第22話 3
キッチンとリビングの境界線でふたりの様子を眺めた。
恵梨は果敢にもまた勝負を挑んでいる。三度目の正直となるのか、二度あることは三度あるなのか、その結末を見守ることにした。
結果は明久里の圧勝。残念ながら蟻と恐竜くらいの力の差があるようだ。
恵梨はほとんど自分のプレーをさせてもらえず、得意技も全て封じられていた。
たいして明久里は終始一貫、自分のリズムを守り、じわじわと嬲るかと思いきや、速攻で勝負を決めたりと、その戦術は色鮮やかだ。
もしかしたら、このゲームのプロになれるのではないか。
そんな夢みたいなことを考えてしまうほど、明久里のプレイスキルは圧巻だった。
だが、流石にそれは無理だろう。
「あ、碧山さん⋯⋯どうしてこんなに強いの」
「さあ、ただ動画で見てた動きを真似したら上手くいっただけです」
訂正しよう。こいつは神に選ばれた逸材だ。
動画で学んで真似出来ました。なんてゲームか簡単なものなら、世の中もっと猛者で溢れている。
現実は、上手い人のプレーを真似しようにも、そもそも実践で頭の回転が追いつかない、慌てて方法を忘れる、そもそもペースを握らせてもらえない。
あらゆる対戦ゲームやスポーツを、座学だけで学んでいきなりハイレベルにこなせる人間なんてひと握りだ。そういうのを世間では天才と言う。
では明久里はやはり天才なのか。
対戦相手が俺よりやや劣る恵梨だからできた技であって、上のレベルには通用しないのだろうか。
そこは実際に見てみなければ分からないが、可能性は示している。
「ねえはじめ、僕の仇取ってよ」
縋るような目で恵梨が俺を見る。
「いや、どう考えても無理だろ」
悔しいが、俺はあんなにあっさりと恵梨を倒すスキルは持ち合わせていない。
全勝といっても、危ない試合もあった。
ようするに、薄氷の全勝なのだ。
だが明久里は違う。やや大袈裟かもしれないが、恵梨の培ってきた時間や情熱を蹂躙している。
そう、蟻より少し強いくらいでは、恐竜には絶対勝てないのだ。
だから俺はその場から動くのを拒否した。
「へぇ、逃げるんですかはじめさん。恥ずかしいですね」
明らかな明久里の挑発だ。随分と安っぽい。
こんな時は無言を貫くに限った。
明久里は俺をが口を開くのを数秒見つめて待った後、首をやおらに前に戻すと、顎を引いて口角を上げ、意味深な笑みを浮かべた。
「まあ仕方ないですよね。はじめさんですから」
「どういいことだ?」
「はじめさんは所詮⋯⋯雑魚を狩って喜んてる敗北者ですから」
「⋯⋯っ! なんだと!?」
「おや、間違ってますか? 弱者を潰して越に浸り、強者に対しては戦う前から逃亡を考える⋯⋯敗北者そのものではありませんか」
「っ! 恵梨、コントローラーを貸せ」
脳内で誰かが俺を止めようとするが、突き進んで恵梨からコントローラーを強引に奪った。
ここまで言われれば、男として⋯⋯いや、人として我慢できない。
「ね、ねえはじめ。僕が頼んでアレだけどやっぱりかないっこないよ。なんか死亡フラグ立ってる気がしてしょうがないよ」
「うるさい⋯⋯こんなコケにされて黙ってられるか」
「あぁもうだめだ! 完全にはじめの負けだよこれ」
頭を抱えて叫ぶ恵梨を無視し、今日1度も使用していない、本気の時だけ使うキャラを選択する。
「へぇ、今日初めて使うキャラですか。何考えてるんです?」
「いいから早く選べ。その口塞いでやる」
「⋯⋯まあいいですよ」
明久里が先程と同じキャラを選び、勝負が始まった。
始まってすぐ俺が仕掛けた先制攻撃は容易く躱され、ダメージを稼がれてしまった。
そして体勢を立て直そうにも、蟻地獄のような明久里の執拗で細かなコンボに翻弄され、開始10秒⋯⋯いきなり不利な状況になった。
「やっぱり碧山さん強すぎるよ⋯⋯」
「黙って見てろ恵梨⋯⋯そろそろこいつを増長させるわけにはいかないんだ」
今度は俺が慎重に距離をとると、明久里が速攻を仕掛けくる。
空中からの攻撃、読んでいた俺はガードを張り、すぐさま反撃に移る体制を整えるが、なんと明久里は、ガードに向かって攻撃するのではなく、とっさにガードを無効にできるつかみ攻撃を仕掛けてきた。
「んなっ!?」
