第21話 2



「やっほー。きたよ」


 インターホンのモニターを見ることなく直接玄関を開けると、黒いショートパンツにゆとりのある白い長袖の服という簡素な服装に、茶色い肩掛けバッグとスーパーの買い物袋を持った恵梨が、すでに敷地内に入っていた。


「思ったより早かったな」


「スーパー開店同時に入ったからね選びたい放題だった」


 恵梨が買い物袋を持った手を伸ばす。

 受け取って中を除くと、ぱっと見て玉ねぎと豚肉、それにチューブではなく、ちゃんとした生姜が入っていた。


「生姜焼きをご所望ですか」


「うん。あんまり思いつかなかったしねー。唐揚げとかもいいかなと思ったけど」


「揚げ物は後が面倒だからな⋯⋯選択してくれなくてよかった」 


 と話していると、恵梨が家に上がろうとするので手で静止した。

 若干驚いた恵梨は体を引き、足を止めた。


「どうしたの?」


「まず最初に確認だ⋯⋯これからこの家の中で見たことを他言しないって誓えるか」


「あー、そんなこと言ってたね。大丈夫だよ。大抵の事じゃ驚かないし。どうせあれでしょ? エッチな本が落ちてるかもーとか、そんなことでしょ?」


「今どきエロ本持ってる高校生なんていないんだよ。子供達がエロ本ゆめを拾う楽園エデンはもう死に絶えたんだ」


「⋯⋯なにいってるのはじめ?」


 つい話しが逸れる。というより女子にしていい話ではない。

 ただ幸いなことに、恵梨は小首を傾げただけで、表情に嫌悪感などは見えない。


「まあいい⋯⋯とにかくだ! 絶対秘密にできるな?」


「大丈夫だって。僕口は固いよ?」


「もし他言したら⋯⋯小指の1本は失う覚悟あるか?」


「⋯⋯そこまで隠したいなら断ってもよかったんだよ?」


「⋯⋯いや、それは⋯⋯遊びたかったから」


「なにそれ、可愛いね」


 あははと笑いながら、恵梨は俺の横を通り抜け、家に入った。

 

「大丈夫安心して。犯罪の臭いでもしなきゃほんとに言わないから」


「いや、だったらほんとに断ってたわ」


 玄関のかまちで踵を揃えて靴を脱ぎ、恵梨が家の中へ入っていく。


「お邪魔しまー⋯⋯」


 リビングへの入口に身を乗り出した瞬間、快活な声が突如途切れ、入口と廊下の間で静止した。

 

「な、秘密にしてくれよ頼むから」


 困惑した恵梨の肩を叩き、先に脇を通って部屋に入る。


 何故か明久里は、ソファの上で膝を抱えて丸くなっている。

 

「とりあえず入れよ」


 基本的に恵梨は笑顔を絶やさない人間だが、今の顔からは笑みという概念が消え去り、ただただ困惑の色を見せた。


「もしかして僕⋯⋯お邪魔だった?」


「いや、むしろ来てくれてよかった」


「え⋯⋯で、でも、碧山さんがそこに⋯⋯」


 明久里は小さく会釈だけすると、膝を抱えたままソファに倒れ込んだ。

 まるでその姿はダルマだ。ダルマなら起き上がるが、彼女は倒れたままだ。


「あー、実はな。俺と明久里が親戚ってのは知ってるだろ? それで明久里の親が海外に転勤になったんだけど、海外行きを拒んでこの家に転がり込んだんだよ。で、転校してきたってわけ」


