第13話 異端児の暴走
「っあ゛あ゛!」
吐いた血を確認した次の瞬間、激痛が稲妻のように頭に走った。脳みそが膨張して破裂するかのような、奇妙な痛みであった。血の巡りが活発になったのが、頭皮から感じる熱が増したことでよく分かった。目や口からは、その間中にも血が流れ出る。
「痛い痛い痛い痛い゛っ!!!!!!!!!!!!」
床に倒れこみ、胎児の様に背中を丸めて悶える。身体全体が痛みで痙攣し、身動きひとつ取れない。
体の内側にある『ナニカ』が、無理矢理皮膚を突き破り出てこようとしている。言葉にして表すとすれば、このような痛み。ただただ不快で、ただただ恐ろしい。
「アツカエシナンジラ ノゾミウケテコマトナリ ヤボウジョウジュノカテトナレ」
と言うのも、飌奈の読んでいる経は、ペースを乱すことなく一定の速度で読み進めなければならないというしきたりがあった。
実際の飌奈は、練摩の痛々しい様子に心を痛めていた。行動や声色に出さないものの、チラリと冊子から視線を外し練摩の方を見ては、憐れむような表情を浮かべていた。
経を読み、練摩に激痛が走った原因。それは、体の奥底に封印されていた
突如身体に人間ならざる力が広がり、無意識に拒絶反応を起こしている副作用の痛みだった。
(これが……練摩くん……の…………⁉)
経を読みながら、飌奈は異変を感じていた。
解き放たれた練摩の纏い気全部。それは二人の居る部屋全体を覆い、部屋中が青く染まっていた。その青と言うのも、青空よりも断然色の濃い、日の光を微かに受けている深海のような、禍々しい青色をしていた。飌奈はその纏い気を感じ、息が切れそうなほどの圧迫感、威圧感に体中が震え、体中に悪寒がし、肌には鳥肌が立ち冷や汗がゆっくりと流れる。
「イマココニ ヒトガタモシテオリタツル カノモノタチニ ミライアルベカラズ」
飌奈は経を読み終え、冊子を閉じた。
練摩は依然として床で悶えている。練摩の纏い気で、飌奈は呼吸がうまくできなかった。それでも声を絞り出し、床に横たわる練摩に近づき声をかけた。
「これで終わりよ。痛かったでしょう。ごめんなさい。あとは落ち着いて、体が適応するまで…………練摩くん?」
地面に突っ伏している練摩の肩に触れ、反応がないことに飌奈は疑問を抱く。
練摩は床を向き、何度も深呼吸を繰り返す。最初は痰が絡んでいたような呼吸が、ろ過されたように次第に息の音のみになっていった。纏い気はその間もずっと練摩の体から出ている。
すると突然、顔を下に床に寝っ転がっている練摩から、右の拳が飛んで来た。それも、練摩の背を擦ろうと近づけていた飌奈の顔面に向かって。
飌奈は即座にその行動に気づき、背中を反って間一髪でその拳を避けた。
不発となった拳は空中を殴り、シュッと空気を切る音がハッキリと聞こえた。プロのボクサー並の反射神経を持ってしても、一般人が避けることは到底不可能な速度のパンチ。仮に当たっていたとしたら、顔がへこむどころか頭が無くなっていたのではないか。
飌奈は立ち上がり練摩から数歩後ずさりして距離をとる。
練摩は下を向き、飌奈の方を見ずにパンチを放った。
よく見ずに打てたなと言う感想などというものよりも、明らかに別の考えが頭を埋める。
何故殴りかかってきたのか。
その理由には心当たりがあった。
纏い気が体に満ち、一時的に暴走しているのではないか。人智を超えた力をいきなり引き出したことにより、脳に不具合が起きたのだ。
儀式を始める前に
練摩はゆっくりと、顔を下げたまま立ち上がった。
一瞬左右に揺れたかと思うと、立っていた場所の床を蹴り上げ、目にもとまらぬ速さで飌奈に接近した。床に貼られていた
「うわっ!」
練摩は再度飌奈に拳を振り下ろす。飌奈はこれまた間一髪で横に避けた。
しかし、練摩はこのことを予期していたかのように、飌奈が移動した場所に向かって右足を鋭く蹴り上げた。
「ぐっ」
飌奈の脇腹に蹴りは直撃した。突き刺さるような痛みに顔を歪ませる。飌奈の体がくの字に曲がり、骨が軋む音が聞こえた。そのまま蹴られた勢いで入り口から真正面の壁に体が打ち付けられた。
かと思えば、壁がその衝撃で砕け、飌奈の体はその外の庭まで飛ばされた。
