13 神子の真実
まじまじとフィルを見た。
五歳の体だけど、中身はもうすぐ二十歳の青年。
ということは、現在のフィルは自分と同い年? むしろちょっと年上??
ミノンは理解が追いつかず固まった。
神子の神秘はさまざまだけど、こんな事象は聞いたことがない。
「しんじられないのもむりはない。ぼくだって、わがみのことながら、あまりにも
国内外を問わず、魔法・呪術に関する文献を取り寄せ、辞書を片手に読み込んだという。
しかし
そのかわり、手に入れたのは言語能力。諸外国の文字を介し、自国の言葉に翻訳できるまでになった。
帝国の国土は広く、使用されている文字も幅広い。統一言語はあれど、古い書物となれば旧国文字で書かれているものも多く、しかしそれを訳せる者は年々少なくなってきている。フィルはそれらを現在流通している言葉に訳して、研究者へ引き渡す仕事をひそかに請け負っているらしい。
外国の文化を取り入れ自国へ活かし、産業へも寄与している。
ただ、それらは表立っての活動ではなく、別の人物を通して流布させており、フィルの名前は出ていない。
秀でた能力を持つ神子の手がけた仕事は、『神子の
おそらくそれは、神子が姿を見せて仕事をするのが、十二歳を超えたときからと内々で決められているから。
たとえ年齢が達していても、五歳の姿をしたフィルがその名を使って人前には立てないし、大きな仕事を成したところで認められないというわけだ。
「べつにいいんだ。たいしたことをしたわけではないから」
「フィルさまはそう言いますけどね、帝都の治安や暮らしを向上させたのは、フィルさまの功績ですよ」
「よそのくにがやっていることをまねただけじゃないか。ぼくのかんがえたことじゃない」
「他所の文化を流用して定着させたことに意味があるんですよ。無用の長物と化していた広報塔が、あれだけ活用されるようになったのはフィルさまの実績です」
ヨアヒムはいつになく熱弁を奮った。
それによると、例の時計の鐘を広報塔経由で響かせ、王都のどこにいても時刻を把握できるような仕組みは、フィルが書物から得た知識をもとに導入したものらしい。
また、食文化に優れたジネスポ国の風習もそうだ。生絞りのジュースや温冷水を完備した露店の拡大、商店街の区画整理、競合店の対立を防ぐための法整備、商工会の設立など。商人や職人同士の喧嘩がなくなれば、結束力もあがるし、応じて治安も向上していく。
同じ王都でも、城から遠くなれば目も行き届かなくなっていくものだが、町のはずれのほうであっても人心の安定により、暮らしやすくなっていった。ここ十年ぐらいの出来事だという。
そういえば、と思う。
ミノンがもっと小さなころは、幼い子どもだけで買い物になんて行けなかった。シスターたちからきつく言い聞かされていたし、通ってはいけない道もあった。決められた道は決して逸れてはいけない、悪いひとに攫われると。
だけど、十歳ぐらいになると、そこまでくどくどとは言われなくなった。
単に年齢が上がったせいだと思っていたけれど、もしかしたらそうではなかったのかもしれない。
「奇異であることは、特別であることと同意です。それらは決して悪ではないのです。俺はフィルさまに見ていただきたかった。町へ出る許可を出したのも、そのひとつですよ。あなたはご自身のなさったことを身をもって知るべきだと思いました」
見て、触れて。
それらを実際に体験してこそ得られるもの。
「たしかに外に出ることで、身に迫る危険もあるでしょう。しかしフィルさまを護るのが俺の仕事です」
「おまえにはくろうばかりかけている。ぼくのごえいなどになったばかりに」
「役得ですよ? 普通の護衛騎士では味わえない体験をさせていただいてますし。あと、ほら。子育ての先行体験もできましたので、夫婦そろってフィルさまには感謝ですねえ」
ともすれば不敬とも取られかねないことを主人に言うヨアヒム。
