「お前のようなやつ」


 それは何がきっかけだったか――多分、その授業を聞いていた者全員に聞いても、覚えてはいないだろう。


 ただ1人、Mだけが覚えていた。その発言がいかにも「唐突だった」ということ、そう言われて心身が完全が凍り付いてしまったこと、その他、言い知れないあれやこれやを。


***


 70年代、駅など公共施設のコインロッカーに乳児が捨てられるという事件が多発したことがあった。

 Kの授業を受けているのは、80年代初頭に中学生の年齢だから、テレビや新聞でそんな事件が報道されることがあっても、それを聞いて自発的に痛ましい事件だと心を痛めるような年齢ではなかった。


 生徒たちが物心ついた頃、デビュー作で芥川賞を受賞した大型新人作家が、そういった事件をテーマにした小説を書き、話題になった。

 といっても、中学生が読むにはいささか背伸びぎみの内容だから、読んだことのあるものはほとんどいない。

 わずかに少しだけ読んだ――というか、触れたことのある者だけが、「なんかちょっとエロいこと書いてあった」とニヤニヤする程度だった。


 それはともかくとして。


 生徒たちは「コインロッカーベイビー」という言葉が何を指すのかを何となく知っている、そんな状況が前提である。

 死体遺棄の猟奇性、生命の尊厳、なぜ捨てるのか、捨てのかという背景など、さまざまな事柄が絡み合っていたが、少なくとも、それが「悪いこと」なのは、どんなに愚鈍な者にも分かる。


***


 198X年某日、3年2組の社会科(公民)の授業にて。


 きつい訛りで話しながら、Kはチョークをとリズミカルに動かして板書していた。

 内容は憲法第25条第1項に保障された「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」だったかもしれないし、全く無関係な議院内閣制やら円高円安の話だったかもしれない。


 そのときのことを鮮明に覚えていたはずのMも、その内容までは覚えていない。というよりも、ふと板書の手を止めてした発言のせいで、前後は全く消し飛んでしまったのかもしれない。


「お前ら、コインロッカーベビーって聞いたことあるか?」


 生徒たちはざわついた。

 たまたま出席番号を根拠に指された生徒が、「あの……捨て子とか?」というように、自信なさげに答えた。

 自信がないというよりも、「どうして突然そんな話を始めたんだろう?」という戸惑いがあらわれた形だった。


「そのとおり。捨て子というだけでも許しがたいが、コインロッカーは本来生き物を入れるような場所ではない。そんなところに生まれたばかりの赤ん坊を置き去りにするとは、人間のすることじゃないよな」


 しつこいようだが、Kはお国なまりがひどかった。通じにくい方言を多用するというよりも、この地方特有の、やたらと濁音がつきまとうような話し方なので、便宜上、標準語っぽく話しているような書き方になることをご容赦おゆるしいただきたい。


 人間のすることじゃない――そう、言葉を尽くして「事情があった」と弁明しても、決して許されない行為だし、こう言われても仕方のない所業であることは間違いないし、授業を聞いていた誰もが同じ気持ちであったことは間違いないだろう。 なぜそんな話を始めたのかはともかくとして、そこに異論の挟まれるゆとりは「あってはならない」。


 そこまではよかったが、Kは突然、こんなことを言い出した。


「このクラスは――そうだな、Mあたりがしそうだよな」


 唐突に唐突を重ねたようなこの発言に、M本人は「え?」と声が出た。


「お前のようなやつほど、意外とそういうことをしでかすんだ。俺には分かる」


 Mは元来目立たないおとなしい性格で、しかも優等生である。

 いや、劣等生であったとしても、物の善悪の判断ができれば、「やってはいけないこと」と分かるだろうが。


 人は見かけによらない、虫も殺さないような顔してるが、人の子は平気で遺棄する的な、全く笑えない冗談のつもりで言ったようだ。その証拠に、Kはずっと笑みを浮かべていた。


 すると教室内でも、「あ、いつものか」くらいのKの意図を読み取り、そこここで笑いがこぼれてきた。


 本来ならMが猛抗議してもおかしくない、ひどい発言である。

 でなければ、「ちょっとセンセ、勘弁してくださいよー。いくら私でもそんなことしませんよー」くらいに、冗談っぽく諫める方法もあるだろう。


 しかし、凍り付いてしまったMには、そのどちらもできなかった。


***


 Mはその後、Kへの怒りや憎悪を心の奥底で飼いならし続けた。

 授業ボイコットとか、テストは全部白紙で出すとか、抗議の態度を示すことも少しだけ考えたが、内申点の問題もあり、どちらにしても「困るのは自分」でしかない。

 その後も自分だけ難問をぶつけられたものの、こんなは「思い過ごし」で済む程度のものに感じられた。


 令和の現代なら、いち女子中学生がSNSで少し漏らすだけでも大炎上だろうが、こ1980年代の田舎の中学校の、とるにたらない個人的な出来事で終わってしまった。


 しかしMの中では、全く「終わって」いなかった。

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