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壁が崩れる轟音、衝撃により家全体が揺れ、天井から埃が舞い落ちる。
「なに今の?」
別室にいた百良、そして
「もしかして練摩じゃ…………うっ」
蒼が両腕を抱える。その理由は、その場にいる全員が一瞬で理解した。
「もしかしてこれ、纏い気か?」
嫦影が辺りをキョロキョロ見渡す。
練摩が飌奈を蹴り上げ、壁が崩された。儀式を行っていた部屋は、四方に纏い気を抑える札が貼り巡らされており、纏い気が外に漏れないようになっていた。しかし崩れたことにより穴が開き、鎖羅木家の敷地内全域に、練摩の纏い気が一斉に流れ出たのである。
「なんかヤバい予感すんな。ちょっとウチ見てくる」
「私も」
氷魁と百良が儀式の部屋に向かう。その後を、「俺たちも行こうぜ」と嫦影と蒼も追った。
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飛ばされた飌奈は纏い気を出し身体能力を上げ、なんとか足を付けて着地した。靴下の状態であり、練摩に飛ばされた勢いも余っていたため、地面を滑る際に靴下が破け、足裏から血が出た。
飌奈は焦る様子で顔を上げる。庭の砂ぼこりが舞う奥に、砕けた壁から血にまみれた練摩がゆっくりと歩を進めて庭に近づく。
練摩の瞳は、真っ直ぐ飌奈を見つめていた。その瞳に輝きは無かった。目を見開き、何も言わず、真っ黒な、虚ろな瞳をただ飌奈に向けている。
口元は緩んで少し開き、見方によっては口角が上がっているようにも見える。形容しがたい気味の悪い表情をしていた。
練摩はまたしてもその場を弾丸の様に素早く移動し、一直線に飌奈に接近した。
拳を振り下ろされ、飌奈は手を動かしその拳に触れ、そのまま明後日の方向に受け流した。受け流したとはいえ、その威力は充分に手に伝わった。流したはずだというのに、振れた箇所は若干の痺れが生まれていた。
その後も、練摩は飌奈への攻撃を続けた。上から、下から。こちらから仕掛けることは無く、躱したり受け身を取る。
纏い気の色の濃さと、力の強さは比例している。
百良が練摩に軽く見せたほのかな青色。そして、学校内で
現在の練摩は、そのような比にならぬぐらい、黒に近い青色。
完全に制御が効いておらず、纏い気に、鎖羅木家の力という、ある種の
先程一発攻撃を受けたが、あれを何度も喰らっては体がもたない。
むしろ、あの一発を喰らってまだ動けることが奇跡だ。
何とかして練摩の動きを止めなければならない。しかし、疲れるまで耐えるという持久戦はあまりにも終わりが見えず分が悪い。
どこかで隙をつき、練摩を気絶させるしかない。
飌奈は庭一帯を
(力ずくでも止めないと殺される……っ!)
自分の身長より長い物干し竿であったが、飌奈は慣れた手つきでそれを振り回し、練摩の攻撃をいなした。
器用に物干し竿を回し、練摩を数秒翻弄してから背後に周り、首筋をめがけて物干し竿の先端を突き出す。
しかし、もう少しで突くと言った所で、練摩は後ろを見ずに突き出された物干し竿を右手で掴んだ。
「嘘でしょ……」
驚きを通り越して、思わず感嘆の声を漏らす飌奈。その刹那に、飌奈の体がフワッと宙に浮かび上がった。飌奈の握っていた物干し竿を、練摩が右手一つで持ち上げたのだ。その練摩の腕に、小学生らしからぬ筋肉の凹凸と血管が浮かび上がっている。陽の光で、その影をハッキリと浮かび上がらせていた。
そのまま練摩は物干し竿を振り下ろし、飌奈を目の前の地面に叩きつけた。
「がはっ」
口が開き、唾液が中から飛び跳ねる。
飌奈の体が背中を下に地面に落ち、数ミリ跳ねて仰向けに倒れこんだ。振り降ろした勢いで、物干し竿にヒビが入り、やがてバラバラに崩壊した。
すかさず練摩は飌奈に近寄り、飌奈の頭上に足の裏を浮かべる。
そして、勢いよく飌奈の顔面にめがけて落した。
飌奈は体を転がして横に避けた。
練摩の足は地面に打ち付けられ、低い音と共にヒビが走り、その地点がクレーターの様に窪んだ。裸足の人間の、しかも子どもから出る力では到底ない。もし避けられていなかったら……と思うと、飌奈の元々上がっていた心拍数がさらに急上昇し始めた。
