05 神子の好きなもの
飲み終えた容器を返却し、散策を再開する。
昼時ということもあり、周囲にはさまざまな匂いが漂い始めていた。
せっかくなら食べ歩きができるようなものを買ってあげたいが、それを許容してもらえるかはわからない。
わからないなら訊けばよいのだ。
婉曲な物言いは好きではない。直球上等だ。
「フィル、カトラリーを使わない食事に抵抗はありますか?」
「それは、このあたりで売っているものをたべられるか、ということか?」
「正解です」
フィルはとても察しがいい。ヨアヒムとの会話も年齢を感じさせないもので、神童というのは頭の出来が違うのだと常々感じ入っている。
「ヨアヒムがたまにかってくる、ハムをはさんだパンはたべたことがある」
頬がゆるんでいたので、おそらく美味しかったのだろう。
家での食事に取り入れても否定されることはなさそうで安堵する。
「軽食の定番ですね。あいだに挟む具材もそうですが、ソースによっても違った味わいですよ」
「そうなのか」
「数種類買って、食べ比べしましょう」
時計台を中心にした円形広場。周辺を囲むようにたくさんの露店が並んでいるので、ひやかしながら歩き、フィルが興味を惹かれたものを購入しようとミノンは決めた。
そのとき、ゴーンと鐘の音が響きはじめる。
頭上を仰ぐと、時計の文字盤は正午を示していた。
「意外です」
「なにがだ」
「鐘の音、もっとうるさいのかと思っていたので。フィルの家で聞く音と、さほど変わりがないんですね」
「とうぜんだ。このちゅうおうどけいをきてんに、かくちくへおとをながしている」
「各地区へ流すというのは」
「それぞれのばしょに、こうほうとうがあるだろう。どこにいても、きちんとじょうほうがつたわるようになっている。かねのおともそのひとつだ」
広報塔というのは、一定の広さで割り振られた区画ごとに建っているもので、緊急時には音声によって案内が流れる。声を大きくする魔法を使っていると聞いたことがあるが、時計の鐘もそこを通じて流れているとは知らなかった。
「意外と生活に密着していたんですねえ」
「つかわなければいみがない。つかいたいとおもったときにこわれていたらこまる」
「なるほど。普段から使用していれば、不具合があったらすぐにわかって直せますもんね」
鐘の音を聞きながら歩き、ミノンはひとまず気になったものをすこしずつ購入していく。
小さな子ども連れということもあり、お店によっては食べやすい大きさにカットしてくれた。こういうちょっとしたことをサービスでやってくれるのも露店の気軽さである。
串焼きの店では、敢えて肉を串から外してもらったが、ミノンの傍に立つフィルを見て店主は納得して対応してくれた。
「くしやきというのは、かぶりついてたべるのがよいのだとヨアヒムがいっていたぞ」
「あの方、貴族のくせに庶民派ですよね」
「ごばんめのこどもだからな。いずれはきぞくせきからもはずれる」
「貴族って難しいですね。それはともかくとして、串焼きって結構大変なんですよ。上から食べていて喉を突いてしまう可能性もありますから、無理に串に刺さったまま食べる必要はありません。食べやすい状態でおいしく食べたほうがいいです」
油紙を敷いた容器に盛られた肉に絡むのは、濃いめのソース。あいだに挟まっていた玉ねぎはすこし歯触りが残る程度に火が通っていて、白い断面を覗かせている。
色鮮やかなニンジン、熱が入ってしんなりしているピーマン。
子どもが残しそうな野菜もフィルは不平を言わず、くちにしている。
(好き嫌いはない、というか、食べられないものはない、ってところかなあ)
それよりも気になるのは、食べる順番だ。
肉団子が入ったチーズ風味のクリームスープ。美味しそうな匂いを立てているのに手をつけようとしない。
チーズが苦手なのかと思えば、ハムとチーズとトマトを挟んだパンはガツガツ食べているのだ。
小麦粉を水で溶いて卵を落とし、刻んだ野菜をたっぷり混ぜ込んだ生地で焼いた、なんでも焼き。
庶民の味方ともいえるジャンクフードのひとつ。露店では丸く成形して売っている。外は焦げ目がつくほどに焼くが、中身は柔らかくとろりとしている軽食。
ひとくちサイズだが中身が熱いので注意が必要なそれを、フィルは無造作にくちに入れ、瞬間目を剥いた。
くちを手で押さえ、涙目になりながらも吐き出そうとはしない。
さすが育ちがいい。だが。
「フィル、ほら、いいからペッてしなさい! くちのなか、ヤケドしちゃうから!」
受け皿を差し出すも首を振る。
なんとか飲み下したか、頬がもごもごと動くことを止めたので、ミノンは冷えた水を差し出す。
それは抵抗なく受け取り、咥内を冷やすようにくちに含んでいるさまを見て、ミノンは確信した。
(神子さまは猫舌なのね)
串焼きの肉は食べていたが、串からはずしてバラバラにしているため、普通に食べるよりはぬるくなっている。クリームスープはとろみがあって冷めにくい。
家で食べるときもスープはいつも後回しにしていて、こんな庶民スープはくちに合わないのかと思っていたけれど、そうではなかったのだ。
猫舌であることを前提に考えてみれば、たしかにヨアヒムがフィルに温かいものを給仕するときは、すこし時間を置いたものを供していた。
どうして自分には言ってくれなかったのだろうと不満にも思うが、そこは小さくとも貴族男子。矜持が邪魔をするのかもしれない。
子ども扱いされることを嫌がっているし、弱みを握られたくないという気持ちもあるかもしれないし。
まあとにかくいろいろと、男の子は複雑なのだろう。会って間もない他人のミノンに開示できる情報は少ないのだ。
