。練摩が起きて掛布団を動かしたことで、薄い紙が擦れ合う音と共に何枚かが床に落ちた。

 次に元々頭を置いていた方を見ると、そこには風呂敷があった。何かを包むように、袋状になっている風呂敷。隙間からはみ出ていた中身は、例に漏れず札であった。


 頭からつま先まで、全身を札に包まれた状態で眠っていたのだ。


 上体を起こした瞬間に頭に鋭い痛みが走り、咄嗟に片手で頭を押さえる。



「これは……? なんで僕寝て……儀式は…………?」

「え、あんたもしかして、覚えてないの?」


 百良が困惑した声をあげる。眉をひそめ、戸惑いの色を浮かべながら練磨の顔を覗き込んだ。



 練摩は、自身が暴れたことを何一つ覚えていなかった。記憶は儀式を始め、飌奈ふうなが経を読み始めたところでプッツリと途切れていた。

 練摩が気絶した後、血に染まった素肌は拭き取られ、あお嫦影じょうえいが練摩を元の服装に着せ替えた。練摩に記憶はなく、物的証拠も周りには残っていない。



 百良は何が起きたかを言おうか、心底迷った。あのような、飌奈でなければ、鎖羅木さらぎの人間でなければ、確実に命を奪っていたであろう猛攻。

あれは練摩の意思ではなかったはずだ。封じられていた異物で体に起きた不具合にすぎない。実に、他の者が幼少期に儀式を受けた際にも、練摩のように暴れることはあった。

言った所で、練摩にただ責任感を背負わせてしまうだけではないのか。しかし、飌奈自分の母親に危害を加えたのは紛れもない事実だ。


やはり言うべきか。そう迷っていると、部屋に飌奈が入ってきた。


「良かった……目が覚めたのね」


 練摩の方を見て安堵したように微笑む。ぎこちない足取りで練摩に近づき、練摩の横で膝をついて正座する。

持っていた茶色の丸いお盆の上には湯のみが二つあり、湯気の立った緑茶が入っている。


一つを練摩に、一つを百良に渡した。

「ありがとうございます」と練摩は何度か息を吹きかけてから、湯のみに唇を当て茶を少量口に入れる。淹れたてなのかかなり熱く、舌がヒリヒリと痛みだした。その痛みも緑茶の濃厚な風味に相殺され、均衡のとれた心地よさが体に染み渡った。


「ん? お母さん、なにそれ?」


 百良は飌奈の方を指さした。飌奈は手でお盆を持ちながら、左脇に一冊の本を挟んでいた。

 小説だろうか。厚めの本であったがブックカバーなどはついておらず、かつ年季の入っているような本であったため題名が見えなかった。


「これは……ちょっと見てもらいたいものがあって」


 本を開き、パラパラとページを開く。その間に、一枚の紙のような物が挟まっていた。手のひらサイズの長方形の紙であった。



 飌奈はそれを練摩に手渡した。それは、写真であった。


 いつの写真だろうか。現代の写真と比べるとかなり画素が粗く、写っている物体の輪郭がぼやけている。カラー写真で彩度は薄く、コントラストがハッキリとしており、全体的がオレンジがかっている。写真の用紙自体も、角が曲がってシミがついている。


 飌奈は写真の一部を指さした。

 集合写真だった。どこの誰だか、練摩の知らない人々が集まって撮られた写真。

 飌奈が指さしたのは、その集合写真の隅。写真の一番右下に居た人物であった。



「何度も確認するようでゴメンね練摩くん。あなたのお父さんって、この人?」


 銀色の髪、特徴的な目元。写っていたのは確かに、練摩の父親である軈堵やがとだった。それも数日前会った時よりもよっぽど幼く、黒い学生服を身にまとっている。よく見ると写真の端、軈堵が写るそのすぐ下に《‘98 10 1》と撮影日が記載されている。今から20年以上前の写真らしい。


「この人です。間違いないです」


 練摩は確信に満ちた声で言う。飌奈は下唇を噛んだ。


「やっぱり……本当に、そうなのね」


 薄っすらと飌奈の瞳に涙の膜が張り始める。

遠い昔に馳せる懐かしさと、大切な家族の無事を確認できた安堵感で、飌柰は顔が綻んだ。


 百良も練摩の持っている写真を覗き込んだ。


「この人が練摩のお父さんねぇ。わっ、隣に居るのお母さん? 若いな~」


 軈堵の隣に写っていたのは、セーラー服姿の今より幼い飌奈であった。髪を後ろでまとめポニーテールをしている。



「この女の人だれ?」



 百良が写真を指さす。

 飌奈でない方の軈堵の隣に密着している女性が居た。右腕を軈堵の左から右肩にかけて置いている。その女性は軈堵に笑いかけ、軈堵は少々困っているような、あるいは照れているような表情を女性に対して浮かべている。