飌奈は立ち上がった。こちらがこんなに疲弊しているというのに、練摩は汗をかくどころか息の一つも上がっていない。
間髪入れず、次の練摩の攻撃が来る。
「あ、これ……逃げられない…………」
飌奈がそう悟った瞬間、
「っぶねぇな!!」
氷魁が飌奈を抱え、練摩の攻撃をギリギリで避けた。
靴を履いておらず、儀式の部屋に行って壁から外を覗いて飛び出したのだった。
「今だ二人共!」
氷魁がそう叫ぶと、蒼が練摩の胸元に素早く駆け込み、「あらよっと」と何枚もの
練摩の纏い気が急激に減り、「うっ」と練摩の動きが一瞬鈍くなる。
その一瞬の時間を見逃さず、嫦影が背後から左腕で練摩の首を押さえ、右の肘を練摩の首元に一発振り下ろした。
練摩は気を失い、力なく嫦影の腕にもたれかかった。
嵐が過ぎ去った後の様に、場の空気が一気に静まり返った。
「おかあさーん!」
と百良がサンダルを履いて飌奈の元へ近寄ってきた。
「酷い怪我、大丈夫?」
「なんとかね。死ぬかと思ったわ」
心配させまいと飌奈は微笑むが、苦しそうな様子を隠しきれていなかった。
「暴れるとは思っていたけど、予想以上だったわ」
「部屋の壁も、練摩がやったのか?」
「ええ。吹き飛ばされてぶつかってね」
「マジかよ。といってもまぁ、嫌な予感はやる前からしてたからなぁ」
氷魁は頭を掻きながらそう言う。
その言葉に「俺も思ってた」と嫦影も便乗。
「明らかに出てた纏い気多かったじゃん。なんだ? 小さい頃に儀式やってないとああなるもんなのか?」
「本来は、ああはならないはずなのよ」
飌奈が答えた。
「儀式はしなくても鎖羅木家であることは変わらないからね。成長していく中で練られていった纏い気が漏れるってことはあるけど、普通は体の中にある程度しまわれてるはずだから、あんなに出てるのなんて見たこと無かった。しまわれてないで全部出ちゃってるのかと思ってたけど、全然そんなこと無くてビックリしたわ」
「纏い気の量も生まれつき個人差があるとはいえ、ありゃ多すぎだわな。それに…………」
氷魁は何かを言おうとしていたが、「いや、やっぱなんでもねえや」と誤魔化した。
飌奈たちが話している間、百良は静かに練摩を見つめて口に手を当てて考え事をしていた。
「百良?」と蒼が声をかけると、百良は我に返ったように顔を上げた。
「なんか考えてたの?」
「うん……さっき練摩に聞いたんだけど、練摩って、小さい頃から纏い気が出てたわけじゃないんだって」
その言葉に、その場の全員が耳を傾ける。
「そうなの?」
「練摩は練摩自身の纏い気見えないからちょっと曖昧だけど、運動神経がよくなったのはつい最近だって…………。それまでは、他の子どもと同じぐらいのスペックしかなかったって」
「どういうことだ……?」と氷魁が声を漏らす。
「今しがたの纏い気は、その子どもから出たものか?」
その場の誰のでもない、しわがれた男性の声。聞こえた方向に振り向くと、老人が立っていた。口の隠れた長い白い髭に、太陽光を反射する頭。両耳の高さに後頭部を一直線に辿った軌跡上から、髪の毛が肩につくぐらいの長さまで伸びている。その髪の生え際は白色で、毛先は黄金色をしている。黒い着物を着こなし、
「
嫦影が老人の名前を、
左助郎は鷹の目のような鋭い眼光で練摩を睨む。
「見たこと無い顔じゃな。一体誰の
「誰の…………」
氷魁は飌奈の方を向いた。飌奈は眉間に皺を寄せ、目を一瞬閉じた。そして開き、声を出す。
「……お父さん、驚かないで聞いてね」
飌奈は左助郎をお父さんと呼んだ。つまり、左助郎は百良と蒼の祖父にあたる。そして、練摩の祖父にもあたる人物である。故に…………
「この子は……
左助郎は、軈堵の実の父親でもある。
飌奈の言葉に、左助郎の目が飛び出るほど見開かれる。
「軈堵じゃと……!? 馬鹿な、ありえん」
明らかに動揺する左助郎は、気絶している練摩の顔を今一度見た。
「あやつ…………死んでなかったのか」
何も知らない忌み子の子 田原登 @TaharaNoboru
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