長い付き合いだとよく言っていたが、フィルの年齢を知った今では、その重みを理解する。
生まれたころから知っていると言ってた。
つまり、五年どころではなく、その歴は二十年にも迫るというわけだ。
神殿に入っていた期間は別としても、ヨアヒムは傍でフィルを見守ってきた。それはもう家族と同然。感慨もひとしおであろう。
「お誕生日のお祝い、盛大にしないといけませんね」
「是非とも」
「まて。なにもそんなとくべつなことをしなくとも」
慌てるフィルにミノンは言う。
「なに言ってるんですか。フィルは還俗する――かどうかは神殿との兼ね合いもあるでしょうが、少なくともその判断をする年齢に至るということですよね。おめでたいじゃないですか」
「……めでたい、のか?」
「神殿の面倒くさい縛りがなくなるんですから、おめでたいのでは?」
ミノンからすれば、そう思える。
後ろ盾のない孤児でも守ってくれる組織ではあるが、守らなければならない決まりが多く、息苦しい側面も多い。神子や聖女が一定年齢で外へ出ていくように、還俗後も『職』として神殿に残る者が少ない時点でお察しである。
「俺はあまりくわしくないんですが、聖女にも還俗という概念はあるんですよね。年齢の上限などは」
「とくに決まってないですね。望みさえすれば生涯現役でいられるので、食いっぱぐれのない仕事ではあります。年齢とともに癒やしの能力は衰えてくるらしいですが、それでも神殿の内部事情を知っているひとのほうが使いやすいんだと思います」
「たしかに、ミノン嬢が来るまで、聖女という肩書きで派遣されてきたのは、年齢が上の方が多かったですね」
ヨアヒムが納得したように呟く。
フィルはミノンに問うた。
「では、ミノンはずっと、しんでんのせいじょなのか?」
「わたしには帰る家もありませんし、そのほうが楽といえば楽ですね」
「そうか。こじいんは十六までしかいられないから、みな、それまでにしごとをさがして出ていくのだったな。いやしのちからがあれば、しんでんを出てもそういうしごとができるが、げどくのちからではちりょうのしごとができない。ミノンはそう言っていたが、そんなことはないとおもうぞ」
「そうでしょうか」
さんざん能無し扱いされてきたミノンの自己評価は底辺に等しい。
一度でも『聖女』を名乗ったからには、周囲はそれなりに期待を寄せることだろう。下っ端とはいえ、そんなものは神殿から出てしまえば関係ない。外野から見れば、等しく同じ『聖女』である。寄せられるであろう期待を全力で叩き落とす未来しか見えなかった。
眉根を下げたままのミノンに、フィルは続ける。
「言われたあとにかんがえてみたのだが、ミノンのてがつくるりょうりにげどくのさようがはたらくのであれば、それをなりわいにすればよいのではないか? アサンというくにには『やくぜんりょうり』というものがある。からだによいものをとりいれたしょくじだ」
それをふんふんと聞きながら、ミノンは違和感に気づいた。
神殿を出たあとは、神殿聖女の肩書でもって治療院で働くことも可能だ。医師の資格とまではいかないが、彼らの指示のもとで医療に近しい行為もできる。
しかしミノンは、切り傷を治す程度の治癒力しか持っていない。ちからが及ぶのは表皮に近い場所だけ。骨にまで達したものは対応できない。
つまり、転んで泣いている子どもを助けてあげることはできても、大人が耐えがたいほどの痛みとなれば手に負えないのだ。我慢すればいいだけのものを治せたところで、たいした意味はない。
これから先の未来について。ひそかに悩んではいるけれど、普段から『能天気』だの『悩むことなさそう』と称されるミノンなので、そういったネガティブ思考を明かすことは難しく、「なんとかなるなる」と笑ってみせていた。
だから、悩みを知っているひとはいないはずなのだ。たったひとり、夜な夜なの会話ついでに打ち明けてしまった『幽霊さん』以外には。
