12 成長するこころ


「思ったんですけど、そろそろフィルの髪を切ったほうがいいのではありませんか?」


 朝食の席でミノンが問うと、フィルとヨアヒムが強張った顔をした。

 そんなにおかしなことを言っただろうか? ミノンは首を傾げる。


 この家へやってきて五か月。ミノン自身は伸びてきた前髪が邪魔でハサミで適当にカットしているけれど、さすがに後ろ髪を自分で切るのは難しくそのままになっている。もともと肩にかかる程度の長さだったが、いつのまにか胸に届くほどになったと先日気がついた。


 そして思ったのだ。フィルについてはどうしているのか。


 散髪は刃物を向ける行為のため、余所者であるミノンに任せてもらえないのはわかる。おそらくヨアヒムが整えているのだろう。

 だからこれまで言及してこなかったけれど、そろそろ整えてもいい時期ではないだろうか。おせっかいかもしれないけれど、身だしなみは大事。


「ほら、襟足がだいぶ伸びてますよ。そろそろ寒くなってきますし、首筋の防寒を兼ねて伸ばすのなら、それでいいとは思いますが、前髪は切ってもいいのでは? 目にかかるのか邪魔そうにしてますし」

「はあ!?」


 ヨアヒムが素っ頓狂な声をあげた。

 なにをそんなに驚いているのか。フィル自身も目が泳いでおり、ミノンはますます不思議に思った。


 カトラリーを皿に置き、ヨアヒムはフィルの背後へまわる。腰をかがめ、椅子に着席しているフィルの頭部をまじまじと覗き、指で触れ、柔らかな金髪を確認するように撫でている。

