11 護衛騎士の本懐
「ベージル・デフローダが来たようです。ミノン嬢が声をかけられたとか」
「ミノンが!? ぶじなのか」
「さすがに往来で問題を起こすほど愚鈍ではないでしょう。あれでも公爵です」
とても残念なことに。
ヨアヒムは溜息を押し殺す。
帝国内には現在、五つ公爵家が存在している。
広い国土を東西南北に分け、各公がそれぞれの区画を管理しているが、デフローダ公爵家は中央区を牛耳る、昔ながらの非常に腐った考えを煮詰めた貴族であった。
現在の当主であるベージルは、徹底した階級主義者。
昨今は平民にも政治への参画を認め、広く門戸が開かれるようになっているが、それを
五公爵はそれぞれに皇太子を擁立する権利を有しているのだが、デフローダは第二皇子オーブリー派である。
第一皇子フェルナンに次いで次期皇帝として推挙される立場だが、残念ながら頭の程度は低いと言わざるを得ない。二歳上の優秀な実兄、フェルナンと比べられる機会が多いせいで、余計にひねくれて育ってしまっている。そこをうまく使い、傀儡として操ってしまえば、帝国で大きな立場を得ることができるというのが、第二皇子派の考え。デフローダはその筆頭貴族である。
第三、第四とふたりの皇子は愛妾が産んだ双子の男児で、継承権はあるものの、血統を考えると皇帝には遠いと考えられていた。正妃が産んだ子がいるのだから、そこを押しのけてまで覆すことは難しい。
そこで出てくるのが第五皇子であるフィリップだった。
皇帝が手をつけた、新しい愛妾が産んだ子ども。
末子で、本来ならば継承権も低いが、神聖魔法を遇する帝国にとって、その魔法を宿した男児となれば、話は変わってくる。周囲の期待は入れ替わり、正妃が産んだ第一皇子フェルナンに並び立つほどの立場になってしまった。
第二皇子を推す者にとっては、もっとも邪魔で、排除したい存在であるのは言うまでもないだろう。
「けっかいをつよくする」
「そのほうがいいでしょうね。まったく、どこから嗅ぎつけたんだか」
「ぼくがそとに出たから、だよな……」
悔しさをにじませた声でフィリップが言って、ヨアヒムは首を横に振った。
「フィルさまのせいではありませんよ。ミノン嬢の提案に、許可を出したのは俺ですから」
「だが、ぼくがもうすこしきをつけていれば」
「どのみち、そろそろ限界だったんですよ。もうすぐフィルさまのお誕生日ですし、そのために準備したのがこの家です。稀代の神殿長と称された、エルンスト・ロズゴニーさま――あなたの大叔父が、あなたのために用意してくださった居場所」
神殿でどんな暮らしをしていたのか。ヨアヒムは傍で見ていたわけではないから知らないけれど、五年ぶりにフィリップ皇子の顔を見たときは衝撃が走った。
時を止めたように背格好が変わっていない、ということではなく。感情のすべてをなくしてしまったような虚ろな顔。からっぽの神子という名は、あながち間違っていないと思ってしまったほどに、フィリップは生きながら死んでいた。
あの可愛らしくあどけない子が。
拙い声で「よあひむ」と呼び、己に手を伸ばしてくれた幼い子が。
「すまない、これからおまえにくろうをかける」
第一声でそんなことを言うものだから、ヨアヒムは悔しくて哀しくて。
つい、昔のように軽口を返してしまったけれど、本当はあのとき、怒りでどうにかなりそうだったのだ。
幼い子を追いつめた周囲と、なにもできなかった自分の不甲斐なさに。
「ミノン嬢がね、言ってましたよ。あなたの望みを叶えたいって」
「ぼくの、のぞみ?」
「実家の跡継ぎになりたくない気持ちが変わっていないなら、それに従って動きますって。肝が据わってますよね、さすがエルンストさまが推してきた聖女です」
「ミノンはエルンじいさまが?」
知らなかったと呟く主に、ヨアヒムは笑う。
フィリップは聡いけれど、やはりまだ若い。大人の汚い駆け引きなど知らない未熟な子どもだ。