それならそれでかまわない。
自分から言ってくるまでは、知らない振りをとおしてあげるのが優しさである。
「大丈夫ですか? これ本当に熱いんですよ。とくにこういうところだと出来立てを食べられるので余計に。わたしもうっかりやらかします。慣れていないとビックリしますよね。でもおいしいんです」
「……たしかに美味だった」
「ならよかったです。家でも作れますよ。ソースではなく、魚介スープに浸しながら食べるのもいいんですよ。プレーンの状態のものを作って、いろんな味をディップしながら食べるのが、わたしが育った孤児院流です」
ひとによって味の好みが違うため、いつもそうしていたことを懐かしく思い出す。
甘いソース、こってり濃厚ソース、あっさりしたウスターソース。あるいはスパイスを掛けて食べてみたり。
「うーん、まずいです。おなかが空いてきましたね」
「いま、まさにたべているさいちゅうではないか」
腹に手を当てて溜息をついたミノンを見て、フィルが笑った。
噴き出して、楽しそうに。
口許だけで作る笑みではなく、顔全体で作る笑顔。
それはミノンがはじめて見る、彼の無邪気な子どもらしい表情だった。
(なんだ、ちゃんと笑えるじゃない。よかった。本当に精神的に病んでいるわけじゃないんだ)
幼い神子は、本来ならば神殿内で庇護されて育つ。
それなのに神殿外で、神官が常駐するでもなく、聖魔法持ちではない騎士を配備するだけで生活させているのは、やはりなにかしら心身に影響のある疾患を抱えているのかもしれないと危惧していた。
孤児院前に置き去りにされた子どもたちのように、己を責め、自身の内側に目を向けているのならば、寄り添ってあげたい。
ミノンはカウンセラーではないけれど、似たような子どもをたくさん見て、一緒に暮らしてきたから。
「いいですかフィル。世の中には『別腹』という概念があるんです」
「べつばら?」
「なにも本当に胃がふたつあるわけじゃないですよ。ただ、どんなに満腹でも、自分がおいしいと感じるもの、好きな食べ物を思うと、まだまだ食べられるような気持ちになってしまうんです」
「そんなものか」
「フィルにはありますか? そういう、好きな食べ物」
さりげなく訊いてみる。
するとフィルは腕を組んで考えた。
なにもそこまで真剣に悩まずとも、もっと気楽に考えてくれてもいいのだが、この神子さまは存外に真面目らしい。
「ぼくはあたえられたものをたべているだけで、じぶんでえらんだことがない」
「出されたものをきちんと食べることは大事ですよ? フィルは食事を残したりしませんし、それも偉いです」
「ちがう。そういうことではない」
悩ましげに、どう言えばいいのか思案するように、フィルはすこしずつ言葉をつむぐ。
「えらぶ、ということを、だれかにいわれたことがない、とおもう。ぼくのまえには、すでにきめられたものしかない。よいとか、わるいとか。そんなものがあってもいみがない。だってよいとおもっても、おなじものがでてくるとはかぎらない」
たしかに神に選ばれた時点で、神子たちには自由な裁量権はないのかもしれない。彼らは神の代理人として公平さを求められるというし、なにかを特別扱いすることは、贔屓だ忖度だと糾弾される事態になりかねない。
だからといって、選択肢を提示しないのはおかしい。
服道楽ではないミノンだって、数着の中からその日の気分で服を選んでいたし、肉と魚どちらのメニューを食べるかを考えたりもした。それはごく当たり前のことのはず。
「あー、もう、フィルの周囲にはほんっっとーにろくな大人がいませんね。ヨアヒムさんだってそうです!」
「ヨアヒムが?」
「だってあの方だって、フィルに選択させていないわけですよね? 神殿関係者の目がないのなら、どっちにします? ぐらい訊けるはずなのに、なんでしていないんですか!」
帰ったらお説教です!
拳を握って憤怒するミノンを見て、やがてフィルは笑う。
「おまえにかかれば、ヨアヒムとて、ただの子どものようだ」
「男なんていくつになってもお子ちゃまだって、教会によく来るおばさんが言ってました」
男児の兄弟を持つ肝っ玉なお母さまだったその女性は、旦那さんを扱きおろしながらも、夫婦仲は悪くないようで、家族総出で教会へ来ていたことを憶えている。
うちは子どもが三人いるようなもんさ、ミノンちゃんも旦那選びには注意しなよ。が口癖であった。おばさんは元気だろうか。
思い出して、しんみりとしてしまったミノンを見上げ、フィルが呟く。
「ハムとチーズをはさんだパンは、ひょうめんをやいてるやつのほうが、いい、と、おもった。あつかったけど、さっきのまるいやつもおいしかった」
それはきっと、ミノンが言った『好きな食べ物』のことだろう。
たしかに家で食べるときはスライスしたパンに具を挟んで食べるだけだったが、露店で買ったものは専用の鉄板で挟んで焼き、外側がサクサクに仕上がっていた。
『好き』ではなく『いい』という表現ではあったけれど、これは彼がはじめて『選んだ』ものだ。今日食べた物が、きちんと刺激になったという証拠。
(なるほど、フィルは外側カリカリ系が好みなのね)
脳内メモを取りながら、ミノンはなんでもないふうを装って、フィルに答えを返した。
「じゃあ、明日の朝ごはんは、トーストしたパンで具を挟んで食べましょうか」
「いいのか?」
「お安い御用です。それがわたしのお役目ですからね」
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