第2話 上野界隅より 2
地下道には、浮浪者が両側に座して、
終日(ひもすがら)、
ここを生活の拠点としている人が多い。
その中に幼子を二人連れた母が、
新聞紙を敷いて座り込んでいる。
一見して空腹なのが判る。
指をしゃぶっている。
私はにぎり飯をすでに1個食べてるので、
3個そのままあげてしまった。
みちのくの老夫婦の施(ほどこ)しに感謝しつつ、
あわれな自分よりも一段と悲しそうな母子に、
躊躇なく差し出した行為に
浮浪児でありながら、
体があつくなるのを感じた。
◇
幼児は手のひらや指にへばりついた米粒を
唇で味わうようにしながら、
母と私の顔を交互に見ながら笑みを浮かべていた。
赤ん坊を一度抱かせてもらって、
その場を去ったが、後(のち)に、
上野公園の西郷の銅像など不忍の池周辺へ
連れて行って遊ばせてあげたりしているうちに仲良くなった。
食料や衣類など、ある度に、差し入れるような形で
分け与えることが習慣化していた。
愛に飢えていた自分が
なぜこのような施しをするのか
不思議でならなかったが、気分は好かった。
◇
アメ屋横丁、上野の駅と御徒町駅間の高架(か)下や
その周辺である。
当時は、甘藷(かんしょ)といわれた
さつまいもで作った飴を売り出したのが最初であり、
そのことから、この地を
「アメ横」
と命名されたと思われる。
◇
ある時、私は、
蝦蟇口(がまぐち)を擦られて追いかけて
喧嘩になり覚えたばかりの空手で
年上の2人を倒して泣かしてしまった。
そのことが、その時、
闇市を仕切っていた樫村組の親分に見そめられ、
書類なしの養子になった。
現在でも路面電車として走っている
早稲田~三の輪橋のその三の輪に、
やくざの親分の家があるので
そこから上野界隅へ出て、
所謂(いわゆる)、闇市の場所代の徴集のため、
恐いお兄さんがサイド・バイ・サイドしてくれて、
次々と集金していたものである。
店によっては、売っている食べ物をくれるものがあり
それは、袋に入れて母子に与えることにしていた。
◇
当時は、
上野はのがみ、浅草はえんこ、
渋谷はブヤ、新宿はジュク
などと呼称し、毎日、
遊びまわることを日課としていたが
常に恐いお兄さんが、
ドスやはじき(ピストル)を持ってガードしてくれていた。
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