14 還俗に向けて


 フィルは食事量が増え、体を動かすことも増えた。ヨアヒムによる体の鍛え方教室が開校され、フィルは熱心にそれを聞き、真似ているようだ。

 しかし、いかんせん文科系の人間なのですぐに疲労が溜まる。

 ソファーでぐったりしているフィルにお茶を淹れて、一緒に飲むのがミノンの役割らしい。


 だってそのほうがフィルさまは元気になるでしょう? とは、ヨアヒムの弁。

 ニヨニヨと楽しそうに笑い、フィルが憤慨するまでがセット。せっかくなのでミノンも自分の休憩時間として過ごしているのでかまわないが、問題なのはお茶である。


「本当にいいんですか?」

「これがいいんだ」


 フィルが所望したのは、ミノンが個人で飲んでいる茶葉だったのだ。


 ハーブティーというか、薬草茶というか、雑草茶というか。

 これは市販されているものではなく、ミノンが野草を採取し、独自にブレンドしたものである。


 孤児院にいたころ、ちょっと生活が苦しい時期があり、固形物を重視するあまり、飲み物を楽しむ方向にはお金をかけられなかった。

 幸い、この国は地下水が豊富なようで井戸の数も多く、孤児院の庭にも井戸があった。水に困ることはなかったが、たまには味のついたものが飲みたいという気持ちは捨てられない。


 豆や葉っぱからお茶が作れると知ったミノンは、シスターたちに確認しながら『食べられる草』を片っ端から集めて乾燥させて、それを使ったお茶を淹れてみたところ、みんなに好評だった。

 他の子どもも真似て作ったけれど、ミノンが作ったものが一番美味しい。とくに高齢の院長は「これを飲むと元気が出る」と言って、愛飲してくれた。


 だが、しょせんは素人の手仕事。身の回りの人間だけで楽しむならともかく、大勢のひとに振る舞えるものではない。

 神殿に入ったあとも、付近に自生しているものを取ってきて、個人的に楽しんでいた。

 例外は『おじいちゃん』こと、前の神殿長。彼もこの茶を「体の内側から元気になる」と言って、なんと買い取ってくれたのだ。

 さすがに神殿内で商売はできないので、聖女への寄付という名目で少額をくれており、名指しでの仕事が皆無のミノンにとって、それはとてもありがたい収入にはなっていた。


 数は少ないし、量産もできない。時間があったときにまとめて作る。

 そんな茶葉が、よもやフィルのところにまで届いていたとは思わなかった。



「ぼくもまさか、このちゃばを、ミノンがこじんてきにつくっているとはおもわなかった」


 だから、たまにしか入っていなかったんだな、と語り、そっとくちをつける。

 このお茶はあまり高い温度で淹れないほうが香りが高くなる。猫舌のフィルにはちょうどいい頃合いが、一番の飲み時というわけだ。


「ほかのものがつくったら、ミノンのつくったものよりあじがおちるというのであれば、それもまたミノンのちからだとおもう。げどくのちからがはたらき、どくそをとりのぞいているのではないだろうか」

「毒草は使ってないはずなんですが。シスターにもきちんと確認を取って摘みましたし」

「どくそうではなかったとしても、にはえているものをつかっているのであれば、すくなからず、よくないものはふくまれているだろう」


 体に影響の少ないもの。摂取したところで問題のないもの。

 だが、そういったものを取り除いたとしたら、より効果は高くなる。高齢の者であれば顕著にそれを感じられるに違いない。


「風邪を引いたときにこれを飲んで、一晩寝たらすっきり元気になってたりしたこともあって。まあ、薬も飲んでいるので、必ずしもお茶のせいってわけじゃないんでしょうが、お茶自体にも解毒作用があって、体の中から元気になれるんだとしたら、いいことですね」


 薬効が実証されているわけではないし、そもそもこれを『薬』の範疇に入れるわけにもいかない。それらは医療の領分となる。

 やはり現状どおり、身近なひとだけで味わうお茶に留めておいたほうがいいだろう。


「そもそも、量産できるものでもないですしねー」

「そうなのか?」

「わりと手間かかってますよ。摘んで、綺麗にもみ洗いをして、陰干しで乾燥させて、そこからさらに選別してってかんじで。神殿ではおおっぴらにできなかったんですが、ありがたいことに、ここでは干す場所もたくさんあるので、以前よりは作れるようになってます。いまのうちにストックしておこうかなって思って張り切ってやった結果、おかげさまで量を確保できましたから、孤児院へ贈るつもりです」


 きっと喜んでくれる。

 みんなの顔を思い出していると、フィルが手を挙げた。


「ぼくもかいとりたい」

「お金なんていりませんよ! この家の敷地をお借りして作ったんですから、場所代ってことでフィルには差し上げます。これから、お誕生日まで、たくさん飲みましょうね。フィルの成長を阻害しているなにかが体の内側にいるなら、それを退治してやりましょう!」


 フィルが熱を出して寝込んだとき、元気になってほしくて、体の中にある悪いもの――毒を消せないかと考えて、ぎゅっと体を抱きしめたことを思い出す。

 あのときはすっかり熱も下がって元気になっていた。それと同じに考えてはいけないのかもしれないが、やらないよりはやったほうがいいのでは?