 頭を掻きながら、咄嗟に思いついたエピソードを語る。内容に無理は無いはずだ。

 親の海外出張なんて、思春期の子なら同行拒否してもおかしくは無い⋯⋯だろう。


「ほんとに?」


 ずっと戸惑っていた恵梨が訝しむような目を向けてくる。


「それだけならそんな必死になって隠す必要ある? ただ親戚が同居してるだけだよね? 珍しいけど変な話でもないよ」


 恵梨の顔が接近する。

 完全に俺の言い訳を疑っている。


「そうは言ってもなぁ。俺の両親も海外行ってていないし、ふたりだけなんだぞ。あんまり人に知られて面白可笑しく詮索されたくないんだ」


 とりあえずの言い訳としては及第点だろう。

 明久里の秘密については一切仄めかさず、思春期男子らしい内容となっている。

 多少納得したのか、恵梨は顔を引くと、人を怪しむ目を収め、軽く微笑んだ。


「なーんだ。そんなことならあんな必死にならなくてもよかったじゃない」


「いや、絶対にあいつだけには知られたくないって人間が、俺とお前の傍にはいるからな」


「⋯⋯ああ、水樹のことだね⋯⋯それは仕方ないよ⋯⋯うん」


 同情の眼差しで頷きながら、恵梨はソファの方へ進んだ。


「じゃあ今日はお邪魔するね碧山さん」


 倒れたままの明久里の横に座ると、いつもの明るい声で言った。

 しかし、倒れたままの明久里は、態度酷すぎるだろう。


「どうぞ。私は男女が本気で戦う姿を高みから拝見させてもらいます。思う存分やり合ってください」


「⋯⋯お前はデスゲームの管理人か⋯⋯」


 キッチンに向かい、テーブルの上に買い物袋を置きながらツッコむ。

 まずは食材を冷蔵庫に閉まった。

 そして冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出し、ボトルとコップを3つ、お盆に乗せて運んだ。

 先に入れようかとも思ったが、最初からそれぞれ欲しい分を足していく方式にした方がいいだろう。

 なにせ恵梨は夕方まで居座るつもりなのだ。


 テーブルの上に盆を置くと、恵梨はすでにゲームの電源を入れて、自分のコントローラーを俺のゲーム機に接続していた。


「よし。じゃあ最初はこれでいいよね」


 接続したコントローラーを持ち、勢いよくソファに座った恵梨と知らない間に体を起こしていた明久里を挟むように座る。

 恵梨が選んだゲームは、総勢50人程のキャラクターを操作できるお手軽格闘ゲーム。

 もう発売して何年か経つか、未だに人気は高く、オンラインに潜れば対戦相手は秒で見つかる。

 ただし、残ったのは猛者ばかりなのか、俺のような半端者はいつも虐げられてきた。


 だがそんな俺でも、昨年まで恵梨との勝率は若干俺が勝ち越していた。

 だから今日も俺が勝ち越す。

 そして勝ち越せば、明久里に嫌味を言われることも無いだろう。 



 ────


「今度こそ喰らえ! ブラッディーバーニングアタック!」


「はぃ⋯⋯回避してトドメ」


「ぐああああっ! ちょっとはじめ強すぎない!?」


 ゲーム開始90分。

 結果は俺の圧勝だった。

 予想外ではあったが、数十戦して、負けたのは数える程だ。

 この1年間、時々してはいたが、それほどハマった期間はなく、殆どはオンラインで負ける度に不貞腐れて辞めるという、小学生みたいなことを繰り返していた。

 サッカー部や日常が忙しくて、恵梨はゲーム自体が久しぶりなのだろうか。

 それにしても弱体化している。いや、俺が強くなってるのだろうか。

 猛者達に虐げられる日々が、俺を強くしたのだろうか。

 俺を泣かしてきた猛者達の中には、小学生くらいの年代も沢山いただろう。

 きっと顔も知らぬ彼らが、知らぬ間に俺を鍛え上げていたのだ。


 ありがとう。俺の血肉となった老若男女達よ。


「さすが暇人ですね。青春真っ盛りの女子高生虐めて楽しいですか」


「いや⋯⋯俺も青春真っ盛りの男子高校生なんだが

⋯⋯」


 人が気持ちよくなっていたところに、突如横腹を突かれた。いや刺された。

 ずっと俺達の戦いを無言で見守っていた明久里が突如牙を剥く。

 だが今の攻撃は、あくまでジャブでしか無かったのか、それ以上の追撃は来ない。


「あはは⋯⋯それにしてもはじめ強くなったね。僕びっくりしちゃった」


 俺の精神が削られていると、すかさず恵梨がフォローに入った。

 

「いや、強くなるような事してないんだけどな。なんか調子がいい」


 ふとテレビの奥にある時計に目を向けると、昼が近づいていた。

 

