第3話爆弾少女は部長に憧れる 1

 その後も教室内で肩身が狭かったのは、言うまでもない。

 5時間目の終わりにはトイレに篭もり、チャイムギリギリに戻ることで詮索を避けた。


 そう、全ては明久里の所業のせいだ。



 6時間目の日本史が終わり、下校前のホームルームが始まる。

 ホームルームが終わると、いつも通り、教典の一節をみんなで音読する。


 この学校、私立聖信せいしん高校は、ある有名宗教から派生した、宗教学校である。


 と言っても、生徒を縛るような教義はほとんど無い。

 唯一面倒なのが、毎月第1火曜日に、とある方角に向かって行う、10分間の拝礼だけだ。


 それ以外には、今のように放課後薄っぺらい教典の最後のページの一節を読むのと、校長先生が集会の度に『敵を愛し己を愛せよ』というフレーズを何度も聞かせてくることしかない。


 

 ホームルームが終わると、学級委員の堅田くんが帰りの挨拶の音頭をとる。


「起立。礼」


「はいさようなら」


 山本先生の声に続いて、生徒の声が疎らに広がる。

 これで掃除当番のため、椅子を机の上に乗せたら完全に放課後が始まる。


「じゃあ業平、詳しく聞かせてもらうから」


 瞬間移動でもしたのか、椅子を乗せた次の瞬間には、紅浦水樹が椅子の向こう側に仁王立ちしていた。


「悪い。俺今から部活だから。早く行かないと部長に叱られるんだ」


 机の下にある鞄を肩にかけ、速やかに立ち去るつもりが、回り込んだ紅浦に腕を掴まれてしまう。


「いや業平家庭科部でしょ。急ぐ必要ないよね」


「ばっか、今日は究極の卵焼きを研究する日なんだよ。卵フェチの部長を待たせる訳にはいかないんだ」


「卵好きをフェチ扱いするのは失礼だと思うよ」


「紅浦にまともな事言われるとは⋯⋯」


 焦っていたとはいえ、この女に正論を言われるのは屈辱でしかない。

 悔しさで唇を噛んでいると、自由になっているもうひとつの腕がやってきた明久里に掴まれた。


「はじめさんは帰らないんですか?」


「ああうん。部活があるから。悪いけどひとりで帰れるよな?」


 ここで間違っても、同じ家に住んでいる風なことを匂わせてはいけない。

 少しでも匂わせてしまうと、今も薄気味悪い笑みを浮かべている女版出歯亀に噛みつかれてしまう。


「えっと、部活⋯⋯ですか」


「ああ、てことでよろし⋯⋯」


 ひとりで帰るよう促す寸前、俺の脳裏に閃光が迸った。


「明久里も行くか? 家庭科部。面白いかも知れないぞ」


 明久里をひとりで帰すのには不安がある。

 紅浦や他の人が明久里に興味を持って一緒に帰っている途中、また脈が早くなる可能性がある。


 俺が近くに入ればいいが、ひとりだと対処できるか不安だ。


 それに、家庭科部では運動部と違い、身体を動かして脈を早くしたり、緊張でドキドキすることはほとんどない。


「私、紅浦さんと一緒の女子サッカー部に入ります!」


 などと言われるより百倍いい。 


「えー、明久里ちゃん家庭科部に入るの? 私とサッカーしようよ。女子サッカー」


 まさかのスカウトだ。

 ふたつの富士山を有する明久里に、走り回るスポーツができるとは思えない。男子の目線が釘付けになる。


「さ、サッカーですか」


 興味ありげに明久里が紅浦に顔を向ける。

 

