07 深夜の出会い


 フィルの生活を改善しよう計画が発動してから、そろそろ一か月。

 ミノンからすれば、まだまだといったところだが、ずっとお傍に控えてきたヨアヒムからすれば、激変という程度には違うらしい。


(それ、いままで、どれだけひどかったのってはなしじゃないの)


 たとえば、二皿あるうちのどちらを選択するかといったことさえ、「あのフィルさまが、こちらを食べたいと希望したっ!」と感動していた。もう末期としか言いようがない。


 フィルはとても強い神聖魔法の持ち主、国にとってもかなりの重要人物。

 それゆえ、毒殺の危険も鑑みて、厳格にメニューが決められ、イレギュラーは発生させないよう、食事管理されていたそうだ。


 偉いひとはなんでも自由に選べるものかと思っていたが、想像していたよりも自由がないことにミノンはたいそう驚いてしまった。気の毒に。たしかにそんな状況では、いいも悪いもないし、希望したものを食べたいと思っても、次にいつ食べられるのかはわからないことだろう。


 だからミノンはなるべく毎日違ったものを用意して、選択肢を増やそうと奮闘している。

 世界には、たくさんおいしいものがあって、食べたいものを見つける楽しさを知ってほしいと思うから。

 買い物に出た際、食事処のメニューを見て参考にすることも増えたし、飲食店に敬意を抱く機会も格段に増えた。世の中には、すごいひとがたくさんいるものだ。




「おまえもすごいじゃないか」

「褒めてくださってありがとうございます。フィルもすごいひとですよ?」

「みこだからか」

「えー、どうでしょう。お勉強ができることと神子みこであることは、あまり関係ないような気がしますけど」


 そう。フィルはすごいのだ。

 書斎にある本は、以前の住人の物かと思っていたが、フィルの持ち物だったのである。

 ミノンにはなんて書いてあるのかまったくわからない外国語で表記された題名を読みあげて、さらにどんなことが書いてあるのかも教えてくれた。


 町に出たとき、文字を教えてやるとは言われたあれはきちんと実行され、十九歳のミノンは五歳児のフィル先生から手ほどきをうけている。しかも想定レベル以上の授業内容だ。

 おかげでミノンの読み書き能力も向上し、いまでは外国の料理本をもとに新しいメニューにも挑戦できるようになっている。

 町の広報塔に貼り出してあるお知らせも不自由なく読めるようになったのも嬉しい。この仕事が終わったら、孤児院の子たちにも文字を教えてあげようと思う。


(終わったら、かあ……)


 神子の世話をする仕事。具体的な期限は聞いていないのだが、最低でも半年程度ということだった。

 ミノンが派遣されて、そろそろ二か月が経とうとしているので、まだまだ先は長いのだけれど、神殿での生活よりも自由が利いて楽しくのんびりできる暮らしは気に入っていて、いまさら元に戻れる気がまるでしない。堕落とは恐ろしいものだ。