俺がガードを張って間合いに入るまで、1秒も無かった。
最初からそのつもりだったのか、咄嗟の判断でつかみ技を選択したのか、そこからは先程と同じく、テクニカルなコンボに翻弄され、ついに俺は追い込まれた。
最後の復活をし、ふと画面をよく見ると、俺は明久里にまだ一撃もダメージを与えていなかった。
「ば、化け物だ⋯⋯」
初期位置での睨み合いが始まる。
明久里は何故か攻めてこない。絶好のチャンスだが、コントローラーを握る手が震えて動かない。
オンラインでは、基本的に自分と実力が近い相手とマッチするようになっているので、こんな一方的な試合をしたことが無い。
勝っても負けても接戦、結果的に差がついても、それは運によるものが大きく、対戦してみて実力差を感じることは少ない。
初めてだ。これほど圧倒的な実力差がある相手に打ちのめされることは。
恥ずかしいことに、俺の両足は震え、目には涙も溜まっている。
今は涙袋の上で耐えているが、時期にダムが決壊し、頬から下へ溢れ出すだろう。
「は、はじめ⋯⋯ごめん⋯⋯僕のせいで」
恵梨の声がやけに遠く聞こえた。
「では終わらせますか」
あろう事か、俺は対戦中に画面から目を離し、明久里の手元を覗いた。
キャラ移動のために使用するスティックに、左手の親指が掛かり加速する。
目で負えないほどのボタン入力が行われ、頭の処理が追いつかず、呆気にとられて画面に目を戻すと、知らない間に勝負か終わっていた。
「やはり⋯⋯敗北者は敗北者でしたね」
敗者は、勝者に対してはなんの反論もできない。
言い返したところで惨めになるだけだし、誰も敗者の言葉に耳を傾けたりなんてしないからだ。
敗者にできることは、惨めったらしく項垂れるか、前を向くことだけだ。
「強すぎるだろ⋯⋯」
もはや完敗すぎて、悔しさはどこかへ過ぎ去っている。
ただひたすら、心の中で勝者への拍手を送った。
「ということで、私とおふたりでは勝負にならないので、ふたりで楽しんでください」
雑にコントローラーを渡しながら、明久里はソファの上で寝転がった。
「じゃ、じゃあさ、2対1ならどうかな? 僕とはじめが組めば、それなりに戦えるんじゃない?」
横からそんな提案が飛び出す。
がしかし、明久里は乗り気でないのか、膝を折りたたんで寝転がったまま動く気配がない。
「まあたしかに⋯⋯実力差があっても同時にふたりを捌くのはキツイはずだよな。どうだ明久里」
「⋯⋯さすがに負けそうなので遠慮します」
あっさりと明久里は引き下がってしまった。
心做しか顔が赤いように思える。断ったことに悔しさを覚えているのだろうか。
「敗北者になっていいのか」
「私ははじめさんと違って単細胞人間ではないので、タイマンなら負けませんし」
不良みたいな台詞を吐きながら明久里の体が揺れた。助け舟を出したつもりが、どうやら必要なかったらしい。
「でもせっかくなんだから碧山さんとも遊びたいよねー」
軽快な声が隣から発せられる。
まあたしかに、何もせずここに居られるのもやりにくい。
それなら、明久里も参加してくれる方が過ごしやすい。
「じゃあ他のゲームするか? 明久里もそれならどうだ」
「⋯⋯そうですね⋯⋯では」
むくりとこちらに顔を向けたと思うと、明久里は身体を起こして立ち上がった。
そして俺達を一瞥すると、部屋から出ていった。
「お、おい明久里⋯⋯」
声をかけるよりも先に、壁の向こうに姿が消える。
「どうしたんだろうね」
「さあ⋯⋯あ、もしかして」
「ん?」
その時ピンと来た。
きっと、昨日届いた荷物の中に好きなゲームのカセットでも混ざっていたのだろう。
ただ海外でゲームしていたとなると、日本語版じゃない可能性がある。
初めてのゲームの場合は、明久里が優しくレクチャーしてくれることを祈ろう。
「いや、すぐ戻ってくると思うぞ」
コントローラーを操作し、もう一度恵梨と対戦し始めた。
明久里がいつ戻ってくるか気にしながらの対戦は、思いのほか接戦となったが、辛くも俺が勝利した。
「ねえ! 僕今日全然勝ててないんだけど!」
「腕が落ちたな、むしろいい傾向だ」
「え?」
「俺や明久里みたいな暇人より余程いいって意味だよ」
横目を向けると、恵梨は困り眉を作って苦笑いしていた。
