06 護衛騎士の見解


「フィル、半熟と固焼き、どっちにしますか?」

「はんじゅく」

「わかりました。ではお皿を用意してもらえますか?」

「ああ」


 ヨアヒムが三日ぶりにフィルのもとへ戻って見たものは、朝も早い時間なのにきちんと身支度を整えている寝坊助のあるじと、そんな男に指示を飛ばす聖女の姿だった。


(え。なにがあったの、これ)


「あら、ヨアヒムさん。朝帰りですか」

「人聞きの悪いことを言わないでいただけますか、ミノン嬢」

「朝に帰宅したから朝帰り。それ以上の意味なんてありませんって。そこを変なふうに受け取るほうが邪なんです。ねえフィル、こんな大人になっちゃいけませんよ?」


 聖女がフィルに言い聞かせると、フィルは真面目な顔で応える。


「ヨアヒムがよこしまなのは、いまにはじまったことではない。いつもだ」

「フィルさま? 俺に恨みでもあります? 嫁と子どもに会うために帰った俺のこと、じつは怒ってます?」

「そんなことはない。メナはそくさいか?」

「ええ、フィルさまにってクッキーを持たせてくれたので、お茶の時間に食べましょうね」


 愛妻のお手製クッキーが入った籠を掲げると、フィルは笑みを浮かべた。


 おや? と思う。

 じつに素直だ。フィルらしからぬ表情の見せ方。


「お菓子はあとにして、先に朝ごはんを食べましょう。ヨアヒムさんは――」

「いえ、俺は食べてきましたので」

「ではわたしとフィルだけ、失礼しますね」

「どうぞどうぞ。俺は部屋に戻って、荷物を片付けますから」

「フィル、座ってくださいな。では、いただきます」

「いただきます」


 聖女とフィルが向かい合って席につき、祈りを捧げたあとに食事を取り始めた。

 カリカリに焼いたベーコンに絡む半熟のスクランブルエッグ。茹でたほうれん草とニンジンのソテーが添えてある。指の厚さほどにスライスしたパンは軽くオーブンで焼き目を入れているらしく、香ばしい匂いが漂ってきた。

 平たいスープ皿のオニオンスープを飲んだ聖女はうなずくと、フィルに「今日も絶品です。わたし天才!」と笑いかけ、それを受けたフィルが「そうか、すごいな」と呆れつつも頬をゆるめる。


(ええええ、本当になにがどうしてこうなったの。俺がいないあいだに、なにがあったんだよ)


 フィルは人前で感情を顔に出さない男だ。そんな彼が笑顔を見せている。ヨアヒム以外の、それも出会ってひと月にも満たない女性に。

 フィリップ皇子御生誕時から知っている身の上としては、少々おもしろくない事態である。


 ミノンがフィルを伴って外出をしたのが三日前。

 帰宅早々、なぜかミノンから説教され、すみませんと謝る羽目になってしまったが、そのときはまだ、フィルもここまであからさまに感情を表に出してはいなかったように思う。

 連泊で家を空けてもフィルが困ることはもうなかろうと安堵し、妻子の待つ家に帰宅したヨアヒムだったが、わずか数日でふたりの関係は随分と進んでしまったようである。


 ふたりの関係、などと称すると、まるで男女の仲じみているけれど――実年齢だけでいうと、それも間違ってはいないが――、距離は確実に縮まった。おもにフィルのほうが。


(画策したこととはいえ、実際に目の当たりにすると複雑だな)


 自室に戻って荷解きをしつつ、ヨアヒムは大きく息を吐いた。

 フィルは、正式に神子に認定される五歳以前ならばともかく、久しぶりに皇族から輩出された神子と騒がれて以降、極端に感情を殺すようになった。

 誰かに付け入られる隙を作らぬようにと宰相に諭されたこともあるだろうが、入れ替わり立ち替わり、じつにさまざまな立場の人間が群がってくるとなれば、宰相の言葉を実感せざるを得なかっただろう。ただの子ども部屋担当騎士であったヨアヒムですら、「大人って汚いな……」と顔をしかめたくなることが多かった。


 皇子に会うための前室では、本人がその場に居ないのをいいことに、言いたい放題であったが、勿論その内容はフィルに筒抜けだ。

 神子の能力は神の声を聞くことと言われているが、聞こえる声は神だけには留まらない。壁一枚程度なら、そこにいる人間の声も聞こえてしまう。


 くちに出した声と、内心で考えたもの。

 自分が聞いているものがどちらであるのか、幼いころのフィルはわからなかったらしい。

 神殿に入り、多くの神子を見てきたという前神殿長の手ほどきを受け、ようやく制御に至ったとは、あとから聞いた話である。


 ヨアヒムはぼくを特別扱いしなかった。神殿に入る前も、出てきたあとも。ちっとも変わっていないから、おまえのことは信用している。


 こんなふうに言われて喜ばない従者はいないだろう。

 ヨアヒムは男爵家の末っ子だったので、フィルのことは不敬ながらも「弟ってこんなふうなのかな」と思っていたが、今はすこし違う。

 五年前に城勤めのメイドと結婚し、子どもも生まれて、その子が日に日に大きくなっていくのを見ているうちに、ようやく実感したのだ。体がまったく成長しないフィリップの絶望に。


 そしていきどおりもした。

 皇帝も、妃も。

 なぜフィリップが五歳の姿で在り続けることをよしとするのか。


 神に選ばれし子どもだから?

