episode 2-3 ……高瀬。これ、やばくない?
試合はホームチームの横浜が虎の子の先制点を守り切り、勝利を収める形となった。僕とむっちゃん的にも、日本代表に選ばれる選手のプレーを間近に見ることができ、健全なサッカー少年少女としてそれはそれは至福のひとときだった。
ピッチ内を一周した選手を見届けてから、僕らはスタジアムを後にした。
「いやー、面白かったねー試合」
「……ほんと、来て正解だったわ。今だったらいつも以上のプレーができる気がする」
「今度にーたんに何かお礼したほうがいいかもね」
「あー、そうだね」
それぞれの家路へとついていくお客さんの波についていくように、薄暗い三ツ沢公園の敷地内を歩いていく。
「ねえ高瀬。せっかくだし、横浜駅まで歩いていかない? ちょっと、ゆっくり歩きたいなーって」
「そう? むっちゃんがそう言うなら、僕はそれでもいいけど」
すると、隣を歩いていたむっちゃんがくいっと僕のシャツの袖を引っ張っては、わざとらしく体を傾けて僕の顔を覗き込んだ。
そのちょっと女の子らしいむっちゃんの仕草にこっそりドキッとさせられたのを隠しながら、僕は続ける。
「……あ。っていうか、家まで送っていくよ。むっちゃん」
「えー? どうしたの高瀬。送り狼にでもなるの?」
「……んなわけ。単純に、今から葛西帰ったら夜の一一時回るでしょ。さすがにそんな遅い時間に女の子ひとりで帰らせるわけにもいかないって」
現在時刻は九時半を回ったところ。帰宅時間はおおよそそんな感じになるなら、送る一択になるのは目に見えている。
「ははは、わかってるわかってる。人畜無害の高瀬だから、他意なんてないのわかってる。んー、でもまさか高瀬からこういうときに女の子扱いされるなんて思ってもなかったなー」
僕の提案に、意外そうにケラケラと鈴が鳴ったみたいに笑い声を零すむっちゃん。でも、
「だって、むっちゃん普通に可愛いし、夜道ひとりで歩いたら声掛けられそうだし」
僕がそう素で呟くと、「へ?」と呆けたように聞き返して何も言えなくなっていた。
「……ん? 何か僕、変なこと言った?」
そんなむっちゃんの様子を窺うと、「んん」と大げさに咳払いをしてから、
「べっつにー? ただ高瀬って童貞の癖に女の子の扱いには慣れてるよなーって思っただけだよー」
ぷくりと頬っぺたに風船を膨らませてこつんと僕の小脇を肘で突いた。
「……童貞は余計だろ。扱いに慣れてるのは、あれだよ、単純に優羽と関わる期間が長かったから、それで」
「へー。優羽ちゃんにもじゃあ普通に可愛いとか言ってるんだ。やらしー」
「……やらしくないだろ、別に。優羽は幼馴染だし」
「いいよーだー。高瀬は人畜無害だから。他意なんてないんでしょ──あっ」
瞬間。三ツ沢球技場から横浜駅までの、細くて暗い下り坂。小石か何かに足を取られたのか、隣のむっちゃんの身体が宙に浮いた。
ひどくスローモーションに映ったそのとき、僕の手は勝手に今現在転びかけているむっちゃんの身体に伸びていて、
「むっちゃん、危ないっ」
一歩、二歩。ぐにゃりとした足の感触を堪えて僕は咄嗟にむっちゃんの身体をギリギリのところで抱きとめた。
「……せ、セーフ」
「……あ、ありがとう、高瀬」
突発的に至近距離に触れることになったむっちゃんから、柑橘系の爽やかな香りがほのかに僕の鼻腔をくすぐった。
後ろもつっかえているので、すぐにむっちゃんを離して僕らは横浜駅へと歩き出す。
「一応ほら、僕ら足が商売道具だからさ。……気をつけなよ、むっちゃん」
「う、うん……。そうだね、助かったよ」
かく言う僕が、軸足にした左足が少し痛みを訴えている気もするけど、歩けないほどでもない。帰って湿布でも貼っておけばなんとかなるだろう。
その後、いつもだったら無駄話に花が咲くむっちゃんなんだけど、なぜか今日この瞬間に関しては言葉少なげで、ぽつぽつとこま切れに言葉のキャッチボールをするくらい。
十分くらい歩くと、横浜駅が近くなってきたことで、横浜市街の明るい街並が通りに広がるようになり、これまで縦一列に進んできたサッカー帰りの人々も散り散りになっていく。
すると、ドラッグストアの横を通過しそうになったタイミングで、
「たっ、高瀬。ちょっと飲み物買って行っていい? わ、私切らしちゃって、喉乾いたなーって。あ、あははっ」
むっちゃんはほのかに頬を桃色に色づかせては、僕にそう言った。
「う、うん。いいけど……」
「さ、サンキュー。すぐ買ってくるからっ、待っててっ」
そうしてむっちゃんは店内へと入っていく。置いていかれた僕は歩道のガードレールに腰を預け、スマホを弄ってむっちゃんの帰りを待つ。三分くらいした頃だろうか。
「お兄さん、今ひとりですかー? 何かお店探している感じですかー?」
僕のもとに、制服と思われるメイド服を着たちょっと年上と思しき女の人が話しかけに来た。
「もしもーし、お兄さーん?」
「えっ、ぼ、僕?」
最初、自分に話しかけられているとはつゆにも思っていなかったから、無視してスマホを弄り続けてしまった。
「そう、お兄さん。暇そうにスマホ触ってたから、何かいいお店探してるのかなーって」
「い、いや、別にそういうわけじゃ」
スマホを見ていたのは、ただ家に帰る終電を調べていたからで、決してお店を探していたとかそういうわけではない。
「えー? ほんとにー? 私と一緒に、楽しいことしたくない? 楽しいこと」
ひゅるりとスマホを手にしていた僕の腕に自分の腕を絡ませたメイドさんは、少しだけ吐息を含ませた声音で、そっと僕の耳元に囁きだす。
「たっ、楽しいことって、えっ?」
「あーっ、今いやらしいこと考えたー。お兄さん初心で可愛いなー。草食系っぽい顔しているし、私タイプかもー」
……僕、そこまで童貞っぽい雰囲気しているんですか。こう、むっちゃんだけに飽きたらず見ず知らずのメイドさんにまで弄られると、さすがに傷つくものがあるっていうか。
なんて、心のなかで悲しい思いをしていると、
「ほらっ、お店行こっ、お店っ。お兄さんだったらサービスしてあげるっ」
絡ませた腕をそのまま、メイドさんは僕を近くの雑居ビルに連れ込もうとし始めた。っていうか、なんか、なんか当たってる気が……!
