第4話 2

 まず富山君は、粉末のバジルとパセリ、そこにさらに粉チーズを入れ、マヨネーズと塩胡椒で味を整えた洋風卵焼きを。部長はカツオ粉に青のりと紅しょうが、そこにお好み焼きソースを加えた、お好み風卵焼きを作ろうとしている。


 ただケチャップを入れるだけの俺とは大違いだ。


「ふたりともいきなり飛ばしすぎじゃないか?」


 別にそういうアイデアが浮かばなかったとかでは決してない。

 ただ最初は明久里のリクエストを汲んでやろうという、俺なりの優しさが表れただけだ。


「まあ、来る前から何となく考えてたし」


「うん。私は食材見て決めたけどね」 


 ふたりは巧みな手捌きで卵をかき混ぜながら言った。

 部長はともかく、富山君のそのやる気はいったいどこから芽生えたのだろう。

 別に勝った負けたの話ではないが、ただケチャップを入れた卵焼きでは、俺の料理人としての探究心が納得しない。


「明久里、他に入れて欲しいものないか」


「ないです。それが1番好きなので」


 だからお前は某ネズミの仲間か!

 と今度こそ喉から吐き出そうな言葉を飲み込み、目分量でケチャップを入れて混ぜる。


 そうして十分に温まったフライパンに少量の卵を入れて伸ばす。

 ちょうどその時、遅れてきた安藤さんと片岡さんがほとんど同時に入室した。


 部長は手を止め、ふたりに見学者かいることを伝え、適当に始めるよう促した。

 

 卵の状態を確認しながら、明久里に軽く目を向けると、立ち上がって見下ろすその目は、俺のフライパンよりも隣の富山君の方を向いていた。


 ──お前が始めた物語なのに。


 唇を噛み締めていると、この空間に慣れたのか、明久里は部屋を見回すように動き出し、前の台で調理している部長と片山さん、俺達の横、真ん中の台で開始した安藤さんの様子を見にいった。


 両手を後ろで組みながら、若干身体を丸くして吟味する姿は、さながら審査員のようだ。


 ──あいつ、慣れれば結構グイグイ行くタイプか。 

 

 目の前の卵焼きと格闘しながら、明久里の新たな一面について考えた。


 まだ最後に残った卵を流し入れたところだが、もう既に美味しそうとは思えない。

 卵の黄色と、薄い赤なのかオレンジなのかというような中途半端な色が、不規則な線状を型どり、さらには隣から漂ってくる粉チーズとバジルの匂いに負けて、なにも香ってこない。


 だがとにかく、最後にひっくり返し、長皿に乗せて完成した。


「明久里、出来たぞ」


 部長の工程を、話しながら興味深そうに観察している明久里に声をかけると、トコトコと最初に座った席に戻ってきた。

 明久里の前に完成した卵焼きを置く。


 まだ明久里はなんのアクションも起こしていないが、食指が動いていないのは明白だ。


「とりあえず食べてくれ⋯⋯注文通りだ⋯⋯」 


「はい⋯⋯ではいただきます」


 箸を一膳渡すと、明久里は卵を薄く箸で割き、口に運んだ。

 咀嚼する表情に、変化は見られない。


 何となく俺も食べてみると、なんとも言えない気分になった。


「どうだ? 忌憚のない評価を頼む」


「はい。まああれです⋯⋯はい」


 まさかのほぼノーコメント。

 美味くもないし不味くもない。

 そんな感想を、言葉にせずとも声色と態度から伝えてきた。

 別に、俺の腕や発想か悪いわけではないのだから、なにも感じなければいいはずなのだが、何なのだろう。この怒りにも似た喪失感は。


「じゃあ次は俺のを試食してくれる?」


 俺の横から皿を持った富山君が明久里の前に完成した品を出した。

 卵の黄色に、パセリとバジルのそれぞれの緑がコントラストを生み出した一品は、見た目の時点で俺の品を凌駕している。


「じゃあ私のもお願いしていいかな」


 さらに、部長が前からやって来て皿を出した。

 部長のも、富山君のと同じように青のりが卵の色を引き立てているが、ソースとカツオ粉の影響か、卵がやや茶色い。


「はい。ではありがたくいただきます」


 第一声から俺の時と違う。ふたりより俺との付き合いが長いから、ふたりにはまだ他人行儀なのだろう。

 そう思いたい。思わねばこの女に怒りが湧き上がる。


 まず富山君のを口運んだ明久里は、食べた瞬間から開眼して、俺の時とは全く反応が違っていた。


 俺の時は、旅先で美味くも不味くもない星3つくらいのラーメンを食べた時の顔をしていたのに、今は期待していなかったのにそこそこ美味い物が出てきた時の驚嘆と喜びが混合した顔をしている。