「で、でも。はじめも碧山さんも今は部活してるでしょ? それにはじめは元々家庭科部だし」
「まだ3日しか活動してないけど、多分明日からは暇だぞ。そうそう依頼なんて来てたまるか」
「まあそれもそっかぁ⋯⋯。ところでさ」
「ん?」
何か言いたげな恵梨に、目だけでなく顔全体を向けると、困り眉が治り、いつもの容貌に戻って口を開いた。
「どうしてはじめもその部活始めたの? あんまり乗り気じゃ無さそうだけど」
「あー⋯⋯」
気の抜けた声でガス抜きをし、口を閉ざした。
入った理由なんて、明久里の胸に脅されたから以外にない。
胸に脅されたというのは、あのふくよかな
だが当然、そんなこと言えるはずがない。
胸に爆弾があって、なんてことは以ての外だし、脅されたと言えば恵梨の明久里への心象が地に落ちるだけだ。
「⋯⋯まあ成り行きだな」
「えー、ちゃんと教えてよ」
これでは納得がいかないのか、恵梨が俺の肩を揺らす。
「付き合いだよ付き合い?そそっかしいあいつをひとりにするのは不安だったから」
「ふーん⋯⋯」
怪訝そうな目を向けてくるが、引き下がったのか、頷きながら何も言ってこない。
それにしても、明久里はいつまでゲームを探しているのだろう。
まさか2階に閉じこもったわけではあるまい。
「優しいねはじめ」
2階に続く天井を見上げていると、俺を讃する声がした。
「ん? そんなことないと思うけどな」
顔を見ながら言うと、恵梨の瞼が若干下がった。
「そんなことあるよ。いつのまにか僕とはあんまり仲良くしてくれなくなってたけど」
「⋯⋯」
「ずっと悩んでたんだよ? 急に離れちゃったから」
確かに、この1年ほどは、先日クッキーを渡した日まで、ほとんど挨拶すら交わさなかった。
だがそれは別に恵梨を嫌っていたからではなく、俺なりに気を使って距離を置いただけなのだ。
ただ、その必要が無くなっても元の距離に戻らなかったのは、完全に俺の失態だ。
「それは⋯⋯だってなぁ」
「だって?」
「⋯⋯いや、なんでもない。ただ会う機会が無かっただけだろ。恵梨は部活で忙しかったし」
説明するのを脳が拒み、口篭ってしまう。
ただ言うのが恥ずかしい。
他人が聞けば、笑っちゃうような理由かもしれないが、俺としては大真面目で、そして口に出すのが気恥しいのだ。
「お待たせしまたご両人」
気まずい沈黙の中、手を伸ばしたくは無い救いの手が廊下からやってきた。
なんともいいタイミングだ。
それにしても、階段を降りる足音はいつしたのか、全く気に止めてなかったせいか、耳に入らなかった。
「おや、少し空気が重いような。どうしました?」
そう言いながら歩く明久里の口と足取りはどこか軽い。
そんなに人が曇っているのが嬉しいのだろうか。
性格が悪すぎる。
「なんでもないよ」
「なんでもない」
恵梨とほぼ同時に同じような台詞を放った。
明久里の手に握られたゲームのパッケージに目を移しながら、俺はさらに続けた。
「で、何持ってきたんだ」
「これです」
目の前に立ち止まり、明久里からパッケージを手渡される。
明久里がしたいゲームというのが、全く読めないが、どうせロクなものではないだろうと、それだけは確信していた。
『my sweet reincarnation sister〜私と貴方の恋物語9』
タイトルの上には、タキシード姿のイケメンが大きく写り、その上部後方に小さく美少女達が3人並んでいる。
「まさかの恋愛シュミレーション⋯⋯しかも9て、どんだけ出てるんだよこの謎シリーズ。あと男落とすんじゃなくて、女の子落とすゲームぽいけど、いいのか明久里?」
「はい。前作まではプレーしましたけど、今作はまだ触ってないので。よかったらおふたりと鑑賞したいなと」
俺の肩に手をかけ、恵梨がパッケージを覗いた。
黙っているから分からないが、困惑しているに違いがない。
まあ、したいゲームを持ってこいと言ったのは俺だから、ジャンルに対して文句を言うつもりは無い。
ただしかし⋯⋯
「これおひとり様用じゃないか」
「はい。だからはじめさんか恵梨さんにしてもらえればと」
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