第16話 運命が動き始める
決勝戦は緊迫した戦いになった。両チームともに二回まで得点出来ず、投手戦になるかと思われたが、最終回である三回表に試合が動いた。俺は運よく先頭打者としてフォアボールで出塁し、なんやかんやで三塁まで進むことが出来た。二死二三塁の状況となり、迎える打者は――四番の洋一である。
「打てよ洋一ー!」
塁上から声を張り上げ、バットを握る洋一のことを応援する。向こうのマウンドに立っているのは西口という投手だ。うちのクラスの松坂と同じように、奴も中学時代まで野球をやっていた口らしい。素人相手にスライダーまで投げており、なかなか本気である。
「西口踏ん張れー!」
「抑えろよー!」
決勝というだけあって向こうも必死だ。やはり女子のバスケはまだ終わっていないらしく、男どもの野太い声援だけが響き渡っている。朱里に見てもらえなかったのは残念だけど、こういう雰囲気も悪くない。これはこれで死ぬ前の良い思い出かもしれないな。青春の一ページってわけか。
洋一は真剣な眼差しで西口を睨み、今にも噛みついてしまいそうである。サッカー部がどうして打席であそこまでの風格を出せるのかは分からないが、やはり人間として持っているものが違うということをまざまざと認識させられる。持ち前の人格を素直に表したような、そんな真っすぐな視線。そりゃあ誰だってこんなものを見せられれば惚れてしまうだろう。こんな状況だが、アイツがモテモテである理由を垣間見た気がした。
「ふっ!」
そして、セットポジションから西口が力強く白球を解き放った。直線軌道を描いたかに見えたボールは、ベース手前で鋭く変化していく。西口のウイニングショット、スライダーであった。しかし洋一は物ともせず、左足を踏み込むと――華麗にそれを流し打ってみせたのだ。
「っしゃあ!」
洋一はバットを放り投げながら、右手を高く突き上げた。打球は一二塁間を抜けていくライト前ヒットとなり、三塁走者の俺に加えて二塁走者まで生還することが出来た。これで一気に二点を先制することになり、俺たちのクラスは大いに盛り上がりを見せる。
「よっしゃ!」
「ナイスバッティングー!」
「いいぞ菊池ー!」
塁上ではにかむ洋一。爽やかな笑顔は見るもの全てを魅了してしまいそうだ。……って、アイツに目を奪われている場合ではない。そもそも俺が活躍しているところを朱里に――というはずが、すっかり洋一の方が目立ってしまったじゃないか。やはり一夜漬けの練習では生まれ持つ運動神経には勝てないということかな。少し空しい気持ちになりながらベンチへと下がり、守備の準備をする俺であった。
***
このまま三回裏を抑えて優勝――といきたかったが、そうは問屋が卸さない。やはり相手のクラスにも意地があるようで、必死の粘りを見せてきたのだ。そしてここまで熱投を続けてきた松坂にも疲れが見え始め、あれよあれよという間にランナーが溜まっていく。
「頑張れ松坂ー!」
「あと少しだぞー!」
内野陣からは必死の声掛けが続く。俺もマウンドに向かって声を張り上げ、なんとか状況を好転させようと努める。しかしとうとう限界のようで、松坂は二死満塁のピンチを作ったところでベンチに向かってバツ印を掲げた。それから間もなくマウンド上に内野手が全員集まり、次に向けた作戦を話し合っているようだった。
しかし他にピッチャーなんていたかな。そりゃ投げるだけなら誰でも出来るかもしれんが、この状況を抑えるなんて簡単じゃない。いったい誰が――
「ピッチャー、俺!」
その時、大きな声が響いた。ニヤリと笑って、松坂からボールを受け取ったのは洋一。……嘘だろ? お前、どんだけスターなんだよ。こんなシチュエーションでマウンドを引き継ぐなんてよほどの度胸がないといけないだろうに。本当に大した奴だよ。