「ミノンを選定したのはエルンストさまですが、そもそも聖女を寄越すように願い出たのは俺です」
「ヨアヒムがか?」
「ええ、そうです。あなたが無事に二十歳を迎えることができるように。
「――それはどういういみだ」
五歳のまま姿が変わらない神子。
神から解放される二十歳を迎えるとき、その体がどうなってしまうのか、前例がないだけに想像がつかない。
ずっと押し込められていた成長が急激に訪れ、その反動で身体が損なわれてしまう可能性。
巣食っていたのが神は神でも邪神で、二十歳まで育てた神子を己の糧とすべく体を乗っ取り、この世に顕現する可能性だってあるだろう。
どちらにせよ、フィリップが無事でいられるかわからないのだ。
主の命を救うために必要なものはなんだろう。
「同じく聖魔法を宿す聖女なら、神のちからに対抗できるかもしれない。だから現役の聖女でなければ意味がないと思いました。しかし、まさか肝心の癒やし能力がない者が来るとは思いませんでしたが、それならそれで使い道はあります」
「おまえ、それは――」
「もしも神があなたの命を求めたとしたら、替わりの命があればいい。同じく聖魔法を持つ存在であれば、代替としては上等でしょう」
絶句したフィリップだったが、次の瞬間、飛び掛かってきた。
子どもの突進など、騎士として日々体を鍛えているヨアヒムにとっては軽いお遊び程度のちからしかないが、敢えて、彼の怒りをそのまま受け止めた。
「おまえは、あの子が――ミノンが死んでもいいと、ずっとそうおもっていたのか。ぼくのみがわりに死ねばいいと、そんなふうにかんがえながら、いっしょにくらしていたというのかっ!」
「ええ、そうですよ」
「ヨアヒム!!」
「俺の主人はあなたです、フィリップ殿下。あなたを守るために全力を尽くすのが俺の使命です。神殿を出てきたあなたを見たそのときから、それだけが俺の望みです。――軽蔑しますか? 怒っていいですよ、好きなだけ
それこそが、ヨアヒム・アルミホの本懐。なんら恥じることはない。たとえ冥府に落とされようと、成すべきことだと思っている。
強く言い切ると、フィルの体がずるりと下がり、床に座り込んだ。
重く澱んだ声が、絞り出すように漏れてくる。
「……ぼくは、ほんとうにむりょくだ。あのころとなにもかわっていない。たいせつなことをなにもしらない、わかっていない。からっぽのままだ」
「俺はそうは思いません。あなたはお変わりになられましたよ。ミノン嬢に会ってからはとくに」
「そんなことはない」
「まったまたー。聞きましたよー? ミノン嬢にプロポーズしてたじゃないですかー」
「んなっ、なん、で、おまっ、え」
パクパクとくちを開け閉めしながら、みるみるうちに赤くなっていく主を見て、ヨアヒムは微笑む。
こんな顔も、ミノンが来るまでは見たことがなかった。
まったく本当に腹立たしい聖女である。
「俺がいつも言っていたこと、わかったでしょう? 結婚っていいものですよ、フィルさま」
「…………うるさい、ばかもの」
彼の中にたくさん詰まっているのが自分ではないことは悔しいけれど、ぽっかり空いた穴が好きな女の子で埋められたのだとしたら、それはとても幸せなことに違いないのだ。
◇
「大人になる夢ですか」
「はじめは、ただじぶんがとうとう死んでしまったのかとおもったんだ」
「それはまた聞き捨てならない内容ですね」
「だって、ぼくがねむっているのを、そばに立ってみおろしているんだ。死んだのかとおもうじゃないか」
邸の一角にある小部屋は、一見するとただの物置だが、結界の要となる陣を敷いている。フィルの存在を隠す『目くらましの魔法』をより強化すべく聖魔法を注ぎながら、フィルは夢の話をはじめた。
なんでも、寝台の傍に立っていて、自分を見下ろしている夢を見るらしい。たしかに奇妙で怖い夢ではあるが、フィルのようすに怯えは感じられない。
