16 それぞれの理由


「わお、すごい。たった一度、それもほんのすこし話をしただけの相手をよく記憶しているね」

「ミノン、どういうことだ?」


 訝しげなフィルがミノンを振り仰ぐ。

 あのときのことはヨアヒムにしか話をしていない。過保護な護衛騎士がフィルになにをどこまで語ったのかがわからず、返答に窮する。


 すると、開けたままの扉の向こうに影ができた。

 砂を踏みしめる音が聞こえ、どっしりとした、圧のある気配が生まれる。


「見つけたのか」

「はい、旦那さま。ご所望の子どもですよ」

「まったく手間をかけさせおってからに」

「が――」


 ガマガエル、と言いそうになったくちを押さえる。

 そのかわり、エプロンのポケットに忍ばせてあった小袋を相手に向かって投げつけた。


「ぶわっ!」

「おおっと」


 ダミ声と、飄々とした声が煙幕の向こうから聞こえる。

 ヨアヒム特製『もしも俺が不在のときにあやしい奴が来たら遠慮なく叩きつけてやってください』袋が役に立った。


 フィルの小さな手を握ると、廊下を走って奥へ向かう。

 内鍵が掛かる場所を思い浮かべ、ミノンは自分の部屋を選択した。女性の寝室だからと配慮してくれた鍵は、いままで一度も使ったことがないけれど、今こそ本来の役割を果たすべきだろう。籠城だ。


 盛大な咳を背中越しに聞きながら自室へ逃げ込み、鍵をかけ、それでも足りずにバリケードになるものを模索。部屋の奥にあるチェストを扉まで引きずっていこうと手にかけたとき、鍵をかけたはずの扉が開く音がした。


「な、なんで!?」

「部屋の扉についているような鍵なんてチョロイよ。こんなの、ないと一緒だって」

「ど、泥棒稼業のひとですかっ」

「違うよ。世の中にはいろんな能力を持った人間がいるもんだ。キミはそれをよく知っているのでは?」

「はあ?」


 意味深なことを言われたとき、その男の肩に手が乗せられた。


「ヘラヘラと笑ってないで、さっさとそこを退け」


 しゃがれた声がさらに潰れたような声色となって現れたのは、なにやら真っ白になったあのおっさん。いつぞやは馬車の窓越しだったので顔しかわからなかったけれど、こうして全体像を見ても納得の体型をしている。つまり、腹が出ていて贅肉がたくさん付いている、典型的な飽食の民。

 その男は悪態をつきながら頭を振り、そのせいで白い粉が舞う。


(ああ、やめてよ。せっかく掃除したのに台無しじゃないのよう)


 場違いなことを考えるミノンのうしろに居たフィルが前へ出てきて、声をかけた。


「ベージル・デフローダ」

「おおお、殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅうございます」

「せじはいらん」

「お世辞などでは」

「ようけんをはなせ。そもそも、なぜここがわかった」

「お探ししましたので」


 答えになっていない答えを返され、フィルが舌打ちをした。

 最近はお行儀のいいフィルしか見ていなかったが、そういえば出会ったころのフィルは、とても偉そうなお子さまだったことを懐かしく思い出す。


 いや待て。このおっさんは、フィルのことを『殿下』と呼ばなかっただろうか。


(え。待って、待って待って。だって殿下ってたしか、皇族の方にしか使わない敬称じゃなかったっけ? 陛下のお子さまに対する呼び名)


 さっきとは別の汗が湧き出てくるミノンの前では、ベージル・デフローダと呼ばれた男がフィルに話しかけた。


「フィリップ殿下が二十歳を迎えられる良き日に、こうして御前を賜ることができて、光栄に存じますぞ」

「ほう、そうか。だがおまえはオーブリーのこうけんしゃであろう。ぼくのことなぞ、きにするたちばではあるまい」

「オーブリー殿下の後見をしているからといって、他の殿下をないがしろにしているわけではございません。皆さま、我が帝国の大事な方々、祝してなにが悪いと申されますか」


 朗らかに笑っているつもりかもしれないが、ミノンの目には『ふてぶてしい』としか映らない。性格の悪さが滲み出ている。ケッと内心で唾を吐く。

 どうやらこの男は公爵らしい。想像以上に偉いひとだった。ミノン程度の存在なんて、口先ひとつでポイできてしまう立場にある。聖女とはいえ平民で孤児なので、使い捨ての存在であることはじゅうぶんに理解していた。


 ミノンは世事には疎いが、帝国民の最低限の知識として、五公爵と皇太子の関係は承知している。誰が誰を、というところまでは民草には開示されていないが、このガマガエル公爵がフィルを推しているわけではないことはわかった。


 話題に出たオーブリーというのは第二皇子だ。

 皇帝の血を引く子どもは幾人もいるが、正妃が産んだ子は男がふたりと女がひとり。最年長である第一皇子フェルナンは、現在二十九歳。しかし未だに正式な後継に指名はされていない。