洋一はマウンド上で投球練習を始める。天は二物を与えずというのはコイツには当てはまらないらしく、小気味いい捕球音が次々に響き渡っている。いや、球めっちゃ速いな。俺なんて練習でちょっと投げただけで肩に激痛が走って、今日も湿布を貼って出場しているというのに。
「よっしゃ、みんな頼むぞー!」
間もなく練習が終わり、内野陣が各ポジションに散っていった。マウンドを降りた松坂はサードに……って、あれ? こっちに走ってくるぞ、どうしたんだろう。不思議に思っていると、松坂は俺の前にやってきて、空いた三塁の方を指さした。
「俺がレフトだ。嶋田、お前はサードにって菊池が言ってたぞ」
「え~~!!?」
慌てて洋一の方を見てみると、「早く来い」と言わんばかりにグローブで三塁を指している。おいおい、素人の俺に硬式野球で内野を守れって言うのかよ。しかもこんな大ピンチで、どうなっても知らねえぞ。半分呆れつつ、内野に向かって走り出す。
「頼むぞサード~!」
「頼むぞじゃねえよ!」
ポジションに就くや否や、洋一がいたずらっぽく声を掛けてきた。何考えてんだコイツは。チームが大変な状況だってのに、なんて吞気なんだ――
「菊池くん頑張れー!」
「あとワンアウトだよー!」
「ファイトー!」
などと思っていると、グラウンドの外から黄色い声援が聞こえてきた。そちらの方向を見てみると、そこにいたのはクラスの女子たち。どうやらバスケの試合が終わって、こちらの応援に来てくれたらしい。……ってことは?
「しまちゃん、がんばってー!!」
皆が投手の洋一を応援しているなか、三塁手の俺を応援するような奇特な人間は一人しかいない。その正体は――顔を真っ赤にして大声を張り上げる朱里だった。その横には近江がいて、ニヤニヤとしながら朱里に何かを唆している。どうやら近江が朱里を煽って声を出させているらしい。……あの二人がそんな関係だなんて、意外だな。
もしかして、洋一はこれを見越してサードに指名してくれたのかもしれない。外野よりは内野の方が球の飛んでくる確率も高いし、せめて何かしらの見せ場があるかもしれないと思ったのだろう。アイツの度が過ぎたお人よしには参ってしまう。けど――その好意を無駄にするわけにはいかない。
「しまっていくぞー!!」
「おうっ!!」
朱里に呼応するかのように大声を張り上げると、他の皆が答えてくれた。一夜漬けとは言っても練習はしてきたんだ。せめて球が飛んで来たらしっかり捕りたい。恥ずかしいのに頑張ってくれた朱里のためにも、堂々としたプレーを見せないとな。
「おらっ!」
そして、洋一はセットポジションから第一球を解き放った。内角へのストレートだったが、打者も鋭いスイングを見せる。カーンと金属バットの快音が響き渡り、力強い打球がこちらに向かって飛んできた。
「!」
白球のコースを見極め、思い切って一歩目を踏み出す。打球は速いが、十分間に合う! 俺はしっかりとグローブを差し出し、逆シングルで掴み取ったが、審判の声が響いた。
「ファウルボール!」
「惜しい~!」
「しまちゃんナイスー!」
再び朱里の声が聞こえてくる。俺は敢えて声の方向を見ることなく、ポジションへと戻った。ここは朱里でなくプレーに集中する時だ。サードに指名してくれた洋一のためにもしっかり守りたい。ふうと息をつき、姿勢を低くして次の打球を待つ。今度こそ――
「らあっ!」
洋一の声が響く。またもインコースの直球だ。それを迎え撃つべく、打者は身体を始動させる。そのままバットが弧を描いていき、強烈に白球を弾き返した。金属音とほぼ同時に、俺の目の前にボールが現れる。グローブでそれを止めようとしたが間に合わない。せめて体で止めようと思い、踏ん張った瞬間――左胸に重い感触があった。
……一瞬、時が止まったように感じられる。数週間後、俺は心臓を原因としてこの世を去る予定なのだ。左胸にこの衝撃を与えてしまえば――死ぬのではないか? そんな嫌な予感が頭をよぎった。まだ俺は何も成してない。せめて修学旅行で朱里に別れを告げなければ死ぬことは出来ない。まだだ、まだじゃない!
