第10話 爆弾少女とQOS

 画面のおよそ3分の1を大きなハートマークの中に、70前後をうろうろする数字が書かれ、ハートマークを横に割るかのように、ギザギザの横線が右から左へ波打って流れている。


 1秒事くらいに、ハートマークが鼓動することから、これは間違いなく、明久里の心拍数を表しているのだろう。


 1分間に約70⋯⋯ほとんど正常だろう。


「父さん⋯⋯これはプライバシーの侵害じゃないのか」


 別にこの数字を見たからって、何か悪い事ができる訳では無い。

 むしろ俺としては、鼓動が高まっている時なんかに危険を知れて都合がいい。

 しかしそれでも、心が綺麗な俺は、僅かな罪悪感を覚えた。


「気にしなくていいぞ。ほとんど医療行為だから」


 さすが普段から老若男女問わず診察している父だ。

 心拍を監視することなんてただの作業としか思っていない。


「わかった」


「とりあえず心拍が120を超えるとアラームが鳴るからどうにかしてくれ。ちなみに確認したところ、爆弾のタイマーが作動するのは140を超えてからだ」


「はぁ、かなり高いな。まあわかった」


 スマホのモニターでは、今少し上がって75前後をうろうろし、心做しか波が高くなっている。


「後そのアプリはまだ作りかけだから、パッチが出来たらまた連絡する」


「これもしかして父さんが作ってるの?」


「まさか、俺の知り合いに頼んだんだ」


「⋯⋯そうだよなぁ」


 ふと向かいの校舎から、吹奏楽部の誰かと目が合う。

 名前も学年も知らないその人は、ここでひとり電話している俺を数秒見つめたあと、トランペットを構えた。


 他の部員と練習の音を被らせないように、みんな離れて練習しているのだろう。

 軽快なトランペットの第一声が響いた。

 よく耳を傾けてみると、トランペットの他にもフルートやトロンボーン、ホルンなどの音もするし、グラウンドの方からは運動部の声も聞こえた。


「なあ父さん」


 環境音を意識し始めると、急に自分の声が遠くなった。


「どうした?」


 そのせいなのか、父の声も聞き取りづらい。


「明久里ってさ、そっちで暮らしてたんだよな?」


「ああ」


「それにしては日本語上手いし、そもそも日本人だし、何があってこんなことになったの?」


 我が家にやってきた日は聞けなかった明久里の謎。

 今を逃せば、きっと俺が自発的に探ることは無くなるだろう。

 電話の向こうからは、父の唸る声が聞こえた。


「あー⋯⋯明久里はそもそも日本人の親から生まれた日本生まれ日本育ちなんだ。で、両親の仕事の都合で海外を飛び回ってたんだけど、ずっと現地の日本人学校に通っていたらしい」


「だから普通に喋れるんだな。冷静に考えると海外育ちのくせに日本語上手すぎないかって思ってたんだよ」


「まあそれはそうだわな。でまあ、明久里の両親とは昔から知り合いだったんだけど、何故こんなことになったのかは俺も知らない。知ったのは事後だ」


 こんなこととは、胸に爆弾が埋め込まれた事だ。

 俺は父の言葉を一言一句聞き漏らさないため、通話のスピーカーを付けた。


「だから俺からは何も言えないし、あんまり明久里に尋ねるのもやめてやってほしい。両親やそのことはあいつも辛いだろうからな」


 父の声色は、哀愁と共に改まった声で俺に警告をしている。あまり詮索するなと。


「うん。わかった」


「あれぇ、あっさり引き下がるのな。もっとグイグイくると思ってた」


 父の声がすぐさまいつもの軽く柔らかいものに変わる。


「別に教えてくれないならそれでいいしな。タイミングがいいから何となく聞いただけで、そこまで知りたいとも思っていない」


「ひゅー、現代っ子は冷めてるね〜」


 画面の向こうから甲高い口笛の音がした。

 明久里について話す気がないなら、もう用はない。

 