「じぶんがねているのを見ていたら、ミノンのこえがしたんだ。ミノンがへやにはいってきて、ぼくを見て『ゆうれい』だといった」
「幽霊? あれ、それって」
「ああ、そうだ。ミノンがいっていたゆうれいのゆめ」
「じゃあ、ミノン嬢が会っている幽霊は、フィルさまってことですか?」
「よくわからないんだ。ぼくとミノンがおなじゆめを見ているのかもしれないし」
夢か現か。その境界は曖昧だが、ふたりが同じ時間を共有していることは事実だろう。
「なるほど。毎晩おふたりは逢引きを繰り返し、親交を深めていったわけですね」
「そうはいっても、ミノンはゆうれいのぼくを、げんじつにいるぼくだとはおもっていないんだ。ぼくだって、そうだ。フィリップだとおもっているけど、あのじかんのぼくが、ほんとうにぼくであるか、かくしんはない」
「どういうことです?」
「ミノンといるぼくは、かがみにうつらない。だから、ぼくはどんなかおをしているのか、わからない」
神子の能力はじつにさまざまで、死者を降臨させるという呪術師のような真似事をする者もいたという。さまよっている幽霊に同調、同化して、見知らぬ他人の幽体にフィルの意識が入り込んでいる可能性は否定できなかった。
「でも、それでも、ミノンとはなしができるのはたのしかった。ぼくだとおもっていないから、いろんなことをはなしてくれた。しんでんにはいるまえのくらしとか、せいじょになるキッカケとか」
子どもには遠慮して話せないこと。
あるいは、見知らぬ他人、生者ではないからこそ明かせる心情を吐露されることは、フィルをひそかに喜ばせた。
自分もミノンの役に立っている、彼女の救いになっているということが、とても嬉しかったらしい。
「でも、うれしいけど、やっぱりさびしいともおもった。ぼくは、ぼくのままではミノンのやくにたてない。ミノンがたよりにしてくれているのは、ぼくじゃない」
自分が宿っている幽体は誰なのか。
いくら鏡を見ても姿は映らない。体はうっすらと透けており、長いという髪の毛もフィル自身は認識できない。
幽霊の自分がその場に『居る』ことを決定づけられるのはミノンの視界だけ。
ミノンだけが、自分を認識できる。
彼女だけが、昼も夜も、フィルを見てくれる。唯一無二のひと。
「このまえ、ゆうれいのぼくを見て、ミノンが言ったんだ。『フィルに似てる』って。あれは、きっとぼくなんだ。ちゃんとただしくおおきくなった、もうすぐはたちになる、ほんとうのぼく」
ミノンの言葉に驚いて、いつになく動揺した途端、ぱっと視界が切り替わって、子どもの体で目が覚めたという。起き上がって鏡を見たら、今の五歳の姿ではあったけれど、ついさっきのミノンの顔は鮮明に脳裏に蘇った。
大人の背丈で、いつもは見上げているミノンを見下ろした。
見慣れない角度から見たミノンの顔は月光に淡く照らされ、緑色の瞳がまるでエメラルドのように輝き、目が離せなくなった。
呼吸なんてしていないはずなのに息が苦しくなって、同調するように、ありもしないはずの心臓が高鳴った気がした。
夢から覚めたフィルの体はその感覚を残していて、全力疾走したあとのように心臓がドコドコとうるさかった。
「なあヨアヒム。ミノンが言っていた『せいちょうつう』というのが、これか? これなのか? ぼくはこれからおおきくなれるということか?」
「…………あー、そうっすねー。成長痛、まあ似たようなもんかもしれないですねー」
「そうか! そうなんだな。やはりあれは、よちむのようなもので、ぼくはきちんとおおきくなれるんだ」
そう言って嬉しそうに笑うフィルの顔が、ヨアヒムにはひどく眩しい。
あまりにも初心すぎて可愛いがすぎる主人の初恋に、エールを送るしかなかった。
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