15 楽しい誕生日を


 フィルがとても張り切っている。

 ヨアヒムは「こんなに前向きなフィルさまは、もっと小さいころに見たきりです」と感動していた。


 五歳の儀式で正式に神子となり神殿へ入ったフィルだが、それ以前は普通に子どもらしい無邪気さを持っていたそうで、神殿内でいろいろあって、外で暮らすべく出てきたときには、完全に表情筋が死んでいたという。

 ヨアヒムがあの手この手で声を掛け続け、もともと子守り役のような形で傍に居たこともあり、ヨアヒムにだけは感情を出すようになった。


「ですからねえ、ミノン嬢が、俺の居ない数日のあいだに、あっというまにフィルさまの御心を揺らしたことが、正直に妬ましいです」

「わー、それをわたしに言っちゃあたり、本当に正直ですね」


 本日はめずらしくヨアヒムと買い物に出た。

 家を出たのは別々。しばらく歩いた先で落ち合った。

 ふたりでこっそり出かけた理由は、フィルに内緒で誕生日の贈り物を買うためである。

 ヨアヒムはヨアヒムで用意するのだろうが、懐具合が厳しいミノンは、財布の中身と相談しつつ、フィルの私物とかぶらないものを選びたいので、相談役としてご足労願っている次第だ。


「ですが、フィルさまへの贈り物のために俺に声をかけてくださったのは、良い判断です」

「恐縮です」

「あの方は物欲がありません。というか、欲というものがない」

「それは――わかります」


 ミノンが来たばかりのころ、フィルは「自分でなにかを選んだことがない」と言っていた。

 身の回りのものはすべて定められたもので、フィルの意思が介入することはない。

 幼いころからそんな環境に身を置いていたら、なにかを欲する気持ちすらなくなってしまうことは想像がついた。


「ですが最近は、食べたい、美味しいを積極的に発言するようになりました。ミノン嬢のおかげです。いやあ、俺も反省しましたよー」


 はじめてのお出かけから帰宅したあと、思いっきり叱りつけたことを根に持っているのだろうか。

 笑顔でのらりくらりと追及をかわすヨアヒムは、じつはとても冷徹な男なのかもしれないとミノンは考えている。

 しかし、フィルに対する想いだけは揺らがない。

 彼はフィルのことがとても大切だ。

 そこに関しては、ヨアヒムのことを信用している。ミノン自身もフィルを大事に想っていることだけは信じてほしい。


 だからこそ、こうして同行してもらっているのだ。

 贈り物に余計なものは仕込まないし、フィルをおびやかすようなものが混入することがないよう、ヨアヒムに見張っていてもらう。ミノンは、自身の監視役としてヨアヒムを連れてきたつもりだ。


 たぶん、ヨアヒムにはその考えはさとられている。

 わかったうえでなにも言わず、こうして軽い口を叩いてくるのだ。


(本当に油断のならないひとだわ……)


 こんな男が護衛をしているのだ。フィルは、ミノンが想像している以上に高貴な身分なのかもしれない。

 貴族家の後継者というものが、いったい何歳を機に決定するものなのか知らないけれど、フィルが神子であることを知っていて、還俗を待っているのであれば、諸問題は間近に迫っているということになるか。いつぞや町中で声をかけてきたガマガエル似のおっさんは、あれ以来、姿を見ていないけれど、用心はしておいたほうがいいのだろう。


 ミノンができることはないに等しい。

 だからせめて、お誕生日のお祝いを精一杯やろうと決めた。

 こころを込めて、お祝いをしよう。フィルを笑顔にするのだ。


 ヨアヒムに案内され、ミノンでも手が届きそうな価格帯のお店に足を踏み入れた。



     ◇



「きょうもせがのびたぞ」

「それはよかったですねえ」


 今朝の定期計測を終え、台所へ飛び込んできたフィルがそう報告してくれた。

 こちらを見上げる瞳は晴れ渡った青空色。本日も美しい。

 大きくなってもいいようにとサイズアップした服を着るようになっており、たっぷりと布が余った上衣は腕まくりをしないと手が出てこない。ずり落ちているそれを折りたたんであげながら、ミノンは気づく。


(たしかに伸びた、かも?)