 これはなにもフェルナンの人間性に問題があるわけではない。彼はむしろとても公明正大な男で、傑物と噂されている。周辺国からの信も厚く、小国とも積極的に友誼を結び、帝国の配下を着々と増やしている辣腕者でもあった。次期皇帝として彼を推す声は絶えない。


 だからこそ、皇帝は優秀な息子をねたみ、なかなか後継に据えないのではないかというのが、そこかしこで囁かれる噂話である。


 フェルナンが傑物であることの影響を受けているのは皇帝だけではなく、ふたつ年下のオーブリーこそが、そうだろう。兄にいいところをすべて取られてしまった残りカスとまで言われ、そのせいでますます卑屈になっているのではないかという説が有力。

 それぐらいオーブリー殿下の評判は悪かった。金遣いが荒いとか、女癖が悪いとか、そういう類のやつである。

 実際に会ったことのない人物を噂だけで判断するのはよくないと思うけれど、この公爵が後見するぐらいなのだから、さぞ御しやすい男なのだろうと察せられた。傀儡にしやすいからこそ、擁立している。


 皇子はたしか五人いて、皇女は六人だったはず。正妃以外の愛妾が産んだ子どもたちがたくさんいる。

 アルマルティア帝国では男子の継承しか認められていないこともあり、皇女たちについてミノンは多くを知らない。貴族令嬢であればお会いする機会もあろうが、平民のミノンには縁のない話。

 一番上の皇女が二十八歳だが、愛妾の子。正妃の娘は第二皇女というややこしい立場らしい。しかし第六皇女がまだ五歳というほうがややこしいのではないかとミノンは思ったりしている。

 いろいろとお盛んな皇帝陛下だと揶揄する声があるのも仕方がないだろう。正式に認められていないだけで、ご落胤はまだいるのでは? なんて噂もあるぐらいだ。


 これらはすべて遠い世界の出来事で関係のないこと。

 ミノンの人生において、自分が関わることなんて一生ないと思っていたのに、どうしてその渦中にいるのだろう。頭は絶賛混乱中だ。


 だって、フィルが殿下?

 第三皇子と第四皇子は双子だったはずなので、消去法でいくと第五皇子フィリップ殿下ということになる。

 フィリップ殿下を産んだ母親は外国から連れてこられた、まだ少女といってもいい年齢だったそうで、出産時に亡くなったと聞いたことがあるが。



「しかし殿下も隅に置けない。そのような御姿になっておりながら、ご立派な青年となっておられるようだ」


 ベージルがねっとりとした視線をミノンへ向ける。一度会ったことなんて記憶していないのだろう。

 はじめて見る女を検分するかの如く、頭の先から爪の先まで視線を這わせ、頬肉がじんわりと上がった。キモい。


「どういういみだ」

「見目は悪くありませんな。神殿の聖女を置いていると聞き及んでおりましたが、それ以外に別の女人まで。まあ、たしかに必要でしょうな、男としては」

「なにをいっている。このむすめが、しんでんのせいじょだ」

「これが……?」

「きさま、さっきからしつれいなことばかり」


 フィルが怒気をあらわにする。

 対するベージルはあからさまな侮蔑の目をミノンへ向けた。


「調べによれば、この聖女は癒やしのちからを持たない役立たず。聖女とは名ばかりで、しかも平民だとか。そんな下民を侍らせるなど、お戯れもほどほどになさい。しょせんは呪われた皇子。似合いといえば似合いでしょうかな」


 それまでは嫌味っぽいながらもフィルをおもんぱかるようすがあったのに、急に態度を一変させた。どういうつもりなのだろう。


「きさま、いったいなにをしにきた。ようがないのであれば、そうそうにひきあげよ」

「何をと問われたら、あなたを始末しに、とお答えするだけでしょう」

「なんだと?」

「未だ後継者が定まらないのは、第一皇子に並んで、あなたが候補者であるため。神子としての資格を失うのを待っているともっぱらの噂だ。他公爵は第五皇子の神秘性を買っているようだが、そんなものはまやかしだ。これのなにが神秘か。呪いだ。呪われた子め」


 憎々しげに言葉を吐かれ、フィルが固まって、ひゅっと息を飲む音がした。

 小さな体が一歩、後ずさる。

 対して大柄な男が、ずんと足を踏み出した。


「どんなものかと思っていたが、呪いはまだ解けていないのは都合がいい。その姿のままで神の下へ向かえ。その先にいるのは邪神かもしれんがなあ」


 言って腰に下げていた杖を振り上げた。

 杖の上部には赤い石が嵌め込まれている。あれは話に聞いたことがある、かつてあった文明の利器『魔法の杖』というやつでは?