 ずっと、常に、そのままで、国のために――当代皇帝の治世が神聖なものであると知らしめるための象徴であれというのか。


 二十歳を過ぎればヒトの子に戻るとされる神子が、永遠に大人にならなければ、それはたしかに都合のいいことだろう。

 だが、フィリップは人間であり、なによりも皇帝の子どもである。

 我が子の成長を喜ばない? ふざけるなよ。


 ヨアヒムは怒り、そして己を恥じた。

 フィリップ殿下は特別な神子であると、姿が変わらない異質さを、いつのまにか『当然のこと』だと受け止めていたことに気づいたから。



     ◇



「俺が留守にしているあいだ、なにか変わったことはありました?」

「いえ、とくには」

「フィルさまの変化は俺からすれば、じゅうぶんに『変わったこと』ではあるんですけどね」

「変化?」

「表情が豊かになりましたよね、あなたの前で」

「やだ、嫉妬ですかヨアヒムさん」


 にやりと楽しそうに、あるいは優越感に満ちた笑みを浮かべたミノン。


「それはまあ冗談ですけど」

「冗談を言っているようには聞こえませんでしたが」

「まあまあ、そう言わずに。フィルのことですが、たしかに表情が出るようにはなったとわたしも思います。いい傾向ですよね。やっぱり外出して、他人と接することは刺激になったみたいです」

「ええ、そのようですね」


 フィルのことを知らない第三者との接触。還俗を控える神子が、社会復帰のためにすこしずつ外での暮らしを覚えるように、フィルにも社会を知ってもらおうとは考えていた。

 そのための同行者はヨアヒムではないほうがいい。

 自分ではきっとフィルを過度に守ろうとしてしまうから。適度に突き放すことができる、外の人間のほうがふさわしい。


 神殿から派遣された聖女ミノン。

 しばらく観察した結果、フィルを利用しようとする害意はないと判断できたため、全面的に任せてみることにしたわけだが、効果が出るのが早すぎた。いや、早いに越したことはないのだが。


「ありがとうございます」

「はい? 御礼を言うのはむしろ俺のほうなんですが」

「ヨアヒムさんがフィルを任せてくださったということは、わたしのことを信用してくださったから、ですよね? だから、ありがとう、です」

「ああ、そういう意味ですか」

「だって普通は、そんな簡単に丸投げしませんよ。貴人警護において、食事の支度なんて、もっとも危険視することでしょうに、毒見もしないんですもの」


 能天気なだけの娘かと思っていたが、意外と見ているところは見ていたらしい。

 驚くヨアヒムを見て、ミノンは問うた。


「それはつまり、わたしの能力を買ってくださったから、ここに派遣されたということなのでしょうか」

「正解ですね、解毒の聖女さま」

「……それ、あんまり嬉しくないんですよね」

「素晴らしい能力だと思いますが?」

「神殿にとって、解毒は大事な収入源なので、ホイホイ使われると困るらしいです。世間一般的に見て、聖女の能力は癒やし。もっとキラキラしたものであるべきなのです」


 怪我を治すような、見た目で判断できるもののほうが賞賛されるし実感もできる。

 頭痛や腹痛が治ったところで、服用した薬が効果を発したかもしれないし、ただの時間経過で自然治癒した可能性だってある。聖魔法のおかげです、とは言い切れない。

 聖女として、個人の知名度をあげたいのであれば、傷や骨折を治してみせたほうが手っ取り早い、というわけだ。


 ミノンは小さな切り傷などを治すことはできるが、手足を切断するレベルの怪我は癒やせない。聖魔法にも得手不得手があり、ミノンの能力はそちらの方面には弱かった。

 代わりになにが得意なのかといえば、解毒だ。


 いかにお金をかけずに食料を調達し、たくさんの子どもたちを飢えさせることなく食事を作るか。

 そのへんの草やらキノコやら木の実やらを集めて調理をしても、ミノンの手を通じて害ある毒素は消えてしまう。そのため、彼女が作った料理はすべて食べることができた。


 この効果がはっきりしたのは、ミノンが孤児院を出たあと。いつもと同じものを使った料理を食べて、腹痛を起こして医者に罹ったことで、判明したという。



「解毒もまた治癒だと思いますけどねえ」

「病気や怪我が治せない聖女は役立たず。聖魔法の持ち腐れなんですー。ヨアヒムさんも、そのあたりは求めないでくださいね。怪我したら自分で神殿に行ってください」

「だーいじょーぶです。俺、それなりに強いので」

「はあ、そうですか」


 まったく信じていない顔つきだが、まあ、べつに問題はない。フィルが張った神域結界で、この家で神子が暮らしていることは知られにくくなっているし、厄介な皇族関係者は、わざわざこんな場所にまでやってこない。


(あとはフィルさまが無事に二十歳を超えられるまで、この家でお守りするのみだ)


 城付きのメイドである妻のメナいわく、フィリップ第五皇子の誕生日について、話題にはなっていないという。

 他の皇族は派手な生誕祭を開催するが、フィルにはそれがない。

 城を出て久しいので忘れてくれていればよいのだが、還俗年齢である二十歳ともなれば、フィルの存在を思い出す輩は出てくるだろう。


 第一皇子は未だ正式に皇太子に任命されておらず、後継問題は決着がついていない。

 フィリップ皇子は皇帝の座など欲していない。


 彼の護衛騎士であるヨアヒムは、主の望みを叶えるのみ。

 そのためならば、なにも知らない聖女を利用だってする。


 チクリと痛んだ胸に気づかない振りをして、ヨアヒムはミノンに笑ってみせた。





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