第2話 上野界隅より 2

地下道には、浮浪者が両側に座して、

終日(ひもすがら)、 


ここを生活の拠点としている人が多い。


その中に幼子を二人連れた母が、

新聞紙を敷いて座り込んでいる。




一見して空腹なのが判る。




指をしゃぶっている。




私はにぎり飯をすでに1個食べてるので、


3個そのままあげてしまった。




みちのくの老夫婦の施(ほどこ)しに感謝しつつ、


あわれな自分よりも一段と悲しそうな母子に、


躊躇なく差し出した行為に




浮浪児でありながら、

体があつくなるのを感じた。







幼児は手のひらや指にへばりついた米粒を


唇で味わうようにしながら、


母と私の顔を交互に見ながら笑みを浮かべていた。






赤ん坊を一度抱かせてもらって、

その場を去ったが、後(のち)に、




上野公園の西郷の銅像など不忍の池周辺へ


連れて行って遊ばせてあげたりしているうちに仲良くなった。




食料や衣類など、ある度に、差し入れるような形で

分け与えることが習慣化していた。






愛に飢えていた自分が

なぜこのような施しをするのか






不思議でならなかったが、気分は好かった。













アメ屋横丁、上野の駅と御徒町駅間の高架(か)下や

その周辺である。


当時は、甘藷(かんしょ)といわれた

さつまいもで作った飴を売り出したのが最初であり、


そのことから、この地を


「アメ横」




と命名されたと思われる。





ある時、私は、


蝦蟇口(がまぐち)を擦られて追いかけて


喧嘩になり覚えたばかりの空手で

年上の2人を倒して泣かしてしまった。


そのことが、その時、


闇市を仕切っていた樫村組の親分に見そめられ、




書類なしの養子になった。




現在でも路面電車として走っている


早稲田~三の輪橋のその三の輪に、


やくざの親分の家があるので

そこから上野界隅へ出て、


所謂(いわゆる)、闇市の場所代の徴集のため、


恐いお兄さんがサイド・バイ・サイドしてくれて、

次々と集金していたものである。


店によっては、売っている食べ物をくれるものがあり




それは、袋に入れて母子に与えることにしていた。









当時は、




上野はのがみ、浅草はえんこ、


渋谷はブヤ、新宿はジュク




などと呼称し、毎日、




遊びまわることを日課としていたが




常に恐いお兄さんが、

ドスやはじき(ピストル)を持ってガードしてくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る