「交代だ明久里、昼の用意するから相手してやってくれ」


 コントローラーを差し出すと、両手を膝に抱えたまま、一瞥された。


「私⋯⋯あんまりこういったゲームは得意ではないのですが」


 明らかに不機嫌だ。

 明久里の向こう側で、ニコニコしながらコントローラーが譲渡されるのを待つ恵梨は気づいてないようだが、明久里の目にははっきりと「面倒臭い」という文字が書かれている。 


「ほら、これも部活の一環だ」


「どうして部活が関係するのですか? 今はプライベートの時間ですよ」


「いや⋯⋯お前が言ったんだぞ。この部は休日も活動するって」


 俺が言っても、明久里は気だるそうに無気力な目で俺を見るだけだ。

 もし爆弾のタイマーが鳴ったらと心配になるが、ポケットの中のスマホからは、その情報は受け取れない。


「なあ恵梨。恵梨も明久里とやってみたいだろ?」


「うん。碧山さんとも遊びたいなぁ。仲良くなりたいし」


 無邪気な子供のような言葉と笑顔を浴びると、荒んでいる心が洗われる。

 それは明久里も同じなのか、若干表情が緩んだ。


「ほらな。依頼だ。てことでよろしく頼む」


「⋯⋯わかりました」


 明久里が渋々コントローラーを受け取ったので、俺はキッチンに向かい昼食の用意を開始した。

 米から炊かなくてはならないので、まず炊飯器を洗った。 


 俺が明久里にコントローラーを押し付けたのは、ただ恵梨の相手をさせるためでは無い。

 というか、休憩なしで1次間以上ゲームしているのだ。本来なら15分の休憩を取るべきだ。

 それなのに恵梨に更に戦わせるのは、明久里がどのくらいゲームできるのか知り、出来れば明久里が負ける姿をこの目に見たかったからだ。

 

 ゲームに負ければ、怒りと悔しさで心拍が上がる可能性はあるが、それを加味しても、あいつの負ける姿が見たかった。

 あらゆる場面で腹が立つ明久里が悔しがる姿を見れば、心が晴れる気がした。

 先程恵梨のスマイルと発言で心が浄化されたはずなのに、もう悪化している。

 だがそんなことは些細なことでしかない。

 とにかく、明久里が悔しがる姿が見たい。

 危なくなったらすぐに駆けつけて落ち着かせる。

 もし落ち着くことなく爆発寸前になったら⋯⋯その時は何とか他に被害が出ないように対処し、俺と明久里のみが犠牲となって全ての責任を父に背負わせよう。 


 冷たい水の中で、サラサラと音を立てながら釜の中を回転する米粒ひとつひとつの滑らかさと温度を手で感じながら、明久里が負ける姿を想像した。

 ちなみに、米は我が家のものだ。


「うわああああああ!」


 だがしかし、聞こえてきたのは恵梨の断末魔だ。

 はやい。早すぎる。キャラ選択して試合が始まったとしても、まだ序盤のはずだ。

 気になった俺は、釜の中で白く濁ったとぎ汁を捨てるのさえ時間がもったいないと、そのままにしてリビングに戻った。


「そんな声出してなにが⋯⋯」


 口角を上げてほくそ笑む明久里と、頭を垂れて項垂れる恵梨。

 ゲーム画面を見なくとも、一目で勝敗の帰趨は察したが、念の為テレビ画面を見ると、そこには恵梨愛用のキャラが項垂れ、明久里が選択したであろうゴツいおっさんキャラが勝利のガッツポーズをする姿が。


「え⋯⋯明久里勝ったのか」


「はい⋯⋯勝つのは構いませんよね? 依頼者を気持ちよくするため接待プレイしなければならない、なんて理念はQOS部にはありませんし」


「あぁ⋯⋯うん⋯⋯俺は知らんけどいいんじゃない?」


 画面に顔を向けたまま、横目で睨むように俺を捉えた明久里。もしかしたら、俺の意図を見抜いたのだろうか。だとしたら怖すぎる。

 それにしても、恵梨の落ち込み方が尋常じゃない。


 リザルト画面が閉じられ、キャラ選択に戻ってなお、俯いたまま戻ってこない。

 まるで放心状態にでもなったのだろうか。

 そう思っていると、勢いよく顔を上げ、涙目になって口を真一文字に結んだ姿が現れた。


「も、もう油断しないから。碧山さん、次は覚悟しててよね。もう僕加減しないから」


 震えた声で強がりを言っているが、残念ながら勝敗は見えている。

 俺はキッチンに戻り、そのままにしてあった釜から米が流れないように水だけを捨てた。

 数十秒後には、また恵梨の無念の叫びが聞こえた。

 その声をBGMに、いつもより少し多い米を研いだ。


 ────さて。あのモンスターをどう止めよう。


 俺が戻れば、明久里のターゲットがこちらに移るのは火を見るより明らかだ。

 恵梨が完敗する相手だ。正直俺では歯が立たないだろう。

 とりあえず、今からハートを強く凝固なものに変えて置く必要があった。

  

 

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