「人間、楽を覚えると駄目って、本当なんですねえ……」

「なにをしみじみしているんだ。おまえはすこしはやすめ。ずっとなにかしているじゃないか。ちっともをしていないとおもうぞ」

「なんてお優しい。フィルはいい子ですねえ」


 隣に座って本の内容を説明してくれていたフィルの頭を撫でる。

 柔らかな金色の髪。子どもの頭部はどうしてこんなにも温かく可愛らしいのだろう。


 愛でたい気持ちが止められず、ミノンは小さな頭を抱き寄せて、美しい金髪に頬ずりをする。ああ可愛い。


「や、やめろ! おまえには、はじらいというものがないのか!! ふよういにおとこにだきつくなど、としごろのむすめがやることではにゃい!!」


 腕の中からくぐもった声が聞こえてくるが、無視である。

 フィルらしい偉ぶった物言いにはすっかり慣れっこだし、これは照れ隠しであることもわかってきた。

 だいたい語尾を噛んでいる時点で動揺していることがバレバレなのだ。そんなところも可愛いったらなかった。


「もう、いいじゃないですか。はじめてじゃあるまいし」

「――なんと。俺が知らないあいだにフィルさまが大人の階段をのぼって。おめでとうございます、フィルさま」

「ヨアヒム。おまえわかってていってるだろう!」

「だってもう何度も抱き合っているという証言が」

「だ、だ、だき、だきあ――」

「言えてない言えてない、フィルさま落ち着いて」


 勉強会の合間、休憩時のお茶を用意するのはヨアヒムの担当だ。

 俺だって茶ぐらい淹れられますよ? と豪語するとおり、彼の用意するお茶の味は悪くないし、お茶菓子のセレクトもいい。フィル専属の名は伊達ではなかった。ミノンもせっかくなので、他者からの給仕を受けている。

 こちらの腕から逃れ、ヨアヒムに食ってかかっているフィルのようすを見ながら、ミノンは焼き菓子を堪能しはじめた。



     ◇



 ふと目が覚めた。

 室内は暗く、ミノンの感覚としても床についてからさほど時間が経過したとも思えない。もういちど横になって寝てしまってもよいのだけれど、なんとなく気になってしまったミノンは起き上がることにした。


 むかしから、こういう予感は大事にしている。

 孤児院でも、こんなふうになにかを感じたときは、決まって子どものうちの誰かが徘徊していたり、不安に駆られたのか泣いていたり。

 眠れない子に付き合って深夜の内緒話をするのがミノンの役割だったものだ。


 感覚の鋭さ。なにかを感じ取る敏感さ。

 そういったものがミノンにはあるようで、神殿職員が言うには、それもまた聖魔法のなせる異能。


(ご令嬢方に言わせれば、野生の感覚らしいけどね)


 そしてミノンも我ながらそう思う。

 そんな野生の勘を信じ、そっと部屋を出た。まず向かったのはフィルの部屋である。孤児院時代の経験から考えると、フィルになにかがあったと考えるのが自然だったからだ。


 扉に耳をつけて、中の音を探る。

 しかし孤児院と違って、造りの良い分厚い扉は、そう易々と音を拾わせてはくれない。


 仕方がないので小さくノック。数回繰り返したのち、ゆっくりと扉を開いた。

 寝台のあたりからは寝息が聞こえる。

 フィル自身は眠っているようでとくにおかしなようすはない。

 問題があるとすれば、その寝台の脇に誰かがいることであろう。


 誰か――といっていいのかどうか。

 だってそのひとはうっすらと光り、そしてうっすらと透けているのだから。


 幽霊。

 死者の霊を慰めるのも神殿関係者の仕事だが、ミノンは幽霊を見たことはない。

 だから、あの発光体が幽霊とは断言できないが、時間帯からするとたぶん幽霊なのだろう。


(でも、いまのいままで見たことないわよね。わたしが気づかなかっただけ?)


 熟考していると幽霊がミノンのほうを見た。

 息を呑んだ。


(なんて綺麗なひと……)


 孤児院や神殿施設へ慰問に訪れる舞台の俳優にも、こんな美しいひとはいなかった。

 腰あたりまである長い髪。

 整った顔立ち、なによりも印象的なのは澄んだ青空を思わせる瞳である。


 フィルの瞳が晴れた青空ならば、この幽霊の瞳はそれをもっと薄めて引き延ばした色だろうか。

 いまにも消えてしまいそうな儚い印象。不安定で弱々しくて、けれどぎゅっとこころを掴んで離さない、とんでもない美男子の幽霊だった。


(美人薄命って、男性にも使うんだったっけ? うん、でも、そんなかんじよね)


