Kの娘
Kには20代の娘Yがいて、ちょうどMの兄であるHたちの学年が卒業した年に結婚した。
大きな鼻の穴に特徴があり、カバのような容貌をしていたので、「空気泥棒」みたいな陰口をたたく者もいるKだが、娘は母親に似たらしく、すっきりとあか抜けた美しい女性である。
Yは有名大学を卒業し、学校の先輩と結婚。社交的で明るい性格で、Kにとっては自慢の娘のようだ。
しかも結婚相手の男は、もともと首都圏の有名企業に勤務していたが、Yの家に婿入りするために、市の職員試験を受験して転職したというから、かなりのほれ込みようだったのだろう。
そんなエピソードまで含めて、何もかもがKにとっては自慢のタネだった。
殊に、顧問を務める陸上競技部の活動の中で、生徒たちに繰り返して聞かせ、時には写真を見せることもあつたようだ。
だから一部の生徒の間で、「Kセンセーの娘は美人」ということで、顔もそれなりに知られていたが、Mはそもそも心を殺すようにしてKの授業を受けていたくらいだから、興味すら持たなかった。
***
Mは何とか志望高校に合格し、Kという心の負荷のいない学校生活を謳歌していた。
高校の同じクラスには同じ中学校から入ったNという女子がいた。
もともと同じクラスになったことがなかったので、高校に入学するまで口もほとんど利いたことがなかったのだが、徐々に仲良くなった。
Mたちの高校には、新入生はとにかく何らかの部活に入る規則があった。
部活の種類は問わないし、やめるのは自由だということで、MはNとともに幾つかを見学した後、適当に不活発な文化部に入部した。
2人は活動のない日、学校帰りに青果店の軒先につくられたジューススタンドでフルーツジュースを飲みながら、うわさ話や見たテレビの話などをしていた。
その店は商店街にあり、飲食店や商店がずらりと並び、人々が行き交っている。
青果店の向かいには、乳幼児サイズの服や用品を扱う店があった。
外国から輸入したという、ちょっとしゃれたデザインの服も置いてあるらしく、小さいが外観もかなりしゃれている。
2人が座った丸テーブルから、そのおしゃれな店がよく見える。
ベビーカーを押した若い女性が店の前で立ち止まり、ベビーカーから赤ん坊を抱きあげ、店の中に入っていった。
「あ、あれってKセンセの娘さんだ。写真で見たことある」
Nが軽く興奮した調子で言った。
Mにとっては聞きたくない名前が唐突に出てきたので、一瞬ぎょっとしたが、中学時代は陸上部だったNにとっては、あくまで好意的な気持ちで飛び出した話題らしい。
「そ、なんだ?」
「うん。先生よく自慢してたよ」
「へー」
「写真もよく見せてもらった。写真屋さんとかでもらえるちっちゃいアルバムあるでしょ?あれ持ち歩いててさ」
「はー」
「先生の娘さんとは思えない美人だって、男子たち騒いでたよ」
「へー……」
「赤ちゃんいるんだね。きっとかわいいんだろうなあ」
「ふうん……」
この当時、ベビーカーというものは、全くないわけではなかったが、今ほど市中で見かけるものではなかった。
小さな子供はおんぶひもや抱っこひもで体に密着させ、両手に荷物を持ってふうふう言っているような若い母親は珍しくない。
また、地方とはいえそこそこ便利な街ということもあり、自家用車のない家も珍しくはなかった。
例えばMの父などは、職場の途中で何人かの同僚をピックアップし、帰りは送り届けるというのを条件に、会社から借りたワゴン車をプライベートでも使ったりしていた。時にはこの車で少しだけ遠出することもあったが、はしゃいで食べ物を広げようとすると、「菓子くずをこぼすなよ!」ときつく言われてテンションが下がったりしていた。
街なかでベビーカーを押しているということは、それを載せられる自家用車を持っているか、繁華街近くの便利なところに住んでいる可能性の高さが分かる。
と、まだ高校生のMがそこまで連想したかどうかはいざ知らず、その女性は、子連れにもかかわらず、何もかもが優雅に見えた。
女子中学生を面白半分にコインロッカーに赤ん坊を捨てるクズ呼ばわりしているくせに、信頼や敬慕を集めているKは、Mにとってはできることなら忘れたい存在である。
そのKの自慢の娘には小さな赤ちゃんがいる。
いろいろ考えると、生まれたのは自分たちが卒業した後ではないかと思われる。
多分Kは孫にメロメロだろう。簡単に想像がつく。
時期がずれていたら、見せる写真は孫(男か女かは不明)一色になっていたかもしれない。
もしもMが、Kのそんな一面を知った上で、「お前のようなやつ」といういわれのない中傷がぶつけられていたら……?
「コインロッカー……」
「え、何?」
「あ、コインロッカーって駅にあるよね?」
「うん?使ったことないから気にしたことないけど、あるんじゃない?」
「だよね」
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