 そう考えたミノンは、横に座っているフィルの小さな体を腕の中に抱き込んだ。


「んな!!」


 フィルが硬直したあと、逃れようと腕の中でもがきはじめた。


「はなせ! はじらいをもてといっているだろう! ぼくはもうすぐはたちになるおとこなんだぞ!!」

「そうですねえ、ビックリです」


 自分は男なのだから、抱き着くという行為は、年頃の娘がするものではないのだと、さんざん言われてきたことだが、フィルの秘密を明かされてなお、いまいち実感が湧かない。

 だってこんなに小さくて可愛いのである。

 いずれ大きくなるとしても、まだよいではないか。


「なので、もうすこしだけこのままいきましょうよう」

「おまえ、ぼくがちゃんとおとなのおとこになったら、おぼえていろよ!」

「はいはい、そうですねえ」

「ほんきにしていないだろう! よし、もっとおちゃをのむぞ。さっきけいそくしたら、きのうよりせがたかくなってたんだからな!」


 ちょびっと背が高くなっているのでは疑惑以降、背丈の計測が日課になった。

 そんな毎日測ったところでなにが変わるのかといったところだし、立ち位置によってわずかに変化が出るものだ。

 それ、ただの誤差では? と思わなくもないが、あんなに喜んでいるのだ。素直に褒めておいてあげよう。


「それはすごいですね。おめでとうございます」


 ぐりぐりと頭を撫でる。

 短いながらも柔らかい髪。伸ばすと本人は宣言したが、幽霊さんほどの長髪になるには長い年月かかることだろう。いまはまだ、ようやく襟足に届く程度。

 それでも、ずっと首元を晒していたフィルにとっては、何物にも代えがたい喜びなのだと思う。


 二十歳の誕生日を迎えたところで、劇的に変化が訪れるわけでもないだろうが、神の子ではなくなったとき、フィルもまたようやく『子ども』ではなくなる。


 じつのところ、長く神殿にありながら、ミノンは神子の還俗に立ち会ったことはない。傍付きの聖女と聖堂へ赴き、そこで神に御礼の言葉を述べるという手順だけは知っている。

 神具を返還し、只人ただびととなるのだが、べつに姿形が変わるわけでもないし、聖魔法が使えなくなるわけでもない。ただ神子とは名乗れなくなり、その後の処遇を決めるだけ。残って神殿職員になる場合もあるし、外に出て実家を継ぐ者もいる。芸術方面に長けていればそれを生業として暮らすし、なんらかの職人として身を立てる場合もある。一芸に秀でているからこその未来だ。


 フィルの場合、すでにたくさんの仕事をしている。諸外国の本を翻訳することは、十四歳ぐらいから『仕事』として請け負っているらしいので、それをそのまま続けていけばよいだけだ。


 すごいなあと思う。

 ヨアヒムがよくフィルのことを自慢しているけれど、あれは単に「うちの子かしこいでしょう?」という親ばか発言ではなく、お仕えする主人の自慢だったわけだ。


 それは似ているようでいて、たぶんすこし違う。

 憧憬しょうけい、あるいは礼賛らいさん

 そんなふうに思える相手がいることは、傍に仕える仕事をしている者として羨ましいと素直に思った。



「たんじょうびといえば、ミノンのたんじょうびはいつなんだ?」

「わたしですか?」


 腕の中から逃れたフィルに問われて、ミノンは目を瞬かせた。

 じつのところ、これはとても微妙な問題なのだが、澄んだ瞳で問われたからには答えないわけにもいかない。子どもの疑問はおざなりにしてはいけないのだ。


「わたしが孤児院出身なのは、フィルもご存じだと思いますが――」


 前置いて、ミノンは説明する。

 孤児院で暮らすようになった経緯は、ひとくくりにはできない。

 ミノンは置き去りにされたくちだが、病気で両親を亡くし、他に頼る縁者がなかったために孤児院へ身を寄せることになった子がいる。あるいは泥沼離婚劇の末に「子どもなんていらない!」なんて言われてしまった子もいれば、「いつか迎えに来るから」という言葉とともに預けられた子もいる。


 理由もさまざまなら、孤児院へ来た年齢もさまざま。

 つまり、自分の誕生日を記憶している者と、そうでない者が混在しているのだ。明確に『何月何日』と分かっている子のほうが少ない。


 そういった理由から、いらぬ嫉妬を煽らないためにも、孤児院では春夏秋冬に区分けして、年に四回まとめてお祝いをする方式を取っていた。

 自身の誕生日を記憶していないような年齢の子は、孤児院で預かったときに診察をお願いする医師に、おおまかな月齢を判定してもらっている。そこから逆算する形でざっくりと生まれた季節を決めていくのだ。


「わたしは物心つくより前に孤児院に入ったので、ざっくり判定組です。秋生まれ班に属していました。秋にも幅があるので、暑すぎず寒すぎない位置を狙って、お祝いする日を決めていましたね。食材手配のしやすい時期を狙ってみたりするので市場も鑑みるし。だから毎年、日付はバラバラで、とくに決まった日はありませんでした」


 言い終えてフィルを見ると、呆然とした顔で固まっている。

 しまった。高貴な御方には別世界の出来事すぎた。

 まとめておめでとう会は、べつにそんな沈痛な面持ちで開催されるものではなく、たくさんのご馳走を食べられる機会なので、子どもたちにとっては楽しい行事なのだ。


「あの、フィル? べつに、そんな哀しむようなことでは――」

「おいわいをしよう」

「――はい?」


 唐突にフィルが言った。


「ミノンはあきうまれ。いまぐらいのじきに、おいわいをしていたということだな」

「まあ厳密に言えば、もうすこし先ですけど」

「きまったひづけはないといったじゃないか。だったらはやくてもいいだろう? ぼくといっしょにおいわいをするぞ」

「一緒に」

「そうだ。ぼくとミノン、いっしょに『げんぞく』だ!」





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