「まあ、じゃあ切るから」


「ああ、明久里の事頼んだぞはじめ。あともちろん、自分のことも大切にな」


「ああ、明久里を連れてこなきゃその言葉に感動してたよ」


「ははははっ。そうかそうか。じゃあ身体には気をつけろよ」


「うん。父さんもね」


「じゃあな」


 最後に親子らしい会話をし、通話が途切れ、スマホはホーム画面に戻っていた。

 家庭科室に戻るため回れ右をし、廊下に向けて足を踏み出す。

 そのまま歩き始めながら、先程のアプリを起動する。

 70前後で安定する脈を見て、俺は安堵の息を漏らした。 


 このモニターに今映し出されているのが、明久里の鼓動を表している。

 明久里二何らかの異変があれば早くなり、危険を知らせてくれる。

 便利な物だが、緊急時以外はあまり見たくない。


 俺はスマホの電源を切ってポケットに入れ、家庭科室へ戻った。


「どうもお待たせしました」


「大丈夫だよ。今みんな生地寝かせて暇だから」


 部室に戻ると、皆はそれぞれ時間を潰し、部長も宿題を片付けていた。

 俺も自分のポジションに戻り、富山君の向かいに腰を下ろした。

 すると、椅子とお尻が接着した途端、またスマホが鳴った。

 今度は電話ではなく、メッセージの通知を伝える短い音だった。


 父がなにか言い忘れたことがあったのかと急いでスマホを取り出す。

 ロックを解く前の画面に現れたのは、父からのメッセージではなく明久里からのメッセージだった。


『クッキーは出来上がりましたか? こちらは無事部長になれました。』


 メッセージを開くと、そんな報告と遠回しなクッキーの催促が書かれていた。

 ただの報告と要求と思いきや、さらにメッセージが届く。


『とりあえずどんな部か説明したいので、はじめさんに来て欲しいです。北校舎3階の一室に来てください。扉は開けてるので』


 北校舎はこの東側校舎から廊下を進んですぐの所にある。

 北校舎はスボーツクラスの教室と保健室があるが、あまり行く機会は無い。

 