 ミノンが見たかぎり、フィルの後ろ髪は襟にかかるぐらいの長さ。

 出会ったころがどうだったのか、はっきりと記憶しているわけではないけれど、当初着替えを手伝っていたときは、もうすこし短かったように思うのだ。


「……ぼくのかみが、のびている?」

「フィルさま。事実です。本当の本当に、御髪おぐしが」


 声を震わせているふたりに、ミノンは呆れ返った。

 たかが髪が伸びた程度で、なにをそこまで。気づかないうちに、いつのまにか長くなっているのが髪の毛。感動するようなことだろうか。


「あ、もしかして伸ばしたいんですか? たしかに神子さまって長髪のひとが多いですよね」


 どこかの国では、神は髪に通じると信じられており、神職につくひとは髪を長く伸ばしていると聞いたことがあるが。


「でも、帝国の神官さまって禿頭の方も多いですよね。矛盾してます。まあ、しょせんは迷信ってことですかね」

「禿頭なのはお年を召しているからでは? あと、まあ、そういうのは血筋というか。非常にデリケートな話題なので、あまりくちにしないほうがよろしいかと」


 やんわりとヨアヒムが言うなか、フィルがぼそりと呟いた。


「……のばす」

「伸ばすんですか?」

「ミノンはみじかいほうがすきか?」

「似合ってさえいれば、どちらでもいいと思いますけど」

「ぼくはどっちがにあうとおもう?」


 問われて、ふと幽霊さんを思い出す。あれ以来、すっかり姿を現さなくなってしまったが、天へ昇ったのだろうか。

 あのひとも美しい長髪の持ち主だった。

 どこかフィルに似ていた気もするけど、あれはフィル本人ではないし、そもそも年齢がまったく異なるので比較にならないか。


「そうですねえ。実際に見てみないとわかりませんけど、伸ばしてみて、嫌だなって思ったら切ればいいんですよ」

「そうする。のばす」

「髪も伸びてますが、背だって伸びてますよね」

「そ、そうおもうか!」


 フィルの顔がさらに輝く。蒼天の瞳がキラキラと、まるで太陽のように明るく光を伴い、ミノンは眩しく感じて目を細めた。

 フィルが嬉しそうだと自分も嬉しい。

 そう思う。つられて笑顔になってしまう。


「はい。わたしがここに来たときと比べて、なんだか顔の位置が違うような気がするんですよ。こう、ぎゅってしたときの位置が」

「だ、だだ、だから、そういうことを、おとこにたいしてみだりにするのはよくないんだぞ!!」

「わたしだってひとを選んでますよ。ヨアヒムさんにはしませんし、フィルだけです」

「ぼくだけ……。そうか、ぼくだけか。なら、べつに、いいけど……」


 もそもそと話すフィルを見てヨアヒムが笑い、そんな護衛のおなかに拳を入れる神子。本当に仲がよくて羨ましい。


「いいなあ、おふたりは本当に仲良しで、妬けてきますね」

「やきもち!」

「ほほう。よかったですねえ、フィルさま」

「ミノンは、その、すいたおとこはいるのかっ」


 すいた?

 しばし考えて、『好き』の意だと理解する。


 好きな男と言われても、神殿では基本的に男女別に暮らすし、住居も分けられている。名目上は神の妻なので、異性との接触は限られているのが聖女だ。

 もっとも、普通の聖女たちは休息日には自宅へ帰ったりしていたし、富裕層出身の聖女たちは、実家関連で婚約が決まっている者もいるようだった。


 そういった意味では、神子の傍つきとして彼らの目に留まろうと画策するのは、より上位の、より地位のある殿方と婚姻を結びたいと願う貴族家の聖女たちのほうだったかもしれない。

 どちらにせよ、ミノンにはまるで縁のないことだった。


 孤児院時代、年長者として他の子どもの面倒を見るため、ちびっこには好かれていたと自負している。同年齢ぐらいの少年たちにも、まあ好かれてはいたと思う。

 ただそれが、家族的な親愛の情を超えたものかといえば、判断は難しい。

 院を出て、外でなんらかの仕事を始めた少年たちが、その後ミノンとかかわる機会はほとんどなかった。土産を持って孤児院を訪れても特別なことはなかったし、シスターから聞いたところによれば、仕事場で出会った女の子と懇意になったと話している子もいたようだ。

 みんな、外の世界を知ると、いかに狭い場所で生きてきたのかを知るのだ。


 それらは決して悪いことではない。ミノンだって、神殿に入ってからさまざまなことを知った。

 それが大人になるということだ。


 ひとは成長するもの。

 知らなかったことを新しく知るのは、楽しいことだ。


 その前提で考えると、好きな男というのも微妙なところである。

 親しい異性はいるけれど、どれも身近だった子どもたちなので、いわゆる恋愛感情ではないだろう。一般的な家庭における兄弟のような存在。


 次に親しい異性といえば、ミノンを聖女に引き上げてくれた恩人たる、前の神殿長。おじいちゃん。

 名前は知らない。

 知らないほうがいいと言われたので、敢えて聞かなかった。


 きっとすごく偉いひと。

 そういう階級にいる人物とかかわると、なにかあったときに厄介事に巻き込まれるのだと、他ならぬそのおじいちゃんから教わった社会事情。


 だからミノンが知っていることは、そのおじいちゃんは若いころに神殿に入り、その業務に邁進するあまり婚期を逃したということ。

 子どもがいないからか、ミノンを孫のようにかわいがってくださった。

 大好きな異性ではあるけれど、さすがに年齢差がありすぎるし、たぶんこの気持ちはそういうものではない。


 年齢差といえば、フィルだってそうだ。

 先日、なにやら生涯を共にすることを求められたかんじだが、現在五歳のフィルが還俗するまでには、あと十五年かかる。十九歳のミノンは三十歳を超えることになるだろう。そのころには、フィルの周囲には似合いの聖女がいるだろうし、そちらに目を向けるのが自然というもの。


(年齢が近い、親しい異性ねえ……)


