第10話 謎が謎を呼ぶ

 練摩れんま真楽まらと共に家に一度帰った。


 火が消えてもなお煙が立ち上る校舎を出ると、この短時間でよくぞ来たものだと言わんばかりのマスコミがカメラを構えて怒涛の勢いで練摩たちに近寄った。そのマスコミをなんとか振り切ってなんとか家にたどり着いたのだった。



「私もう仕事に戻るから、気を付けて行ってきなさいね。迷惑かけちゃだめよ~。そういえば、お昼ご飯どうする? 何か作っておこうかしら?」

「自分で用意するから大丈夫だよ」

「そう。何かあったらすぐ電話するのよ~」

「いってらっしゃい」


 真楽は玄関の扉を開け練摩が入ったのを見るや否や、扉を閉め鍵をかけた。


 練摩は「早く準備しちゃお」と手を洗って服を脱ぎ、手当てした傷が目立たぬよう長袖長ズボンに着替えた。



そのまま家を飛び出そうと玄関へ走るが、ピタリと足を止めた。

 目の前に玄関が見え、そのまま真後ろへ振り向いた。一本の廊下の奥。電気の灯りの届かない薄暗い空間。



 練摩の父親の軈堵やがとのいた部屋。



 練摩はこれから百良ももらの、鎖羅木さらぎ家の家に行く。

 軈堵の故郷。軈堵が関わるなと忠告した本拠地。


 一瞬固まってから、練摩は軈堵の部屋の前まで行き、出入口の扉をノックした。


 中から返事はない。

先日会った時もそうであった。


あの時の様に、居はするが眠っているだけなのでは、と扉を恐る恐る開けた。


中には誰もいなかった。


あの時は夜だったが、今は昼。窓から差し込む日の光が、より鮮明に殺風景な部屋を照らす。扉を開けたことで風が起きたのか、光に照らされほこりが輝きながら宙を舞っている。

鍵のかかっていない窓には光を貫通する白いカーテンがかかっている。それ以外、部屋には何もない。



待ち合わせをしているというのに、仮に軈堵が居たとしたらどうしたというのだ。


鎖羅木家ということは伏せて、友達の家に遊びに行くとだけ言っていただろう。ただ、あの日以来姿を見せていない軈堵に会えたことで、あの時疑問に思っていたことを聞いていたかもしれない。とりわけ聞きたいのは、何故鎖羅木家と関わらない方がいいのか…………。


こんなことを考えても、軈堵はいないのだから意味が無い。


あの軈堵の表情、声色……。これから行く鎖羅木家とは、どのような場所なのか。一抹の不安もあったが、こればかりは自分の目で確認してみるしか分からない。



「…………いってきます」



 練摩は家を出た。





 練摩は百良と別れる前、練摩と百良は合流する場所を決めた。

 練摩の家から最寄りのバス停、その一つ隣のバス停ということになった。そこから少し歩いた場所に鎖羅木家はあるらしい。


 最寄りのバス停付近に行くと、ちょうどバスが通過したのが見えた。黄色とオレンジの鮮やかな路線バスは、この奥にそびえ立って見える雨降山あめふりやまへと続いている。

神奈川中央交通かながわちゅうおうこうつう、略して神奈中かなちゅうと呼ばれているバスだ。聞いたことのある読者も、中にはいるかもしれない。


 短い距離のバス停一つの為にバスに乗るのは、バス代がもったいない。ましてや今しがたバスが出て行ったので、次に来るのは30分後になる。

そんなこんなでバス停沿いに道を歩く練摩。


周りのほとんど山に囲まれている地形で、車の音より鳥のさえずりや近くを流れる川の音の方が耳に入る。天気は良く、雲一つない青空、肌を優しく撫でるようなそよ風が吹いていた。日の光は、夏に近づいて新緑を芽吹かせた木々を照らし、その鮮やかな色彩を魅せる。