 今は生地を寝かしている時間だし、後は型を取って焼くだけだ。俺が居なくても問題は無いはずだ。


「すみません部長」


「んー? どうしたの」


 宿題に苦戦している様子だが、態度はいつもと変わらない。


「明久里に呼び出されたので、ちょっと行ってきていいですか」


 部長は瞼を上げて俺を見上げ、すぐに口を開いた。


「うん、いいよ。どうせ後は焼くだけだしね」


「ありがとうございます」


 部長の了承を得て、俺は鞄を持って家庭科室を出た。

 部屋を出てすぐ、ポケットのスマホを取りだし、さっきのアプリを起動した。


「っ!?」


 つい先程まで安定していた明久里の心拍が110近くまで上がっている。


 俺は左足を蹴り出し、急いで廊下を走った。

 雨の日のサッカー部や野球部並の速度で階段を駆け上がり、明久里の言った3階へ到着した。

 北側校舎の廊下からは、向かいの南校舎がはっきりと見え、校舎を夕暮れで染めている。


 ざっくりと左右に伸びる廊下を見回すと、西側奥の扉が開いていた。

 ずっと握っていたスマホに移る心拍数はまだ高い。


 さらに少し走って、教室の前に着いた。


「明久里!」


 一体何が彼女を興奮させているのか、その原因が教室内にあるなら、取り除かねばならない。


「こら、廊下を走るのはダメだよ業平君」


「えっ? 山本先生?」


 教室の中から横目を向けてきた山本先生を見て、俺の中の熱が急速に冷め、肩透かしを食らったように略奪した。


「なにしてるんです?」


 明久里と山本先生は、教室の後方に押しのけられていた机と椅子を2つ中央でくっつけて向かい合い、ふたりともなぜかおでこにトランプを1枚密着させている。

 明久里は真剣な様子で、目を細め眉間に皺を寄せながら、訝しむように先生の額のカードを凝視していた。


「これ? インディアンポーカーだよ」


 先生の説明を聴きながら教室に入る。

 インディアンポーカー。その名を聞いたことはある。

 カードをそれぞれ額に当て、自分のカードは見れない状態で相手のカードを確認し、勝負するか降りるか選ぶゲームだ。

 ギャンブルにも取り入れられるゲームであり、考えたくは無いが、明久里の心拍数が上がっている原因は恐らく。


「先生、何賭けてるんですか」


「ジュース賭けてるだけだよ。⋯⋯はっ!?」


 己の発言に気がついた先生が大慌てで首を急旋回してこちらを向くがもう遅い。

 生徒と賭けをしている現場をしっかりと抑えた。


「お願い業平君秘密にして。私が勝ったジュース全部あげるから」


「生徒から巻き上げた物で買収しようとしないでくださいよ」


 先生に呆れつつ、後ろの机に鞄を置く。

 何故かさっきから喋らず、未だ心拍も高い明久里を見守りながら、俺はふたりの横に立った。


「じゃあ碧山さん、この勝負で最後ね。碧山さんが勝てたら全部チャラでいいから」


 ──この人悪魔だな。


 まるで先生は明久里に情けを見せているかのようだが、明久里のカードの数字は3、先生のカードは6だ。

 当然、先生は自分のカードを見ることが出来ないが、明久里の数字からして負ける確率はかなり低い。


 このゲーム、勝負から降りてダメージを最小限に抑える方法もあるが、先生は今の発言で明久里が降りれないように仕向けた。


「わかりました。勝負です」


 まんまと乗せられた明久里は開眼しながら、重厚感のある声を震わせながら言った。


「はぁい。じゃあじゃあせーの」


 どこぞの悪徳詐欺師のようにほくそ笑む先生の合図で、それぞれがカードを開示する。


「はぅっ!?」


「はい残念。先生が2ポイントゲットだから、これでジュース6本ね」


 開示された先生のカードは10。

 明久里も普通なら勝負を降りていただろう。

 だが負けをチャラにするという誘惑に負け、勝負を挑んでしまった。

 果たして、明久里のカードが強かったなら、先生はそんな提案をしただろうか。


 負けて明久里は切なそうに視線を落としている。

 どれだけ心拍に変化があるのかと画面を見てみると、以外にも数値は下がっている。

 もう勝負は着いたので、緊張も解けたのだろう。


「先生まさか、ほんとに明久里に奢らせるつもりですか」


 俺は明久里への同情から、そんなことを聞いた。

 途端、先生は勝ち誇った歪な笑みを浮かべ、蛇が獲物を捕食する時のように口を開き、眼鏡のレンズが光った。


「当然だよ業平君。碧山さんもその覚悟があって挑んだんだから。勝負に先生も生徒もないの。1度賭場に立ったからには皆平等だよ」


 眼鏡をクイッとしながら、先生は笑い声を零した。


「まさか先生が生粋の賭博師だとは⋯⋯。先週の横井のレースはどうでした?」


「1番人気単勝」


「なんだ。ただのカモ狩りじゃないですか。もっと勝負してくださいよ。それじゃほとんど儲けないでしょ」


 思ったまま率直に言うと、シュン⋯⋯という効果音がそのままなりそうな雰囲気を醸し出した先生が、肩を落とし丸くなった。

 眼鏡の奥の瞳に、僅かな水気が含まれる。


「だって⋯⋯今月もう負けられないんだもん」


「いや、まだ3週目ですよ今月⋯⋯ていうかだったら賭けなきゃいいじゃないですか」


「それが出来たらギャンブルなんてしてないよっ! じゃあ碧山さん、明日から日割りでジュースよろしくね。業平君は副部長としてしっかり碧山さんとこれからのこと話し合って! 先生はもう行きます」


 そう言いながら先生は俺達に背中を向けた。


「山本先生、顧問引き受けてくれてありがとうございました」


 明久里が席を立ち、立ち去る先生に頭を下げた。

 ただ生徒をカモにして遊んでいただけと思いきや、顧問になってくれていたとは驚きだ。


「うん。じゃあ碧山さん、頑張ってね」


 背を向けたまま手を振って先生は退出した。

 賭博師というまさかの一面に評価が下落したが、まさかの顧問を引き受けたということで回復し結果現状維持となった。


「よく先生が顧問になってくれたな。ていうか明久里、先生と賭けながらメッセージ送ってたのか」


 明久里とふたりきりになった教室で、先程まで先生が腰掛けていた椅子に座り、机に広げられたトランプを束ねた。


「はい。報告するの忘れてたので。顧問の件についてはあっさりと。生徒の希望にはできる限り応えるのがこの学校の校則でもありますから」


「生徒に向けてじゃなくて教師に向けての校則か。創始者に感謝だな」


「ですね」


 そう言いながら明久里も向かい側に腰掛けた。


「で、この部の活動とか名前は決まったのか?」


 明久里は座ったばかりのその場所から立ち上がり、俺の横を通って教室の前へ向かった。


「名前はとりあえず仮ですが⋯⋯」


 明久里は黒板の下に置いてあったチョークを手に取ると、黒板に大きく文字を描き始めた。


「Quality of school部? なんだそれ」




 

 



 

 

 

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