「美味しいです。卵にチーズというのはよくある組み合わせですし、そこにマヨネーズを加えるというのも、特に目新しさは感じませんがとりあえず普通に美味しいです。ただ粉チーズでは量によっては少し匂いがくどく感じることもあるので、とろけるチーズをフライパンの上の卵に乗せる、なんて工夫をしたらもっと良くなると思います」


「あ、うん⋯⋯ありがとう。次はそうしてみるよ」


 ──カレーも作れないやつがなに料理評論家みたいなこと言ってるんだ。


 大人な対応を見せた富山君から、目を移し、うんうんと頷きながら2口目に手を伸ばす明久里を、目を細めて眺めた。

 今ちょうど2口目を箸で切っているのを見ると、そもそも1口目の大きさが、俺のケチャップ卵焼きとは違っていた。

 2口分取った時点で、富山君の卵焼きは半分ほど消費されている。


「でもほんとに美味しいです。さっきのとは大違いです」


「自分のリクエストをさっきの呼ばわりするんじゃない!」


 時折見せる明久里の発言は、俺の心を掻き乱すことに特化しているらしい。

 他の人の地雷を踏み抜かないか、少し見てみたい気もする。

 もしそうなったら、時限爆弾のタイマーが鳴るまで放置する予定だ。


「はは、じゃあ碧山さん、私のも食べて色々教えて欲しいな」


「はい。ぜひに」


 部長も富山君も、包丁すら扱えない奴に偉そうに言われて腹は立たないのだろうか。


 たしかに、自分ができるかどうかと、物を見抜く力があるかどうかは別だ。

 キャッチボールすら出来ない人でも、その集団の中で実力が劣る人間を見つけたり、同じく下手な人間を見抜くことはできる。


 だがそれと、腹が立たないかは別だ。

 自分より勉強ができない人間に馬鹿呼ばわりされると、客観的に見て自分も馬鹿だとしても、反論したくなるのが人の性というものではないのか。


「こちらも凄くいいです。カツオ粉と青のりの風味が卵と非常にマッチしていて、鼻腔を抜ける香りが心地良いです。ただ、ソースがこのカツオ粉と青のりの風味を阻害して、尚且つ卵には味が強すぎるのが少々もったいないかと。お好み焼き風にしたいのでしたら、例えば素焼きのお好み焼きで生地と出汁の質を楽しむように、いっそのことソースを除いてはどうでしょうか。ただそれだけでは味にパンチがないので、桜えびを足し、そこに醤油か出汁醤油を1垂らしいれてみてはどうでしょう。もっと素材の風味を楽しめる味になると思います。紅しょうがを入れてみても、アクセントが加わっていいかもしれません」