 ミノンが考えた刹那、石が光を放ち、まるで触手を伸ばすようにしてこちらへ向かってきた。

 咄嗟にそれを右手で払う。

 赤く光る触手はなんの感触も与えずに霧散し、鱗粉のようなきらめきを放って消えた。


「へえ、腐っても聖女ってこと? 呪いを消したよこの子、すっげー」


 楽しげに言ったのは、壁際に控えていた御者の男。ベージルはその男へ苛立った声をぶつけた。


「おい、どうなっている! 話が違うじゃないか!」

「魔法は万能じゃあないよ。相手の状態によって、得られる事象は異なる」

「っ、ええい、わかるように話さんか!」

「はいはい、ざっくり言えば、魔法をかける相手のほうが強ければ、こっちが望んだ結果にはならないかもねってこと。本当に殺したいなら、物理が最強だと思うよ?」

「物理?」

「殴る蹴る斬る絞める」


 指を折りながら歌うように言って、朗らかに笑った。


「自分でやりなよ旦那さま。こーんな小さな子ども、あんたみたいな体格の男なられるっしょ」

「こ、この俺に人殺しをしろと言うのかっ」

「いまさらなに言ってんの。第五皇子を見つけて殺せって依頼しておいて、自分は知らん顔? それはちょっと無責任でしょ」

「確実に殺すために貴様を雇ったのだろうが」

「最初に言ったはずだよ。魔法はあくまで事象であり、命を落とすキッカケになるに過ぎない。本当に殺したいなら心臓を串刺しにしたほうがいい」

「うさんくさい邪法使いが偉そうに」


 ミノンが身構える前で、敵のふたりが仲違いを始めてしまった。

 しかし、これはチャンスでもある。逃げるが勝ち。

 だが残念ことに、入口へ向かうには彼らの横を通りすぎないといけない。初手から位置取りに失敗してしまったことを悔やみつつ、じりじりと後退。傍らのフィルに囁く。


「あの窓から逃げてください」

「だめだ。まどわくがちいさいからミノンがとおれない」

「だからこそです。フィルが通れたらそれでいいんです。外へ出て、ヨアヒムさんを呼んできてください」

「ば、ばかなことを!」


 フィルが上げた声に、敵陣の顔がこちらへ向いた。


「ほらほら旦那さま。手をくださないと逃げちゃいますよ? せめて見張りと防音ぐらいはしてあげますから、頑張れば?」

「忌々しい邪法使い。あとで覚えておれ。金は払わんからな!」


 血走った目をしたベージルが近づいてくる。

 ミノンはなにかないかと視線を巡らせて、椅子の背に掛けてあった布を広げて、相手に向かって投げつけた。


 ふわりと広がる大判のストール。ベージルはそれを顔面で受け止め、頭の上にふわりと舞い落ちたことで視界を奪われる。


(フィルへの贈り物だったのに、あのおっさんの垢がついちゃったらもう渡せないじゃないの!)


 自分で投げつけておいて怒りが湧いてくる。

 怒っているのは相手も同様で、腕を振り回しながらなんとかストールから頭部を露出させると、ぶはっと息を吐き出した。憤怒の表情を浮かべミノンを睨みつける。


「下民がっ。この俺に、こんな粗末な襤褸ぼろ切れを投げつけるとはっ」

「そまつとはなんだ。かねがかかっているからよい、というものではあるまい。きさまのほうがよほどひんがないであろう」

「デフローダ公爵たる俺が、そこの小娘より下品だとぬかすかあぁぁ!」


 フィルの言葉がそんなにも癇に障ったのか、ベージルの巨体がこちらに向かってきたので、ミノンは慌ててフィルを抱えてしゃがみこんだ。腕の中のフィルが抗議の声をあげると同時に、背中に衝撃が訪れる。

 背後は見えない。けれど、背中を蹴られでもしているのだろうと想像をつけた。

 おそらく拳ではないし、あの杖でもない。

 足だ。足蹴にされているのだと、これまでの経験がミノンに告げる。


 苛立ちの捌け口として暴力を振るわれたことは少なくない。神殿は一見すると健やかで慎ましい清廉な印象を与えるが、どこにだって暗部はあるというもの。表向きが健全だからこそ、底にたまる鬱屈とした陰の気は弱者に向けられる。なんの後ろ盾もないミノンのような孤児に。


 一際大きな衝撃がきて、ミノンはついに床に倒れ込む。

 しかし腕の中にはフィルを抱え、決して誰にも渡さぬように閉じ込める。


「そこを退け、女。皇子を寄越せ」

「はなせ、ミノン。はなせ、どけ!」


 上と下。両者から同じ要求が発せられるがミノンは必死で首を横に振る。

 ダメ。そんなのは絶対にダメだ。


「フィルは、今日、とっても、おめで、たい、日、なんです、から。だから、わたしが、あなたを、お守り、しま、す」


 痛みと衝撃で頭がぐらぐらと揺れる。

 思考が定まらない。

 だけど、フィルは渡さない。


「ミノン、はなせっ! どうして、そこまで。おまえがそんなことをするひつようなんて、ない!」

「……あのですね、フィル。孤児院の院長が、言ってまし、た。誰かを守る、のに、理由なんて、いらない。あっても、ひとつで、じゅうぶんだ、って」

「ひとつ?」


 涙声になったフィルが震える声で問うので、ミノンは己の下にいる子どもに微笑んで答えた。


「好きだから、です」

「すき……?」

「ええ、そうです。わたしは、フィルのことが大好きで、だから、お救いしたい。それだけ、です」





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