 紫色のバンダナを頭に巻いている。太い眉毛の上で切りそろえられた前髪に、顎あたりのラインで切りそろえられた後ろ髪。翡翠ひすいのように透き通った緑色の瞳が、垂れた瞼からその姿を魅せる。右目の下には、黒子ほくろが一つあった。

 桃色の着物を着こなし、天真爛漫な笑顔を浮かべる様は、天女の様に優しく、たくましさやしたたかさも感じられた。開いた口からは、ぼやけた写真でも認識できるぐらいの犬歯が伸びていた。


「綺麗な人だね」


 練摩がそう言うと「ね~」と百良から共感の声が返ってきた。


 「その人は」と飌奈が口を開いたのと同じタイミングで、部屋に入ってくる足音が一つ。



「お主らのお祖母ばあちゃんじゃよ」



 入ってきたのは左助郎さすけろうだった。相も変わらずたもとに両手を隠し、鋭い眼光を光らせている。


無響むきょうという名でな、美しく、強い女性じゃった」


 左助郎は枕の脇に、練摩と近い距離の場所に正座した。


「え、あの」


 練摩にとっては初対面である左助郎。左助郎は無論そのことを知っていたので自己紹介を挟んだ。


「初めましてじゃな。儂の名は左助郎さすけろう鎖羅木さらぎ家85代目当主にして、おぬしの……お祖父じいちゃんじゃ」


 一気に目元がすぼみ、柔らかい笑みを浮かべる左助郎。


「おじいちゃん……」と呆ける練摩は、思ったことが自然と口から漏れた。



軈堵お父さんの、お父さん…………」



 練摩が左助郎を見つめながら呟く。

 練摩の言葉に、左助郎と飌奈の肩がピクリと小さく動いた。飌奈は恐る恐る左助郎の方に視線を向ける。

 すぼんだ目の隙間から練摩を輝きの無い瞳で見つめた左助郎は、一瞬で元の表情に戻した。



「そうなるのぉ。そういうワケじゃから、今後ともよろしく」



 心なしか早口になっていた。左助郎は骨の浮き出た細い手を練摩に伸ばす。練摩はそれに応えるように握手した。

 左助郎は練摩の手を握り、長い髭の下でおぉと息を小さく吐く。

 


「私たちのおばあちゃんなんだ……」


 練摩と左助郎が握手する横で、百良が写真を見ながら呟いた。


「初めて見た。おばあちゃん、こんな顔してたんだ」

「百良ちゃんも初めて見たの? てっきり知ってるというか、一緒に暮らしてるもんだと……」


 飌奈から「うっ……」と震えた声が出る。それは、練摩と百良には聞こえていなかった。


「あんただって自分の父親見たこと無かったんでしょ? おあいこだよおあいこ」

「おあいこって……じゃあ、おばあちゃんは」




「殺された」




 練摩が話しているところに、左助郎が割り込んだ。その声は淡白で拍がない。

 場が静まり凍りつく。飌奈は息を吸いながら口を開け、目を丸く見開き眉毛をハの字に眉間に皺を寄せる。そうして、左助郎の横顔を凝視した。


「え……?」と百良から怪訝な声が出る。それは、練摩も同じだった。


「ころ……され…………?」


 練摩は微かに震える唇を動かし、その言葉を繰り返した。




「もう20年も前になるか。無響は殺された。……軈堵に、練摩おぬしの父親に」

「お父さんっ!!!!」



 飌奈が、溜め込んでいたものを爆発させたかのように大声を上げた。練摩と百良は驚いて肩を跳ね上がらせるが、左助郎は全くと言っていいほど反応を見せない。


 飌奈の叫び声に驚いたのは体のみで、練摩の脳内は情報の処理に夢中であった。



 殺した? お父さんが? おばあちゃんを? 母親を?



 どうしても、信じられなかった。

 

 その場が数秒間静まり返ったとき、左助郎が口を開いた。


「…………まぁ言ったところでどうにかなるわけでもないしのぉ。この話は止めて、ここに儂が来たのは別の話をしたかったのじゃ」


 左助郎は声色も雰囲気もガラッと一瞬で変え、猫なで声で練摩に話しかけてきた。練摩はその気味の悪さに怯み、体を左助郎から少し遠ざけた。



「おぬしの纏い気はたぐいまれなる量じゃ。このままでは宝の持ち腐れじゃ」

「は、はぁ」

「儂はおぬしを鍛えたい! おぬしを強くしたいんじゃ! というわけで、この家で暮らしてみないかの?」

「は?」



 練摩は口を開けたまま固まった。

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