「周平、間に合うぞ!」
洋一の声でハッと目を覚ました。目の前にはコロコロと転がるボール。そうだ、満塁なんだから三塁を踏めばスリーアウトじゃないか。慌てて球を拾い上げて、ベースに向かって走り出そうとする。しかし走者の足も速く、視界の隅にスライディングを試みる影が映った。つい焦ってしまい、足がもつれる。
「やべっ……!」
そのまま盛大に転ぶようにして、三塁にヘッドスライディングする格好になってしまった。最後の意地でボールを塁に触れさせながら、同じく滑り込んでくる走者をかわすようにして身をよじる。不格好な大の字になり、澄んだ秋の空を見上げながら――判定を待った。
「アウトぉ!」
「よっしゃあ!」
「勝ったー!」
「ナイスピー菊池ー!」
「よく投げたぞー!」
次の瞬間、グラウンドの外から一斉にクラスメイトたちが飛び出してきた。その行く先はもちろんマウンドで、洋一を取り囲むようにして輪を作っている。一方の俺はと言うと、相手選手と塁審が去った三塁でただひとり寝そべっていた。
「……」
唖然、というのが正しいだろうか。無我夢中でボールを受け止め、カッコ悪く走者をアウトにし、気づけば手柄は洋一が持って行っている。やっぱり帰宅部が頑張ったところで限界はあるか。ペシミスティックな気分になりつつ、身を起こして泥だらけになった運動着を払おうとすると――目の前に一人の少女が現れた。
「しまちゃん!」
「朱里……」
皆が洋一のところに集まっているなか、朱里だけが俺のもとに来てくれたのだ。すまんな朱里、カッコ悪かったよな。いっそ笑ってくれよ。葬式の写真はこの大の字で決まりだな……。
「――カッコよかったよ!」
「へっ?」
「しまちゃん、やっぱりあの時は練習してたんでしょ?」
「練習って、そんな」
「カッコいいよー! 皆は分かってないけど、しまちゃんは頑張ったもん!」
朱里はその場にしゃがむと、俺の頭を撫でてくれた。……ああ、なんて優しい手なんだろう。どんな歓声よりも、どんな称賛よりも、この今にも消えてしまいそうな感触の方がよほど価値のあるものに思える。最後のXデーまで、これを忘れられることはないかもしれないな。
あんな不細工なプレーでも朱里はカッコいいと言ってくれた。それが心からの言葉なのか、頑張った俺に対するお世辞なのかは分からない。だけど、一つだけ分かることがある。朱里は俺のことを見てくれている。その目に俺の姿を焼き付けてくれようとしている。そのことがどんなに嬉しいことか。……来年も再来年もその先も、ずっと忘れないでいてくれよな。
ふと顔を上げると、朱里が驚いた顔をしていることに気が付いた。ポケットを漁り、ティッシュか何かを探すようなしぐさをしている。知らぬ間に怪我でもしてたのかな、俺。
「朱里、どうかした?」
「え? 気づいてないの?」
「な、何が?」
「しまちゃん、さっきから泣いてるよ……?」
「えっ……?」
その瞬間――自らの頬を冷たいものが伝っていることに気が付いた。どうして泣いているのかは分からない。自分の中に悲しいという感情があったわけでもない。あるいは朱里の優しさに感極まったわけではない。
「しまちゃん、拭いてあげるね」
ハンカチを手に持ち、優しく拭き始める朱里。だけどその顔を見ると、余計に涙が止まらなくなるのを感じた。ああ、やっと分かった。朱里とは最後の一か月を楽しく過ごせたらそれで良かった。最後の修学旅行で別れ、未練なくあの世に行くはずだった。大好きな朱里の死を肩代わりする。……そのはずだったのに、本心では違ったんだ。
俺、もっと朱里と生きていたかったんだ。
この願いとは裏腹に――今日この日から、運命は動き始めた。
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