惨痛

 小屋へ辿り着き、灯りを灯す。以前は暗がりで分からなかったが、床に散らばった怪しげな薬や壁に掛けられた小動物の死骸などが次々と目に入ってきた。主を亡くしたせいかそこら中に虫が集り、保存用だと思われる食物は獣によって食い散らかされている。酷い有様だ。だが混然とした空間の中でも、一際清潔さが保たれた紙の束が机の上に置かれていた。手記だろうか。手掛かりを得たい一心で読み込み始める。


「『逡巡』。事象の判断を遮る。エイソアの実とキリアの羽で発火。ムナの肝での解呪検証は成功」

「『憑信』。与えられた言葉全てを信じ続ける。アルハの種子単独で発火。解呪の見込みなし」

「『遺却』。術者の記憶を忘れさせる。ペウマの眼、ニリスの鬣どちらとも単独で発火。解呪の見込みなし」


なんだこれは。あの老人はひたすら誰かを呪う事を続けていたのか。あまりの不可解さと恐ろしさでその場にへたり込んでしまう。俺は手を出してはいけない相手に手を出してしまったのかもしれない。手記にはその後も老人が生み出したであろう呪いの名前や効果が書き連ねられていた。一体どれだけの人間がこれらの呪いにかかり、苦しめられていったのだろうか。文字の続きを追おうとしても恐怖で目が動かない。だが、所々に記された”解呪検証は成功”いう言葉に少しの希望を見出せたのも事実だった。恐らく「投影」の事もどこかに書かれている筈で、そこに「見込みなし」となければ俺は元に戻れる。縋るような思いで再び手記に目を向けた。


「『投影』。相手の感情を慮り続ける。イシタの爪とオグノの葉、リーリの脳で発火。ディラエイの茎で解呪検証に成功」


安堵と共に疑念が頭を過ぎった。確かに「投影」の呪いは解けると書かれている。書かれてはいるが、問題はその方法だ。ディラエイなんて毒素に塗れた花じゃないか。そんなものの茎を自分に使ったらどうなってしまうんだ。明日にでも楽になれるかもしれないのに、何故また問題が一つ増えてしまうんだ。だけど立ち止まってはいられない。そもそもの使い方は書かれてないし、ひょっとしたら解呪の手順が決まっているのかもしれない。手記を机に戻し、呪いの解き方について書かれた文献がないか探してみる。日はもう登ろうとしていた。


 結局、解呪について書かれたものは見つからなかった。疲労と焦燥でいっぱいの身体を引きずり家に戻ると、悲しそうな顔をした兄さんが佇んでいた。

「ロージェ、もう朝だよ?」

「ごめん、長引いちゃって、さ」


——本当にどうしたの

——なんで何も言ってくれないんだろう

——どうしたら話してくれるのかな


いつも以上に頭の中が言葉で埋め尽くされる。呪いの力は日に日に増している事がはっきりと分かった。いっそのことディラエイの茎を口にしてみようか。死んだら死んだでもう楽になれるのかもしれない。朦朧とした意識の中でそんなことを考えながら、部屋に戻って泥のように眠る。


 目を覚ますと日が登っていた。どうやら丸一日寝ていたらしい。兄さんはまだ夢の中みたいだ。流石に心配をかけすぎているので書き置きだけ残してて出ていこう。

「ごめん、今かなり忙しくて、大変なんだ。あともう少ししたら落ち着くからさ」

本当はもっと色々言葉を残しかったけど、”書き置きを読んだ兄さん"の顔が頭に浮かんで何も書けなかった。最低限、伝えられる事だけ伝えられれば今はそれでいい。


 薬草師ギルドに着くと、ギルド長が血相を変えて飛び出してきた。

「ロージェくん! 何かあったのかね!」

無断で休んでしまったんだ、そう思われるのも仕方ない。

「いえ、少し体調を崩してしまっただけです。連絡も出来ずすみません」

「無事ならいいんだが」

「もう大丈夫です。……ギルド長、一つお尋ねしたいのですが」

余計な話をしている場合じゃない。早くディラエイの茎について聞かないといけない。

「あぁ、なんだね?」

「ディラエイの茎について、人命に役立つ用途があるという話は聞いた事ありませんか?」

「……なんだって?」

「いえ、知人から譲ってくれないかと言われまして」

「聞いた事ないな。そもそもアレの扱いは厳格に定められているんだ。他の用途が見つかったとて、軽々しく誰かに渡して良いものじゃない」

「そう……ですよね」

分かってはいた。そんな発見があればギルド内は忽ち大騒ぎになる。

「念の為の確認でした。知人には譲れないと伝えておきます」

「頼んだよ。では、私は今日一日出るのでよろしく。この間の話は、また後日ゆっくりと」

「……はい」

仕事を終えた後、ディラエイの原生区域に向かい少しばかり茎を摘む。これをどう使えば俺は助かるんだろうか。昨日は死んでもいいかと思ったものの、やっぱり口に運ぶ勇気は出ない。試しにその辺の草食動物で試してみてもいいかもしれない。一度食べさせて動かなくなれば、確実に体内に入れては駄目なものと理解できる。そして帰り際、一頭の子鹿を見かけた。主食となる草にディラエイの茎を混ぜ、脅かさないようにそっと近づく。


——食べたくなかった

——なんで食べさせたの

——まだ生きていたかったのに


「なん……で」

呆然とするしかなかった。まさか"子鹿の感情"まで意識に入ってくるなんて。食べさせた後まで考えてしまうなんて。ひょっとしたらディラエイの茎に解呪の効果なんてなくて、命を落とす事で呪いから解放されるという意味なんだろうか。だったらもういっそのこと、楽になった方がいいのかもしれない。今まで散々命を奪ってきたなら、それは当然の報いだ。意を決して茎を口に運ぶ。ごめん兄さん、もう、俺は駄目なんだ。


——ロージェ、どうして


この場にいない、兄さんの悲しむ声。

俺が居なくなった後の兄さんが絶望している姿。

自分で生きることも難しくなってただ衰弱していく兄さんの身体。

その全てが頭の中に流れ込んできた。


「死ぬことも出来ないのかよ……」

もう、本当にどうしようもなかった。

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