 納得していると、幽霊は首を傾げた。

 さらりと髪が頬を流れ、そのさまがなんともあでやかでドキリとする。男のくせに、なんともけしからん色気。


「なぜ、おまえはそんな顔をしてるんだ。僕の顔になにかついているのか」

「幽霊ってしゃべるんだ」

「幽霊? 僕が?」


 しまった。死んだ自覚がないタイプの幽霊だったらしい。

 ミノンは慌てて考える。


 しかし死者の魂を慰めた経験が皆無のため、方法がわからない。

 わからないことは、とりあえずやってみるしかない。それがミノンの生き方だ。それはそれとして。


「とりあえず場を移しませんか? ほら、子どもが寝ている枕元でする話でもありませんし」


 未だ寝台で眠っているフィルを指さすと、幽霊は神妙な顔をしてうなずきを返した。




 場を移すといっても、応接室でというわけにもいかないだろう。

 結局ミノンは自分の部屋に幽霊を案内することにした。


 幽霊は妙にもじもじしている。

 小声で「深夜、女性の部屋に立ち入るなど」と呟いており、なんともまあ礼儀正しい、紳士な幽霊であると感心してしまう。


「まあまあ、そう言わず。あなたは幽霊なわけですから、どうこうなるもんでもないでしょうに」

「幽霊?」

「たぶん、ですけどね。だってあなた透けてますし、全体的に白っぽくて、ぼんやり光ってるかんじです」


 幽霊は自分の手を見ている。本人の目にはそう見えていないのかもしれない。

 ならばとミノンは部屋の壁際に置いてある姿見の前に立ち、幽霊を手招いた。

 幽霊のくせにきちんと足があって歩いている男はミノンの隣に立つ。


「そっかー。幽霊って映らないんですねえ」


 鏡には寝間着姿のミノンしか映っていない。残念なようで、すこしだけ安心もした。

 だってこんな美形の男性と並んでしまえば、己の容姿の残念さが際立ってしまう。


「僕が幽霊だというのなら、さっき寝台で寝ていたのは――」

「これはわたしの勝手な推測なんですが、あなたは以前この家に住んでいた方なのでは? そして、あそこはかつてあなたの寝室だった」

「以前といっても、僕はこうしてここに住んでいるぞ」


 しまった。地縛霊の方にとって、あなたもう死んでて別のひとの家になってますよ、というのはショックが大きかろう。死者を天へ送るには、自分の死を納得してもらう必要があったはず。ゆっくり、すこしずつ、受け入れてもらわなければならない、はず。


「さっきから不思議に思っていたのだが、おまえには僕がどう見えているんだ?」

「どうって言われても。そうですね、すごく美形です。神話に描かれている『はじまりの神子』みたいな美青年ですよね」

「はあ?」

「年齢はわたしと同じかすこし上ぐらいに見えます。髪が長くて、目の色は青いんですが、全体的にうっすら透けているので色味も薄くて。だから髪の色は正直なところはっきりしないです。黒とか茶ではないとは思いますが」

「おまえと同じ年齢なのか、今の僕は」


 ああ、これはあれだ。死者の姿が、若いころに戻っているというやつ。

 一番輝いていた栄光の時代に気持ちが戻ってしまったパターン。


 ということは、意外と大往生で亡くなった方が、たとえば財産を隠していて、金にがめつい守銭奴だったので、子孫に残してたまるものかあれは俺の金だ、とか思って、化けて出てきたやつ。


「……おまえ、さっきからすごく失礼なことばかり言ってるよな」

「え? もしかして幽霊さん、わたしの考えていることわかるんですか? 死者になると、そういう能力が」

「一般的な死者のことは知らないけど。僕自身の能力についてはわかる」

「へえ、ではあなたは他人の考えていることがわかる異能を持っていらしたんですか。もしかして、生前は神子だったのでは?」


 神子が持つ異能にも種類があるという。

 神殿長ぐらいしか把握していないトップシークレットな情報なので詳しくは知らないけれど、ミノンが近しい誰かの感覚を拾ってしまうように、神子もまた近しい声や音を拾ってしまう感覚の持ち主であっても不思議ではない。


「こわいだろう。すまない」

「まあたしかに全部筒抜けになるのは困りますけど、でもそれはあなたのせいではなく、異能のせいなので、仕方がないですよ。望んでそんな能力を持っているわけじゃないんだし」

「……そんなふうに言われたのは、はじめてだ」


 ありがとう。

 そう言って幽霊はふわりと笑みを見せたので、ミノンは心臓が止まるかと思った。


 美形の笑顔は殺傷能力が高いと、十九歳になってはじめて知った。





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