 考えて浮かぶのは、ひとりだけ。

 いや、あれをひとりと数えていいのかどうか。

 人間とはいえ、元人間。肉体を持っていない幽霊である。


 思い出すと頬がうっかり熱くなってしまい、右手を添えて溜息を漏らす。

 そんなミノンを見たフィルが、目を見開いた。


「い、いるのか。だれだ、ヨアヒムか」

「フィルさま。それはないです」

「そうですよ。ヨアヒムさんには大事な奥さまとお子さんがいらっしゃるじゃないですか。失礼ですよ」

「じゃ、じゃあだれだ。まちにいるやつか」


 フィルがやけにこだわってくる。ここでごまかしたところで、同じ質問はまた出てくるかもしれなくて。

 だとしたら、もういっそここでぶっちゃけてしまって、笑いを取ってしまおう。

 ミノンはそう考えて、言ってみた。


「外のひとではないですね。っていうか、この世のひとでもないです」

「聖女だから神を愛するとか、そういう?」


 ヨアヒムの問いに頭を振る。


「幽霊ですよ。わたしの脳内妄想的な存在かもしれませんけどねー」


 さあ笑えとばかりに、わざと明るく言ってみる。

 すると予想外の反応が現れた。

 ヨアヒムは唖然としたあと、フィルを見る。

 そのフィルはといえば、くちをポカンと開いて呆然としていたかと思えば、ミノンの視線を受けてみるみるうちに顔が赤くなっていく。


「フィル? どうしましたか?」

「ほ、ほ、ほんとうか。ミノンはあのゆうれいのことを、おとことしてすきなのか?」

「――そういうふうに言われると断言はできないんですが。なにしろ、わたしは恋というものをいまいちわかっていないので」

「そうか。ぼくもだ」

「一緒ですねえ」

「いっしょだ。ぼくもミノンのことがおんなとしてすきだぞ」

「フィルさまー、たぶんそれ、いまいち伝わってないと思いますよー」


 だってうちの子も、「おかあさんとけっこんする」っていつも言ってますしねー。ゆずりませんけどねー、あははーと笑うヨアヒム。


「まあ、それはそれとして。ミノン嬢にひとつお話しておきたいことがあります」

「なんでしょう?」

「じつはもうすぐフィルさまのお誕生日なんですよ」

「まあ、それはおめでたいことですね。お祝いしないと。ご馳走を作りましょう。フィルの好きなもの、いーっぱい用意しますね」


 フィルの好物はもう知っている。

 柔らかいものより、歯ごたえがあるほうが好き。

 甘いものは嫌いではないけれど、意外と辛口――スパイスが効いたものを好む。砂糖をまぶしたバタークッキーよりも、黒胡椒を練り込んだチーズクッキー。


 肉よりも魚、ムニエルよりは、焼きめをつけた香ばしいものがいい。

 フライにしたものも好きだから、野菜を細切りにして素揚げにして、いろんなソースをつけて食べよう。

 そうだ。以前にフィルがくちの中をヤケドした、なんでも焼きも作ろう。ヨアヒムも珍しがって食べてくれたし、レシピを自宅に持ち帰って奥さまにも紹介したと言っていた。



「楽しみにしていてくださいね」

「……ありがとう」

「いいんです。お誕生日は好きなものをたくさん食べてもいい日なんですから」

「そうか。すきなものか。ぼくにはたくさんの『すきなもの』があって、ミノンがそれをみつけて、ぼくにおしえてくれたんだ」

「大袈裟ですねえ。ところでフィルはおいくつになるんですか? 六歳であってますか?」

「はたちだ」


 フィルがそう言って、ミノンは首を傾げた。

 はたち、とは。なにか別の言いまわしだろうか。


「ミノン嬢、フィルさまのお言葉は比喩でも歪曲表現でもありません。そのままずばりの意味ですよ」

「はい?」

「ぼくはことしで二十さいとなる。げんぞくだ」

「還俗年齢に、おなりになるんですか? でも、その姿は――」

「ぼくは、せいしきな『みこ』としてみとめられた五さいから、ずっとすがたがかわっていない。十四ねん、ずっとこのままですごしている、ぼくは、のろわれているんだ」


 覚悟を決めたようなまなざしで、フィルがミノンを見据えてそう言った。





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