「わぁ。ありがとう碧山さん。うん、次はそうしてみるね」


 屈託のない笑顔を浮かべながら、明久里の評論を真摯に受け止める部長と俺では、多分人としての出来が違う。

 いや、邪な気持ちの持ち主の富山君にも俺は劣っている。

 もっとも、俺は評論すらして貰えなかったのだが。


「なあ、もしかして碧山さんってかなりのグルメ?」


 富山君がそっと俺の横腹を突っついた。

 まあ、父と居たならそれなりの物を食べる機会は多かったかもしれない。


「どうだろうなぁ。美味しもの好きであることは間違いないけど」


 俺は、心做しか萎んでいるように見えるケチャップ卵焼きに哀れみの目を向けながら、力無く呟いた。


 明久里が安藤さんと片山さんの卵焼きも味見している間、俺はふたりのを味見していた。


 ──うめえやん。


 美味しいことは美味しいが、たしかに明久里の言う欠点ははっきりと見える。

 それをあがり症っぽい明久里が、なぜほぼ初対面のふたりにも言えたのか分からない。

 今も安藤さんの品に評論をしているが、クラスの時のように緊張してタイマーは作動しないのだろうか。


 それと、帰国子女の明久里がなぜ卵焼きへの解像度が高いのか不思議だ。

 家の両親と和食ばかり食べてたのだろうか。


 俺もこのままでは終われない。

 台の上に並べられた調味料を吟味するが、組み合わせとしてはさっきのふたりの品と、今明久里が味を見ている安藤片岡ペアのものでほとんどベストだ。


 となると、俺としては全く新しい味を作る必要がある。

 無論、ケチャップはもう使わない。

 ケチャップにチーズと塩胡椒を混ぜれば良くなるかもしれないが、自分からケチャップオンリーを指示しておいて一口で食欲が失せた明久里を喜ばせるような物は作りたくない。


 いっそのこと、とんでもないゲテモノを作ってやろうかとも思ったが、食材を無駄にしたら部長が怒り狂う。


 俺的校内怒ったら怖いランキングでは、生徒指導の中松先生を抑えて部長が堂々の1位だ。


「どうしたの業平君、ぼーっとしてるけど」


「ひゃうっ!?」


 突然横から声をかけられて、思わず肩がすくんだ。

 部長は別に、悪口を言われて怒る人では無いのだが、去年卵を落としただけの安藤さんに般若の相で激怒していた時は、本気でこの部を辞めようかとも思った。


「ただどんなの作ろうかなと迷ってただけです」


「ふふ。創作料理は迷うのも醍醐味だよぉ」


「そうですよね⋯⋯ははっ」


 何を恐れていたのか分からないが、部長がご機嫌にまた新しい品に取り掛かると、緊張が解けて汗が頬を滴り落ちた。


 とりあえず思いついたまま、器に卵を割って入れ、そこに粉チーズとお好み焼きソースを少量入れて混ぜ、大量の化学調味料も入れた。

 どうせ偉そうなことを言っても、旨み成分の暴力には勝てないだろう。


 調理を再開した俺と部長以外の部員3人が、それぞれの品を食べくわえているその隅で、ポツンとケチャップ卵焼きはその存在を消されたかのように放置されている。


 半分以上残ったあれは後で食べるとしても、1口くらいそれぞれが味見して欲しいものだ。


「ほら、次これ食べてくれ」


 明久里の前に、先程部長が出したのと同じような色合いの品を出す。


「ふむ、さっきのよりは良さそうです」


「いや、茶色いか赤いかの違いだけだぞ見た目は」


 お前本当にケチャップ好きなのかと言い寄りたくなるが、それを抑えて明久里の試食を待つ。


「これは⋯⋯大量の化学調味料が使われていまね。舌がぴりぴ」


「それ以上は言わせないからな!」


 もう少しで家庭科室内の化学調味料愛好家を敵に回す所だった。

 時々化学調味料は舌がピリピリすると形容する人がいるが、昆布を舌に乗せて待つと同じような体験ができる。別に痺れはしない。


「まあ、冗談はさておいて、先程のよりは美味しかったです。たださっき思いましたが、そもそも卵にソースは合わないかと。ただソースとチーズの組み合わせ自体は悪くないかと」


 さっきより大きな1口を食べ、明久里は箸を置いて言った。

 軽く言われただけだが、普通に評論してくれる分には、腹も立たないし、内容も腑に落ちる。

 

 

「目玉焼きに使う人もいるのに、卵焼きにはだめか」


「目玉焼きと卵焼きは違いますから。はじめさんは卵焼きを塩だけで食べたいですか? 目玉焼きに出汁醤油をかけたいですか?」


「こっわ⋯⋯なんで俺の好み知ってるんだよ」

 

 

 ────── 


「ふう、お腹いっぱいです」


 その後何度も試食を繰り返し、終了時間が迫ってきた頃、明久里はお腹を擦りながら、大きく息を吐いた。

 俺のケチャップ卵焼き以外は、みんなで全部最低1口ずつは食べてたので、かなり腹は膨れた。


「食べすぎた⋯⋯」


「夕飯食べられなかったらお母さんに怒られる」


 安藤さんと片岡さんが苦しそうに言う。

 この2人がまさか部長以上に作るとは、誰もが想定外だった。


「卵結構残りましたね」


「うん。じゃあ今度はクッキーでも作ってみんなに配ろうか」


 冷蔵庫に余った卵を片付けながら、富山君と部長がそんな話をしている。


「次はクッキーですか。また見学に来ます」


 明久里はなぜか次も見学する気満々のご様子だ。

 心做しか鼻の下が伸びている気がするのは、気のせいだろうか。


「ふふ、大歓迎だよぉ。いいと思ったら入部してくれてもいいからね」


 部長がニコニコと近づきながら言うが、俺が推測したところ、明久里は食べる方専門だ。

 何年も前とはいえ、カレーで血まみれになり、火事をおこしかけた女だ。料理下手のレベルが違う。


 俺は使ったフライパンと器達を洗い、水切りラックに置いた。

 他のみんなの後片付けも終わり、安藤さんと片岡さんが先に家庭科室を出て、俺と富山君と明久里もそれに続いた。


「では部長、お先に失礼します」


「うん。またね」


 鍵係の部長は、家庭科室に残ったまま、何か鞄の中身を確認していた。

 そんな部長に別れの挨拶をして、下駄箱に向かった。


 グラウンドからはまだ運動部の活動の声が響き、校内からは吹奏楽部の演奏の音が聞こえる。

 部活がない日は聞くことが無い、この学校という空間特有の雰囲気とサウンドは好きだ。


「じゃあな富山君」


「うん、ばいばい」


 正門を出て、駅へ向かう俺達と、その反対側へ向かう富山君は綺麗に左右に別れた。


「碧山さんもまた明日」


「はい。お元気で」


「⋯⋯うん。ありがとう」


 ──別れの挨拶が妙に重いんだよ。


 ピクピクと眉を痙攣させながら苦笑いする富山君を見てると、俺は笑いをこらえることしか出来なかった。





 



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