 腰あたりに頂点があったフィルの頭部は、いまや胸の下あたりに達しようとしていた。成長に気づいたのが二週間ほど前だったはずなので、驚異の伸び率である。一年ぐらいで大きくなるのだと豪語していたが、あながち嘘ではないかもしれないと感じさせた。


 子どもってすごい。いや、子どもではなかったのだが。

 裾上げをしておいた下衣は直しが必要かもしれない。


「靴も新しいのが要りますね」

「かかとがないものをはいているから、まだへいきだぞ。だが、まあ、よういしておくのもいいな。なにしろあしたは『げんぞく』だからな」


 ふんと鼻を広げてふんぞり返るフィルが言うとおり、フィル(と、そのついでにミノン)のお誕生日おめでとう会は明日に迫っていた。そのため、今日の午後からはご馳走の下準備をしていく予定である。

 体が大きくならないフィルにとって、誕生日というものはあまり嬉しいものではなかったようで、あらたまって「おめでとうございます」と言われる日ではなかったという。ヨアヒムとメナ――彼の妻がささやかな物を贈り、ほんのすこしだけ普段とは違う一日となる。特別扱いはしない。

 大仰に扱われることを好まないフィルのために、ヨアヒムは敢えて小規模のお祝いに留めてきた。


 しかし今年は違う。

 節目となる年齢であり、しかもフィルに成長の兆しが訪れたのだ。盛大に祝わない理由がないだろう。


(うん、めいっぱい大きくしておいてよかった。大は小を兼ねるってフィルに教えてもらったとおりよね)


 内心でうなずく。それはミノンが用意したフィルへの贈り物の話。

 フィルの周囲にある日用品はすべて一級品であり、ミノンが用立てることができる価格帯では見劣りがする以前の問題だと気づいたのは、店に入ったあとのこと。


 どうするんですか? というヨアヒムの面白そうなものを見る視線を受けつつ、店内をぐるりと見渡したミノンの目に留まったのは、大判の分厚いストール。寒い季節に向けての商品が並ぶなか、壁に掛けられたそれは目を引いた。

 目を楽しませる鮮やかな色ではなく、端っこのほうで埋没している生成り色を手に取った。

 地味というなかれ。そのかわりに刺繍糸をたくさん購入する。これをキャンバスとして描いていけばよいのだ。

 針仕事は不得手ではない。安く買った服をすこしでも可愛く直して着るのは、平民女子の嗜みというもの。


 以降、フィルの還俗と成長と新しい世界への門出を祝して、コツコツと針を刺してきた。

 濃淡をつけた緑色で描くのは、どこまでも伸びていく植物の葉。

 光を目指し蔦を伸ばしていくさまを、成長になぞらえてみた。差し色として羽ばたく小鳥をあちこちに描き、蕾と開花した花も配置している。


 ヨアヒムですら「随分と大きいですね」と言ったぐらいで、フィルなら体をすべて包んでしまえるぐらいのものだったが、そのうちに肩から掛けても足が出るぐらいの背丈になるだろうか。

