episode 3

episode 3-1 これからも年齢イコール恋人いない歴同士、仲良くしてこーぜ高瀬

「お客様にご案内します。品川駅で発生した人身事故、現在お客様の救護活動中という情報が入りました。運転再開の見込みはまだ立っておりません。恐れ入りますが、今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします」


 電車がストップしてから一時間弱。時刻は夜の一一時を回っていた。

 日曜日とは言え、一五両編成の宇都宮行は座席が全て埋まるくらいには混雑していて、空調が効いているけど長いこと狭い車内にいることで空気が悪くなってきていた。


「……あ、やべ。無くなっちゃった」

 水分補給しようと、持っていたお茶を飲もうとしたけど、あいにく飲み干してしまっていた。


「高瀬。……私の、飲む?」

 そんな様子を見た座席のむっちゃんは、電車に乗る前に買った飲みかけのスポーツドリンクを差し出す。


「……え? いいの?」

「いいよいいよ。間接キス気にする関係じゃないしね?」

「サンキュ、助かる」

 むっちゃんからペットボトルを受け取り、口をつけないようにスポーツドリンクをひと口含む。


「……なんか、すごい一日になっちゃったね。高瀬」

 スポーツドリンクを返してもらったむっちゃんも、続けてゴクリと喉を鳴らす。


「ほんと。夏休み序盤から濃厚すぎるイベントだよこんなの。そういえばさ、家に連絡とか大丈夫? 帰り、かなり遅くなりそうだけど」

「うん、へーき。今日お母さんもお父さんも、弟連れて旅行に行ってるから。今日はもともと家にひとりなんだ。だから、時間は気にしなくても大丈夫。そういう高瀬は?」


「もともと遅くなるかもって言ってはいたから。まあ、むっちゃん家まで送り終わったら一本連絡入れようかな」

 そんなことを話していると、車掌さんからのアナウンスが再び響く。


「お待たせいたしました。安全が確認されたため、この電車も信号が変わり次第発車いたします。次の停車駅は、品川、品川です」

 運転再開の案内に、車内にいる人たちは一斉にホッと一息つく。やがて、ガタンという音とともに電車はゆっくりと東京方面へと動き始めた。のだけど。

 それとほぼ同時に、パラパラと雨粒が電車の窓ガラスを叩く音がし始めた。


「……まじ?」

「高瀬、ちなみにだけど、雨具持ってきてたりする?」

「……してない。だって、天気予報は晴れだったから」

「だよねー。……私も」

 東京へと近づくにつれ、雨脚は強く、そして激しくなっていったように思えた。


 大幅に遅延した上野東京ラインから京葉線に乗り換えて、葛西臨海公園駅に到着したのは日付を跨ぐちょっと前。

 雨は弱まる気配を一切見せず、慈悲もなく僕らの帰り道を険しいものにした。


「高瀬っ、一本だけ傘残ってたから買ってきたっ。とりあえずこれ使おっ」

 駅にあるコンビニからむっちゃんが戻ると、ニコりと微笑んでは僕にビニール傘を掲げた。


「な、なんたる豪運」

「へへへっ、ついてるでしょー。私の日頃の行いに感謝しなよー高瀬」

 むっちゃんから傘を受け取った僕は、ふたりが傘の下に入れるように傘を開き、むっちゃんと並んで歩き始める。


「……冷静に考えたら、今高瀬と相合傘してるのか」

 そう、いわばこの状況はラブコメで定番の相合傘である。


「そういえば、男子と同じ傘の下で歩くの、初めてかも私」

「……へ、へー。そうなんだ」

「そうだぞー? 高瀬は私の『はじめて』を奪ったんだぞー?」

 むっちゃんは横を歩きながら、ニヤニヤと表情を緩めながら僕の顔をくいっと覗き込む。


「……言いかたよ」

 その表現だともっと大事な「はじめて」を奪ったふうに聞こえるからやめてください。


「んー? 高瀬は何を想像したのかなー? うりうりー」

 傘を持つ僕の右手をうりうりしないでください。傘が揺れてふたりとも雨に濡れちゃうでしょうが。


「な、何も想像してないって」

「あーはいはい。別に隠すことでもないからいいけど、彼氏できたこともキスしたこともえっちしたこともないよーだ。つまり、私も高瀬と同じってわけだ」


 ぶっっ……! むっちゃんの大胆すぎるカミングアウトに、僕は心のなかで思いきりむせてしまう。え、何。夜も深い時間になったからそういう話をする雰囲気になっちゃったんですか。修学旅行の寝る前かよ。