 ──いや、お前自分の体のこと知ってるだろ。


「うん。明久里ちゃん興味ある?」


「はい。好きですよ」


 やけに食い付きがいい。明久里のいた国はサッカーが盛んな国なのだろうか。

 父と一緒に居たらしいが、父はサッカーより野球派だ。


「でもごめんなさい。私身体が弱くてあまり運動できないんです⋯⋯」


 そう申し訳なさそうに表情を曇らせながら、明久里の目線が下がった。

 ナイスな言い訳である。

 こういっておけば、明日以降の体育がほとんど見学になっても問題ない。

 ていうか、体育なんて受けさせるわけにはいかない。


「そうなんだよ。明久里は身体が弱くて体育もほとんどまともにできないくらいなんだ。てことですまんな紅浦」


 すかさず俺がフォローに入る。


「そっかぁ。なら仕方ないね。で、胸揉んだ件については?」


「揉んでない⋯⋯顔に⋯⋯っ!?」


 話の切り替えが自然すぎて、つい正直に答えてしまう。

 この女の狡猾さはなんなのだろうか。

 1年の時も同じクラスだったが、成績は大して良くないはずだ。

 猥談に関してだけ頭が回るエロに特化した頭脳でも持っているのか。


「ほぅ⋯⋯顔に、なんですかなぁ」


 顎に手を当てながら、セクハラ親父のように目と口をだらしなく綻ばせるその姿は、とても女子高生のものとは思えない。


「なんでもない。行くぞ明久里、あと富山君も行こう」


 こうなってしまっては、下手な言い訳をするより逃げるに限る。

 幸いなことに、放課後ということもあってか、今の話を聞いていたのは同じ家庭科部の富山君の他数名だけだ。


 富山君はきっと、俺と一緒に部室に行くつもりだったが、話してるのを見て近くで待っていてくれたのだろう。


 家庭科部を選んだ動機は不純な富山君だが、彼はひたすら俺にとって良い奴だ。


 紅浦の手を振り解、教室を出ると、諦めてくれたのか、追ってくる気配はない。


 動き出した時に、明久里の手は自然に離れていて、俺の後ろを静かに歩いている。


「とりあえず家庭科部見学ってことでいい?」


「はい」


 今更ながら尋ねると、小さく頷きながら返事をした。

 そして隣の富山君に確認をとる。


「いきなり見学連れて行ってもいいよな?」


「いいんじゃない? 部長と先生は大歓迎でしょきっと」


 お気楽な様子で答える富山君を見ていると、ふとした疑問が現れた。


 家庭科部に入った動悸が、女子が多そうといういかにも男子高校生っぽい理由の彼だが、明久里が見学に行くことに嬉しさを感じていない。

 それどころか、富山君は後ろの明久里を振り返って一瞥したりもせず、ただ歩いている。


 2階西校舎の教室から階段を降りて東校舎に向かうと、家庭科室がある。

 家庭科室やその他多目的室などがあるこの東校舎の一角は、校舎が右を向いた凹形になっていて、へこんだ場所にはいくつかの部の部室棟がある。


 全校生徒1500人を超えるこの学校は部活動が盛んで、特に野球部と男子サッカー部が強い。

 このふたつの部活は、校舎から少し離れた場所に専用の部室とグラウンドが整備されている。


 家庭科室の向かいの窓から、白塗りの壁と赤い三角屋根の、長屋のような二階建ての部室棟がはっきりと見える。

 ここにあるのは、そのふたつ以外の他の屋外競技の部室だ。

 屋内競技部の部室はまた別の場所にある。

 先程まで俺達と話していた紅浦も、今ちょうど2階にある女子サッカー部の部室に向かって階段を上がっていた。 


「あれ、まだ鍵空いてないな」


 部室棟の後ろから、富山君の声が聞こえる。

 振り返ると、家庭科部の扉を開けようとしていたが開かなかった。


「珍しい⋯⋯卵焼きの日は部長いつも早いのに」


「だよなぁ。ホームルーム抜け出してないかってレベルで早いもんな」


「掃除当番もサボってたりしてな」


 そんなことを言っていると、廊下の角から部長が現れた。


「あ、こんにちは部長」


 部長は左手に学校の鞄を持ち、右手に家庭科室の鍵を持っている。


「もう、当番サボったりするわけないでしょ業平くん」


「あ、すみません」


 柔らかな苦笑いを浮かべながら、黒髪に三つ編みおさげ2つで、ゆるふわという言葉がよく似合う家庭科部部長、黒崎花菜くろさきかなが扉の南京錠に鍵をさした。 


「ただちょっと急いでるだけだからね。変なこと考えないでよ業平君も富山君も」


 大きな丸い目で部長は俺達に目を配る。


「ああそうだ。部長、今日転校してきた彼女を見学させてもいいですか」


 緊張したように肩を竦めていた明久里を手で指し、紹介する。

 