雨降山はその輪郭をハッキリとみせ、青と緑の境目の曲線が造形美を見せている。

その雄姿ゆうしは、万葉集にも詠われているという。『相模峰の雄峰』と表され、古くから人々に親しまれている。



「練摩~!」


 緩やかとも急なとも言えない絶妙な勾配の坂道を歩くと、先のバス停で百良が練摩に手を振っている。

 百良も新しい服を着ていたが、上は長袖パーカーでも練摩と違って下は先程まで履いていたのと同じぐらいの短めの丈のショートパンツを履いていた。

 パーカーは体のサイズより明らかに大きく、百良が手を振り腕を下に降ろすと下のショートパンツがギリギリ見えないほどまで服の裾がおりる。

 この時の百良からは、纏い気は出ていなかった。


「ごめん、待たせちゃって」

「全然待ってないよ。そんじゃ行こう。ついてきて」


 バスが通る道をはずれ、狭い道を通る。

山肌に段々と近づいていくと「ほら、あそこだよ」と百良が指をさす。



敷地の入り口には、寺院にありそうな四脚門しきゃくもんたたずんでいる。その門の横には、いつからあるのか分からないほど古く朽ちかけている木の板に〈鎖羅木〉と墨で荒々しく書かれている。美しく整備された生垣に囲まれ、敷地内の姿は門を通してからでないと見えない。


「大きなお家だね」

「昔っからあるらしいからね。ほら、入って入って」



 百良に背中を押され、門をくぐり敷地内に足を踏み入れる。


 その瞬間、練摩はハッと目を丸くした。

 肌をくすぐるような違和感、くぐった途端に見えだした、鎖羅木家の屋敷内を満たす青いオーラ。


「これ……もしかして全部、まとってやつ?」

「そう。しまいっぱなしは体がダルくなるから、家ではみんな出して生活してるんだよ。慣れるまでは目の前青く見えるだろうけど、すぐ慣れるからね。スキーのゴーグルみたいなもんだよ」

「へぇ、門の外から見た時は全然気づかなかった」

「門の裏側とかよく見てみ」


 練摩は入ってきた門を振り返る。外からは見えなかったが、そこには大量の謎のおふだが貼られていた。よく見ると、その札は門だけでなく家の外壁や庭に生えている木の幹までにも貼られている。

 もともと白色だったのだろうか、雨風にさらされ木の色が移り、黒に近い茶色に変色している。


「うわぁ、なにこれ?」

「さっき話したおふだだよ。これのおかげで纏い気が外に出ないようになってんの。ちょっとカッコつけると、ここら一帯に結界がはられてるんだ」


 結界と言う現実世界で聞かないような単語に「おぉ~」と練摩は声をだす。

 妙に感心したと同時に、何故ここまでして纏い気を隠しているのかという疑問が再度頭に浮かんだ。しかし誰も答えを知らないとなれば考えるだけ無駄だ、と練摩は気にしないことにした。


「あのお札の一部を千切って、御守りの中に入れて持ってたの」


 百良はポケットの中から、先程まで持っていたのと柄の違う御守りを取りだす。


「あんたも持ってた方が良いよ。私は飌柰お母さんから貰ったけど、家族の誰かに頼めば貰えるかも。って、みんな捨てちゃってるかもだけど」

「家族全員が持ってるわけじゃないの?」


「自分で完全にしまい込めるようになれば要らないからね。今ぐらいの私たちみたいな子どもは、しまい込んでもスグに体が慣れないから、ちょっと体から出ちゃうんだよ。私の場合は、もうそろそろ御守りいらなくなるかなって感じ」


「慣れない……? 纏い気って生まれつき出てる物じゃないの?」


「生まれつき出てるけど、扱いに慣れないってこと。あんただって知らないけど出てたんだよ。んで、あんたは慣れるどころかそもそも纏い気すら知らないから、そんな風にダダ漏れになってるんだよ。そういうこと」