「……え、何、その意味深な間。もしかして、高瀬は違ったの? 童貞なのは知ってるけど、実は彼女いたことあったの? キスまでは済ませてたの?」

 長いこと僕が黙っていたこともあり、余裕綽々だったむっちゃんの表情は途端に泡を食ったものに変わり、一歩僕の側に詰め寄って質問を連投する。


「……え、えっと」

 いや、どう答えるんだこれ。

 僕の記憶としては彼女ナシキスもナシもちろん童貞で間違いないのだけど、いわゆる一周目の僕には少なからず彼女はいたんだ。その彼女とどこまでしたのかは知らないけど、彼女はいたことは間違いない。


 だから、むっちゃんと同じではないのだけど、

「え? 高瀬。嘘でしょ? 大学入ってバラバラになっても私たちはボールを共に蹴るって約束したじゃない」

 それを馬鹿正直に答えるのも考えものなのが、問題だ。っていうか記憶ないのに、彼女はいたなんて言うのも空しいし。


「……だ、大丈夫だよ。僕も全部経験ないから」

「そ、そっか、そうだよね。あはは、びっくりさせないでよー高瀬」

 僕がそう嘘をついて答えると、むっちゃんは安心したように薄い胸を撫で下ろしては僕の背中をポンポンと叩く。


「これからも年齢イコール恋人いない歴同士、仲良くしてこーぜ高瀬」

「……すごく複雑な関係を刻んできたねむっちゃん」

「ふふふ、これでもう高瀬は私から抜け出せまい」

「さりげなく恐ろしいこと言うのやめてくれない?」

 そんなことを話しているうちに、


「あ、ここ。私の家」

 むっちゃんの自宅へと到着していたようだ。共同玄関の屋根の下に入り、差していた傘を閉じる僕。


「ありがとう、送ってくれて。で、なんだけどさ、高瀬」

 むっちゃんはハーフパンツのポケットから家の鍵を取り出すと、反対の手に持っていたスマホを一瞥してから僕に言った。


「終電、大丈夫?」

 時刻は〇時三〇分。僕は反射で乗り換えアプリを使って葛西から落合までの終電を調べたけども、


「……お、終わってる、し」

 スマホに表示されたのは、無情にも翌朝始発の電車の時間。つまり、今日は家に帰れないことが確定したってわけだ。


「……まあ、そうなるよね。でさ。それを踏まえてなんだけど」

 チャリンチャリンと鍵を指先で回すむっちゃんは、呆然と立ち尽くす僕にそっと微笑みかける。


「高瀬は終電を逃して、もう移動手段は残っていない。私の家は今日家族が誰もいない。ってなったらさ?」

 共同玄関のオートロックを解除し、自動ドアを通ったむっちゃんは、ひょいひょいと僕をマンションの中に手招きしては、

「私の家、泊まってかない? 高瀬」

 僕にそう、提案した。


「いやいやいや。さ、さすがにそれはまずいって。いくらなんでもご家族がいない女の子の家に勝手に泊まるわけには──」

「じゃあ高瀬。今日はこの後どうするの? 行く当てはあるの? お巡りさんに見つかったら補導されるよ余裕で」


「……な、ないけどさ。当てなんて」

「じゃあいいじゃん、泊まっていきなよ。大丈夫大丈夫。私、高瀬のことは信用しているから」


「……し、信用してくれるのは嬉しいんだけどさ」

「だってさ、結局のところ私を家まで送ってくれたから高瀬は終電逃したんでしょ? それなのにここで高瀬を外に置いてさ、風邪でも引かれたら私も目覚め悪いし。ね?」

「ん、んぐ……」


 最終的に、むっちゃんの合理的な提案を断ることができず、僕はなすがままにむっちゃんの家にお邪魔することになってしまった。


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