「へえ、転校生かぁ。うん。もちろんいいよ」


 喜色満面の笑顔で言うと、部長は窓際に立つ明久里に近づいた。


「家庭科部部長の黒崎花菜です。よろしくね」


「⋯⋯碧山明久里です。よろしくお願いします⋯⋯」


 ペコりと擬音が鳴りそうな所作で明久里は小さくお辞儀した。


「碧山さんだね。気に入ったらほんとウェルカムだから!」


 部長は目を輝かせながら右手の親指を立てた。

 部長が見学者に心躍らせるのも無理は無い。

 今現在、この部には3年の部長と、安藤さんという男の副部長と、2年の富山君と俺、そして1年の女子の片岡さんしか居ない。

 人数が少ないから部費も少ないし、何より活気がない。

 家庭科部に活気なんて必要なのか? という疑問はさておいて、俺としては1年の男子が富山君のような邪な気持ちを持って入部してこなかったことが驚きだ。


 鼻歌交じりに部長が部屋に入っていく。

 俺達はそれに続いて教室に入った。


 家庭科室はまず正面に先生が使用する調理台と、その後ろに大きなホワイトボードがある。


 そして縦に横に3つ、大きな6人ほど座れる大きな机代わりの台があり、その台の後方に付属してIHコンロ2つと蛇口とシンクがついている。

 ひとつの台には、左右3つずつ丸椅子が置かれている。


 3つ並んだ調理台が縦に2列、さらに後ろに横向きのものがひとつの合計7つ用意されている。


 そして部屋の後ろには棚が並び、扉の反対側の壁際にはいくつもの蛇口が設備されている。


 俺と富山君は、いつも座っている正面から見て2列目左の席に、左右に向かい合って座った。

 それに合わせて、明久里が俺の後ろに座る。


 そして部長が俺達の前の台に座ってほかふたりを待つ。


「あの、卵焼き作らないんですか」


 他ふたりを待つ間、スマホでも眺めていようと鞄から取り出すと、明久里が切り出した。


 たしかに、何となく慣習的に全員が揃うのをいつも待っているが、部長か顧問のどちらかがいればコンロも使っていいことになっている。


「そうだね。せっかく見学に来てくれてるんだし、もう始めよっか」


 部長はそう言って手を叩くと、部屋の前方右端に設置されたファミリーサイズの冷蔵庫へ向かった。


 それを見て俺は台の下にある引き出しを引き、中から卵焼き用のステンレスのフライパンを取り出した。

 それとほぼ同時に、富山君が反対側の引き出しを開けて、卵をいれる器と箸を出した。


「今日も先生に頼んでいろいろ用意してもらったんだぁ」


 部長はそう言いながら、卵火とパックといくつかの調味料を抱え、俺達が座る場所へやってきた。

 部長がテーブルの上に置いた調味料の中には、塩醤油などのオーソドックスな物の他に、焼肉のタレや豆板醤、ナツメグなどの卵焼きには使わなさそうなものも混じっている。


「じゃあ普通に作っても面白くないから、今日は研究の日って事だから、もういきなり色々卵に合うもの探していこっか。碧山さんも一緒にやってみる?」


 首を傾げながら、部長は俺の後ろにいる明久里を覗いた。

 明久里は目をぱちくりさせながら、口を少しすぼませている。


「もしかして、料理できないの?」


 他の誰かが聞く前に先に聞いた。

 昨日の夕飯と弁当は俺がひとりで作った。

 朝はパンを焼いてバターを塗っただけだが、オーブントースターで焼くのも俺がおこなった。


 昨日などは、緊急で食材を買い足しに行き、ひとりで調理していたが、その間明久里はずっとテレビを見ていて、手伝う素振りも見せなかった。


「はい。昔カレーを作ってる時に血まみれ状態になったのと火事になりかけて以来してません⋯⋯」


 思った通りだったが、カレーで火事になりかけるとはどういうことだろう。玉ねぎを炒めすぎたのか。


 明久里を見る俺達3人から、生ぬるい空気が発せられる。

 きっと部長も富山君も、俺と同じことを考えている。


 ──キャベツちぎるくらいしか怖くてさせられない。

 


「まあじゃあ、碧山さんには味見係をしてもらおっかな。どれか美味しくて美味しくないか、遠慮なく言ってね」


 流石に部長はフォローが早い。 

 邪な富山君でさえ、明久里の不器用さに引いてるというのに。


「卵はそこそこあるけど、ひとつの卵焼きには2つか3つでよろしくね」


「分かりました」


 部長の言葉に頷いて、俺は早速まだ開いていない卵のパックを開いた。

 そこから指に挟んで2つ取り出し、さっき富山君が用意したプラスチックのお椀に入れる。

 その間に、部長はさらに棚や冷蔵庫の調味料を運んでくる。 

 

 決して格好つける訳ではなく、いつも通り卵を片手で割り、台の上の調味料を眺めた。


 正直、俺は卵焼きなんて出汁醤油で作るのが1番美味しいと思っている。

 

 だがこれは卵焼き研究の日だ。

 明らかに組み合わせが悪く、一口食べただけで人の尊厳を破壊してしまうような代物をつくる訳には行かないが、多少の遊びは持たせたい。


「明久里、この中だとどれが1番好きだ」


 椅子に座ったまま俺達の作業を眺めている明久里に聞く。

 今日は明久里を見学者としてもてなす日でもあるのだ。


 明久里は立ち上がって無造作に並べられた調味料をそれぞれ見ていった。


 そして、柔らかいプラスチック容器に白い蓋がついた、中身が赤い、日本人の家庭ならほとんど常備されているであろう物を取った。


「これです」


「ケチャップか。たしかに卵にかけるんだから悪くはなさそうだな」


 お前は某有名ネズミ系キャラか。

とツッコミたくなるのを飲み込み、容器を受け取る。

 そしてケチャップを入れる前に、IHコンロの上にフライパンを置き、サラダ油を少量引いて中火セットした。


 さて、他のふたりはどんなチョイスをしているのか。

 ぼんやりとふたりの手元を見て、瞠目した。 




 


 


 


  


 

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