第28話 細谷 淳平 ⑧
「おーい、淳平君!」
約束の場所には、貴美がベンチに座って手を振っていた。
貴美の私服、病院の服とバレー部のユニフォーム以外、初めて見た。
今日は陽気が良くて、薄手のカーディガンで十分に外出出来た。むしろ少し暑いくらいだと感じたが、貴美は暑さも寒さも感じにくくなっていた。長い入院生活が、彼女を適温に晒しすぎて、寒いとか暑いとか感じない場所に長く居すぎたせいだ。
それにしても、俺は幻でも見ているんだろうか? 公園で暖かい陽に照らされた私服の貴美。白いワンピースに薄桃色のニット。髪は長いストレート、多分ヴィックだろう。
それでも、体から出ていたチューブを全て外して自由になった貴美を見て、誰もが彼女を病気だなんて思わないだろう。
去年の夏、初めて貴美を見てからもうすぐ一年になる。
まさか、俺たちにこんな日が訪れようとは、夢にも思わなかった。
「貴美、綺麗だよ、とても」
思わずキザな事を言ってしまった俺を、彼女は恥ずかしそうにただ笑うだけ。
今日一日、貴美は俺だけのもの。喜びと切なさがグチャグチャに混ざって、叫びたい気持ちになる。
あの日病室で、貴美のお母さんに結婚の報告をしたら、感極まって泣き出してしまった。少ししてから、俺は何度もお礼を言われた。
今日も、実は貴美の両親は車で待ってくれていた。何かあれば、直ぐに病院へ行けるように。
そんな家族同伴みたいな初デートだけど、俺にとって人生で最高の日だ。彼女と、婚約者との初デートなんだから。
この日のために、俺は何日もかけてプランを練った。彼女が疲れないよう、それでいて楽しませるよう、なんだかもう周囲まで大騒ぎだった。
何故なら、俺と貴美が結婚の約束を交わした事を、貴美の両親から俺の両親へ、貴美のメールから高坂さんと島崎さんへ、彼女たちから・・クラスメイトへ。クラスメイトへ?
そう、実は今日のこの公園は、まるでフラッシュモブでも始まりそうな勢いで、貴美側の友人から俺側の両親やら友人やらまでこっそりと見ているんだ。
本当に不器用な友人達だな。
噂は教師の耳にまで入り、もはや美談として広まっていた。
俺の親は、二人して俺の事を誉め称えるのだから堪らない。この婚約は、法的根拠は無いけど、お互いの両親同士はもう了承済みだった。
俺は、結婚って何なんだろうと思う。法的に認められていなくても、当人同士が18歳未満であっても、俺たちを引き離す事は出来ない。
死が二人を分かつまで。
俺は、公園から最短コースで行けるカフェにタクシーで向かう。これも親がお金を出してくれた。彼女は抗癌剤の影響で、実は立っているのもかなり辛いのだ。
それでも、彼女は俺に悟られまいと必死で笑顔を作る。
カフェなんて行っても、彼女を満足させられるものはほとんどない、物質的には。貴美はあまり空腹を感じなくなっていた。
それでも、何故かアイスクリームだけはおいしそうに食べる。
実はネットで調べて知っていた。末期の悪性腫瘍患者は、体がアイスを欲しがるって。
アイスクリームが、癌細胞の栄養となるため、体に要求させるのだそうだ。まるで癌細胞に意識を乗っ取られたように。
それでも、貴美の両親は満足行くまで食べさせてあげて欲しいと俺に言ってきた。
もう、我慢させる必要は無いから、と。
それでも俺は、今日と言う日を笑顔で過ごすと決めていた、どんなに涙腺が緩もうとも、男は決めた事をする。彼女のためにそれが最良だと思うから。
でも、アイスを美味しそうに食べる貴美を見ると本当に辛い。
妻を幸せにするのが夫の努めなんだと、俺は自身に言い聞かせ、貴美との会話を楽しんだ。他愛のない会話。きっと病と言う障壁が無ければ、俺たちはずっとこんな幸せな時間を共有出来たに違いない。
次に俺たちは、大きな河原に向かう。ショッピングも、と思ったが、意外とデパートは歩かせてしまうから、景色の良い場所で座ってデート、と言うパターンになってしまう。
それでも、神様ありがとうございます、今日を快晴にしてくれて。
俺たちには時間がない。
だから、初デートだけど、俺は駒を進めなければって、思っていた。
河川敷では、ランニングや散歩をする同級生たちが、わざとらしくこちらを見ていたけど。
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