「あ、ぼっ、僕、連れが──」
瞬間。ドラックストアの方角から小気味よい足音が近づいてくると、
「ごめんなさい、彼、私の友達で」
スポーツドリンクを片手に持ったむっちゃんが、小走りで僕とメイドさんの間に割って入った。
「それに、私たち高校生で、もう帰らないといけないんで」
「えっ、お兄さん高校生だったの? そっかそっかあ、ならもう帰らないとだよねー。ごめんねー、お兄さん大人っぽくて、てっきり大学生さんなのかなーって」
むっちゃんの登場で、メイドさんもあっさり僕の腕を離しては、そう謝罪する。
「いっ、いえ」
「……ごめん、買い物終わったから、帰ろ? 高瀬」
「あっ。これお店のチラシっ。明るい時間に、もしよかったら遊びに来てねー」
最後にメイドさんからチラシを渡され、僕とむっちゃんは横浜駅へと再び歩き出した。
「……悪い、助かった、むっちゃん」
「ほんとだよー。普通こういうのって私がナンパされているのを、高瀬が助けるってパターンじゃないのー? もー、しっかりしてよねー」
おどけるように、むっちゃんはそう僕の肩をペシ、ペシと叩く。
「それに高瀬、腕絡ませられて、ちょっとおっぱいに当たってたからって、鼻の下伸びてたよー。えっちなんだから、もう」
「のっ、伸ばしてないし、当たってないし」
当たってたの、ば、バレてるし。
「ふんだ。なんだかんだで高瀬もああいう女の子のほうが好きなんだね。デレデレしちゃってさ?」
……あ、あれ? っていうか、むっちゃん、少し機嫌悪くなってない? さっきまであんなに楽しそうにしてたのに。
「で、デレデレなんて僕はっ」
「……ちょっと目を離した隙に高瀬がどこかに連れていかれそうになってて、ドキッとしたんだから、こっちだって」
「そ、それは……」
「せっかく高瀬とふたりで楽しい時間過ごしてたのになー。あーあ」
「……ご、ごめんなさい」
「ラーメン一杯奢りね?」
「……んぐ。わ、わかったよ」
「わーいっ。じゃあ今度ご飯食べるときよろしくねっ、やっぱり高瀬はノリが良くていいよ、わかってるっ」
くそ、むっちゃんにはめられた。全部ラーメンに誘導させられてたんだ、これは。機嫌悪いように振る舞って、僕に罪悪感を抱かせて、まるで貸しを返すかのようにラーメン奢りを取りつける。
……でも無理じゃん、どうしようもないじゃん。いくらむっちゃんとは言え女の子がちょっとピリッとした様子醸し出したら言うこと聞くしかないじゃん。……とほほ。
横浜駅に到着すると、タイミングよくホームに停車していた上野東京ラインの宇都宮行に乗り込む。たまたまボックスシートの通路側がひとつ空いていたので、むっちゃんにここはひとつ譲っておく。
「いいよ、むっちゃん座って」
「ほんと? ラッキー。ありがと、高瀬っ」
ほどなくしてドアが閉まり、宇都宮行の電車はゆっくりと動き始めた。ここから東京まで乗車して、東京から
が、電車が隣の川崎駅を発車してすぐのことだった。
駅も何もないところで急停車したと思えば、車掌さんのアナウンスが突然流れ出す。
「お客様にご案内します。ただいま、東海道線、品川駅にてお客様が電車と接触したため、東京駅から横浜駅の間で運転を見合わせております。そのため、こちらの電車も、安全の確認が取れるまで、運転を見合わせていただきます。お急ぎのところお客様にはご迷惑を──」
それは、まさに「何か」起きてしまったことを知らせるアナウンスで。
僕とむっちゃんはその放送を聞いてからおもむろに目を合わせると、
「……高瀬。これ、やばくない?」
苦笑いとともにそう呟いた。
どうやら、僕とむっちゃんの「デート」は、そう簡単に終わってはくれないみたいだった。
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