第17話 いけすかない神がやってくる
「しまちゃん、本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ。ありがとな」
「うん、じゃあまた明日ね」
「ああ、またな」
球技大会のあと、朱里と一緒に下校して、家の前で別れた。朱里は涙を流していた俺のことを心配して、女子たちの打ち上げを断ってまで付き添ってくれたのだ。しかし帰宅中も気を抜くと落涙する自分がいて、情けない気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
家に入ってただいまと挨拶をしてみても、何の返事もない。一抹の不安を覚えたが、泣き顔を両親に見られなくて良かったとも思った。リビングの床に荷物を置いてソファに寝転がってみる。
「はあ……」
ため息をつく。なんだか今日は疲れた。肉体的にも精神的にもいろいろと消耗してしまったのだろう。あと一か月、いや三週間で死ぬ。それが朱里との別れを意味するということなど、最初から分かっていたつもりだったのに。こんな形で認識させられるとは思わなかった。
天井を見上げ、残りの人生について思いを馳せる。眠い。けど眠る時間すら惜しいと感じる。本来はこうしていないで、隣の家に行くべきなのかもしれない。「どうしたの」とでも言って困惑するであろう朱里を抱きしめ、好きだと伝えるべきなのかもしれない。だけど一人で残されるアイツの気持ちを思えば――踏み出せなかった。
どうしてこうなったのだろう。そもそも朱里が洋一と付き合っていると勘違いして、二人の未来を思って死を肩代わりしたんだ。結果的に誤解だったとしても、朱里の代わりに死ぬことにはなんの迷いもない。ただ……ただ、ちょっと悔しいだけなんだ。
ああ、本当に眠くなってきた。惜しい惜しいとは言っても、三大欲求とまで言われる睡眠欲には勝てないのだろう。こうしてソファで昼寝して、嫌なことなど忘れてしまいたい。あと三週間で死ぬことを忘れてしまえば、何も考えずに朱里と過ごすことが出来るだろう。「アイツの気持ちを思えば」なんて考えていたくせに、俺って情けないな……。
いつの間にか、まどろみの中に落ちていく。夢か現かはっきりとせず、思考がぼんやりと澱んでいる世界。結局寝てしまったのか。……なんだか、誰かが俺を呼んでいるような気がする。
「……これ、これ!」
「……?」
「ほれ、起きんか!」
聞き覚えのある声だ。それも嫌な記憶とともに覚えている声。忘れもしない。俺にこの運命を背負わせた張本人――恋の神だ! 光り輝く人型の像が、ソファの上に浮かび上がっていた。
「おっ、お前……!」
「ふぉっふぉっふぉ、元気にしていたかの?」
「元気なわけないだろ!」
「やっぱり若者は元気がいいのお」
けらけらと笑う恋の神。相変わらず食えないジジイだ。今日はいったい何をしに来たというのだろう。今更死ぬことを後悔し始めた俺のことを笑いに来たわけではあるまいな。
「で、何の用なんだよ」
「なあに、ワシとしたことがうっかりしていてな」
「はっ?」
「お前にはっきりとした日付を教えてなかったんじゃ」
「日付って?」
「言わずとも分かっておろう。――お前の死ぬ日じゃ」
相変わらず愉快な口調で恐ろしいことを言う奴だ。しかし、たしかに詳しい日にちを教えてもらっていなかったな。三週間後ってことは分かっているけど、それ以上の情報はなかったもんな。……自分の命日を教えられるのが良いことなのかは分からないが。
「そうかよ。で、いつなんだ?」
「おや、あっさりしとるの」
「お前の顔は見たくないんだ。さっさと言い残して帰ってくれ」
「ふぉっふぉっふぉ、そもそもお前からワシの顔など見えてないじゃろう?」
コイツもなかなかの減らず口だな。しかし逆光で顔が見えていないのは本当なので腹が立つ。
「それはいいんだよ! 早く言ってくれよ」
「そう急かすでない。ちょっと待っておれ」
ジジイはそう言って帳面のようなものを取り出した。それくらい予め覚えておけよ。それに、死の日付が書かれたノートなんて昔の漫画みたいで嫌じゃないか。笑えないジョークだぜ。そんなことを考えているうちに、奴は該当のページを探し当てたようで、こちらに顔を向けた。
「では、良いかの」
「ああ」
この世におさらばして、朱里と永遠に別れる日。余生がどれくらい残されているのかを知ることは重要なことだが、ある意味ではとてつもなく恐ろしいことでもある。これから俺は、命日までのカウントダウンとともに人生を過ごすことになる。刻々と迫る最後の時に怯えながら、高校生活を謳歌すべくもがき苦しむのだ。そして――まるで役人みたいな機械的な文面をもって、神は俺のXデーを告げ始めた。
「令和六年、十一月六日午前一時四十二分。嶋田周平の心臓に異変が現れる」
「……」
「同四十三分、猛烈な胸痛を自覚した当人が胸を抱えて苦しみ始める」
聞いているだけでも嫌な気持ちになる。しかしまだ肝心の部分を聞くことが出来ていない。……いつ死ぬんだ。今にも叫び出したい気分だったが、ぐっと唇を噛むようにしてその気持ちを抑え、改めて問い質す。
「……それで?」
神は何の躊躇もなく、はっきりと告げた。
「同四十七分――心臓と呼吸が止まり、死亡する」
何も……何も、言うことが出来なかった。ついさっき、朱里と生き続けたいという願いを自覚したばかりだったのに。この先何年も続いたであろう朱里との日々を夢見たばかりだったのに。恋の神がなぜ今日になって現れたのかは分からない。だがしかし、もし俺の気持ちを分かっていての行動だったとしたら――こんなに残酷な神はいないだろう。
「……言いたいことはそれだけか?」
「ふぉっふぉっふぉ、そうじゃのお。まあ、ワシから言えることは一つだけじゃ」
「なんだよ?」
「お前はまだ『何も』成しえていない。これからの健闘を期待しておるぞ」
「はっ?」
「また会うこともあるじゃろう、その時が楽しみじゃ」
「ま、待てっ!!」
「じゃあ、頑張るのじゃぞ――」
神を追って右手を伸ばした途端、部屋の中が暗くなった。ハッとして目を覚ますと、そこにあったのはリビングの風景。どうやら夜になるまで昼寝してしまっていたらしい。
「はあ……」
ぽりぽりと頭をかきながら、荷物を持って階段へと向かう。とりあえず自分の部屋に戻ろう。そして……とりあえずカレンダーを見て、命日の日付にバツ印をつけることから始めるか。もちろん、親にはバレないように小さめのバツをつけようかな。
朱里への気持ちと、死ぬという端的な事実。この相反する二つを抱えて余生を過ごさなければならない。それでも絶対に絶望したりしない。必ず、朱里への未練を無くしてからこの世を去ってやろうじゃないか。俺の命日まで――あと、十九日。
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