 そうなったらいいなと思う。

 そうなっても手元に置いて、使ってくれていたら素敵だな、と。そう思う。



「なにをわらっているんだ、そんなにおもしろいことがあったか?」

「違います。嬉しいんですよ」

「うれしいとわらうのか?」

「楽しかったり嬉しかったりすると、笑顔になるものなんです」

「そういうものか」


 不思議そうにしているけれど、フィル自身、笑みを浮かべることが増えたとミノンは感じている。


「明日はもっと楽しい日になるといいですね。フィルの好きなもの、たくさん作りますから楽しみにしていてください」

「ぼくもてつだいをするぞ。なにしろこれはミノンのおいわいでもあるんだからな」


 その心意気やよし。

 ヨアヒムではないが、なんだか泣きたくなってくる。


 あのフィルが。

 出会い頭に「わかいおんな」とこちらをバカにして、「うるさい!」と喚き散らしたあのフィルが。

 ミノンを認め、生まれを祝ってくれるというのである。


「ああ、もう。本当にフィルは可愛いですねえ」


 ぎゅっと抱きしめる。


「や、やめ、やめろとい、いって、る、だろうう」

「うわーフィルさま、うらやまけしからん体勢ですねー。女性の胸に顔を埋めるとか、至福のときじゃないですかー、このこのー」

「お、おま、え、は! そう、やっ、て、いつ、もおぉ」


 ミノンの腕を振り払い、ヨアヒムへ突進してその体を叩く。ヨアヒムは笑いながら、そして楽しそうにフィルをいなして、その頭を撫でていた。



 そして迎えたお祝いの日は、朝からとても天気がよく、フィルの瞳色の空が広がっている。

 ご馳走は、遅めの昼食と早めの夕食を兼ねたような時間にしようと決めてあって、それもあって朝食の時間をすこしうしろにずらしている。起床時間もちょい遅め。

 それでいて結局はいつもの時間に起きてしまうのだから、貧乏性だなあとミノンはベッドの上で笑ってしまう。窓の外は惜しみなく注がれる太陽光が感じられ、まさに洗濯日和であることを伝えてきた。よし、やっちゃおう。


 身支度を済ませて部屋を出ると、ちょうどフィルが扉を開けたところに出くわした。こちらも着替えが完了しており、ミノンは目を丸くする。


「フィル、今日はまだ寝ていてもいいんですよ?」

「なんだかめがさめてしまったから、もうおきることにした」

「楽しいことがあると、つい早起きしちゃうんですよねえ」

「そうか、そういうものなのか」

「ええ、そういうものです」

「ならば、ぼくはいま、とても『たのしい』のだな」


 得心したようにうなずいたフィルが笑みを浮かべる。

 それはひどく穏やかな笑みで、ふと幽霊さんの顔に重なった。


 幽霊ではなく、生霊のほうかもしれないと判明したけれど、つい『幽霊』のほうで呼んでしまう彼は、まったく姿を見せなくなった。

 曖昧だった存在が『フィルの未来の姿』である可能性を共通認識としたことで、霊体として存在する理由がなくなってしまったからだろうか。霊とは強い意志が具現化したものだというし。


 ついさっき見たフィルの笑みは、未来の姿を予感させるもので、ミノンの胸はさわさわと揺れる。

 この気持ちはいったいどういった類のものなのだろう。

 あのとき、幽霊――もといフィルの生霊に胸を高鳴らせたのは、男慣れしていない自分の浅はかな感情でしかなく、見目の良い男性に近づかれたことで動揺してしまっただけの、勘違いのなせるわざかもしれないのだ。


(まあ、いっか。いつかフィルがあの姿になることがあれば、そのときに考えればいいだけだし)


 気持ちを切り替えて洗濯物を干し、結局は普段どおりの時間に朝食を取った。ミノンの花茶(とフィルが命名した例のお茶)を持って、フィルは書斎へ籠る。新しく請け負った翻訳仕事のため、本を読むらしい。


 ヨアヒムは出かけてしまった。ご馳走が並ぶ前には戻りますよと言い置いて。

 なにもこんな日にまで出かけなくとも、と思ったミノンだが、フィルは「きっとことしもメナがケーキをつくってくれたんだとおもう」と言っていた。毎年恒例のことらしい。

 以前にヨアヒムが持って帰ってきたクッキーといい、メナさんとやらはお菓子作りが得意なのだろう。砂糖やバターといったものをお菓子に回す余裕がなかったミノンは、そちらの腕には自信がないので、いつかご教示いただきたいものである。


 ヨアヒムの用件が、フィルへの贈り物にまつわることなら仕方あるまい。許してあげましょう。

 ミノンは納得して屋内の掃除に専念することにした。今日という新しい日を迎えるために、綺麗に整えるに越したことはないから。


 それぞれが、それぞれの時間を過ごすなか、玄関のノッカーが鳴った。来客だ。

 お手伝いに積極的になったフィルが向かったか、廊下を歩く音が聞こえる。ミノンも後を追うように向かうと、玄関扉を開けて立っていたのは若い男だった。

 郵便配達のひとではない。あれは――。


「やあ、お嬢さん。やーっぱりキミは関係者だった」

「あなたは、あのときの、御者さん、ですか?」


 ミノンの脳裏に浮かんだのは、先日、町で遭遇したフィルの実家関係者らしいガマガエル似の男と、その男が乗る馬車を操っていた男。はじめにミノンを呼び止め、声をかけてきた、あの御者の男が訪ねてきたのだ。


 居場所を突き止められた――?


 ミノンの背中を冷や汗が流れた。





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