「幽霊さんにしか話していないのに、どうしてフィルが知ってるんですか。もしかして――」
「……ぼくは、その」
「盗み聞きですか? よくないですよ、そういうのは。眠っているところを起こしてしまったのは悪かったと思いますが、だったら部屋に入ってきてくれたらよかったんです。そうしたらフィルも幽霊さんに会えたのに」
「ちがう!」
途端、憤慨したフィルが叫ぶ。
その声量に、自身で驚いたのか固まったフィルだったが、ひとつ息を吐き出して、今度は神妙な顔つきとなってミノンを見た。
「たぶん、ぼくがその『ゆうれいさん』とあうことはできない、と、おもう」
「わからないじゃないですか。わたしもべつに霊感とかに優れているわけではありませんが、姿を見ることができてますし」
「そういういみではない。じぶんでじぶんにあうことはできないだろう? といういみだ」
「自分で自分に……?」
「あのゆうれいは、ぼくだ」
「はあ!? え、だって、フィルは生きているじゃないですか」
たしかにあの幽霊氏は、どことなくフィルに似た雰囲気があったけれども。
混乱するミノンに、ヨアヒムが言う。
「俺は当事者ではないのでなんとも言えませんが、つまり幽霊ではなく、生霊とか、そういうやつではないかと。フィルさまは、夢だと思っていたらしいですし」
「夢、ですか」
「そうだ。ねむっているじぶんをみおろしているんだ。ついにしんだのかとおもったが、そのとき、ミノンがへやにやってきて、こえをかけた」
「それ、あのときの」
なんとなく目が覚めて、フィルの部屋を訪ねた。幽霊氏をはじめて見たそのとき、フィルもまたはじめて霊体となった、らしい。
そのあとのことは、ミノンも当事者なのでよく知っている。
部屋に招き入れて明け方近くまで話をした。
数日置きにふっと出現しては、同じように部屋で話をする。神出鬼没の幽霊さんとの会合は、ミノンにとっても大いなる刺激だったことは否めない。
彼はヒトであってヒトではなかったので、気軽に話ができたのだ。
俗世のしがらみに囚われない相手だから愚痴も言えたし悩みも打ち明けた。
幽霊氏は頭の回転が早く見識も高い。生前はさぞかし優秀だったのだろうと思わせる聡明な人物で、生きているうちにお会いしてみたかったなあと、そんなふうにも思っていた。
その幽霊の本体がフィル。
たしかにフィルは賢い子どもである。
いや、子どもではなかった。立派な青年であったと、ついさっき知った。
「……フィルが大人になったら、こんなふうになるのかなって思ったのはたしかなんですが、やっぱりまだ半信半疑ですね」
「俺は幽霊フィルさまを見ていないので判断できませんが、たとえばその事象が、フィルさまが還俗に近づいたせいで、体の成長阻害が解消されつつあるという現れとすれば、どうでしょう」
「神子ではなくなるから、もう五歳の体でいることもないってことですか?」
しかし、世の『神子さま』は体の成長が止まってしまう、なんてことは起きていない。普通に育っている。
フィルがそれだけ特別な存在と言ってしまえばそれまでだが、そんなふわっとした理由で五歳児のままだなんて、当人も周囲も納得がいかないだろう。
「霊体とはいえ、本来そうあるべきであった年齢の姿を取った。それだけではなく、現実の体にも影響は出ています。ずっと、なんの変化もなかったフィルさまの髪が伸び、背丈も伸びたんです。これは期待できますね」
「このままおおきくなっていける、ということか」
「いままで抑圧されていたぶん、伸び率も大きければいいですねえ」
「いちねんぐらいで、ぐっとおおきくなれるか!」
「それはさすがに盛りすぎですよフィルさま。気持ちはわかりますが、ゆっくりいきましょう」
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