 練摩はもっと聞きたいことがあったが、質問してばかりでは先に進めないので「う~ん……そういうことかぁ」と腑に落ちないような顔で無理矢理納得した。


「まぁ教えられてないにしてもさ、それだけ纏い気出てれば運動神経も他の奴に比べて頭一つ抜けてたでしょ? そのとき不思議に思ったりしなかった?」


 逆に百良は質問してきた。それは練摩が質問しようとしていたことと合致していたので、練摩はバッと顔を上げて答えた。



「そのことなんだけど、僕小さい頃は全然そんなこと無かったんだよ」



「え?」と困惑する百良。


「前から足はそこそこ速かったけど、僕より速い子だって普通に居たし、瞬発力? とかそういうのだってなくて、どちらかと言えば鈍くさい方だったし。先週……百良ちゃんと知り合った前の日、いきなりこんな力が出るようになったんだ」


「なんじゃそりゃ。そんな話他に聞いたこと無いけど……そういうこともあるんだ」



 百良も驚いている様子だった。練摩は思ったような回答が得られず肩を落とし、また新たな疑問が浮かんだ。

 今の百良の話ようからして、鎖羅木家の人間は生まれつき纏い気が出ているのが当たり前という認識があるというのが伺える。生まれつき人間離れした身体能力を持っているが、練摩の場合…………。


「ま、後で家族の誰かに聞けば分かるでしょ」


 百良のその一言のおかげで、練摩は深く考え込む前に我に返った。



 「ただいまー」と百良が玄関の引き戸をガラガラと開ける。その後ろに続いて練摩が「お邪魔します」と中へ入る。



「あ、来た」


 玄関にはいくつかの段ボールが置かれており、あおがそれらを運ぼうとしたタイミングで百良たちが入ってきたのだ。


「この段ボールは……」

「引っ越してきた荷物だよ。転校した時に言ったけど、私前まで和歌山に住んでたの。田辺たなべ市って知ってる?」


 田辺市は和歌山県の中南部にある、県内で最も広い面積を誇る市である。

 三重、奈良、和歌山、大阪へとまたがる熊野古道くまのこどうの入り口となっている。

熊野古道くまのこどうとは、熊野三山くまのさんざんと称される三つの神社への参詣道さんけいみちである。


「たなべ? ごめん、知らない……」

「んじゃ知って。私のお母さんそこで生まれたって言うから、あんたのお父さんの実家だよ多分」

「そうなんだ。ところで、なんで引っ越して来たの?」

「大雨が降って裏山が崩れて、家がペシャンコになっちゃったんだよ」


 練摩が謎の夢 (第一話冒頭)をみた前日、日本の広い範囲で豪雨が降っていた。

 中でも紀伊半島の被害は大きかったらしく、百良たちもそれに巻き込まれたのだった。


「私はもともと、五年生になったら神奈川こっち来ようとしてたからよかったけど、他の家族はそりゃもうてんてこ舞いだったよ」

「ん? そういえば鎖羅木家って和歌山と神奈川に二つあったの?」

「そうそう。詳しく知らないけど、なんか江戸時代にいろいろあったらしくて、それで家二つ持つようになったんだって。別に仲悪いとかそういうのじゃないよ」


 練摩は「へぇ~」と一連の流れを聞いて息を漏らした。


「転校してきたばかりなのに立派な家に住んでると思ったら、そういうことだったんだね」

「ちなみに、僕は中学卒業してから来たから去年からこの家住んでるよ~」


 話を横で聞いていた蒼が会話に参加してきた。


「ワケあってこっちに来たかったから、お母さんに無理してこっちの高校通いたいって説得したんだ」

「って言ってる割にはずっと高校サボってるけどね」


 と百良が蒼に聞こえない声量で練摩に言う。





「蒼―? 早く荷物運んで来いよー」


 家の奥から、ある人物が歩きながら蒼に声をかける。



 その声はどちらかと言えば低く、中性的であった。その感想は、顔立ちにも言えた。

 丸みの少ないまぶた、太めの黒眉。ツバのない布で出来た変わった帽子を被り、ほんのり紫がかった髪を後ろで団子状にまとめている。Tシャツの上に一枚薄い羽織物を纏い、袖口はゴムバンドのようなもので絞られている。スラッとした長ズボンの先から足首が見え、短い黒い靴下を履いている。

 身長は蒼より少し高い。170㎝を超えるモデル体型だ。


「おん? キミ、百良の友達?」


 その人物は、練摩の方を見て首を傾げた。

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