04 町へ出よう


 神子と朝食をともにするのは、考えてみるとはじめてだ。食事の時間は各自がバラバラで、顔を合わせるのはせいぜい夕食時。

 朝の光に照らされた食卓に座る神子は居心地が悪そうで、ヨアヒムはそれを楽しそうに見ている。


 ミノンは三人分のスープを皿によそうと、まず神子の前へ置いた。

 続いてヨアヒムへ配膳し、最後に自分。テーブル中央に昨日の残りのパンを温めたものを置くと、早速ヨアヒムがひとつ取り、神子へ差し出した。


「フィルさま、どうぞ。ちょうどいい、ほどよい温かさですよ」

「バターとジャム、チョコスプレッドもありますが、どうしますか?」

「なにもいらない」


 ミノンの問いに不要と返したあと、そのまま手で千切ってくちへ入れた。モグモグと頬が動くさまが可愛らしい。

 手元のパンがなくなる寸前にヨアヒムが別のパンを差し出し、神子はそれを受け取る。素晴らしい連携技にミノンは舌を巻いた。


 食は進んでいるようだが、パンをモリモリ食べるわりにはスープには手をつけない。立ち上っていた湯気が消えていくのを寂しく思いながら、ミノンは自分で作ったスープを飲む。

 ごく普通の、神殿でも出ていたようなスープだが、高貴な方のくちに合うかといえば、自信はない。これまでの食事を残された経験はないけれど、他に選択肢がないから食べているのだとも言えた。


(まあ、今日のお出かけはそれもあるのよね。この子の好物を見つけて作ってあげたいもの)


 店を覗いたり、食べ歩きをしてみたり。そういったなかで神子が見せる表情から、彼の嗜好を読み解こうというのが、ミノンの考えだ。

 ひとしきりパンを食べたあと、ようやくといったようすでスプーンを手にした神子を眺めながら、ミノンは内心で奮起した。



     ◇



 できるだけ平服に近しいものを選んだつもりだが、神気しんきは隠せないのだろうか。神子は町の中にあっても異彩を放っている。さながらミノンは侍女といったところだろうか。


 それでも帝都の町は、『良家のお坊ちゃまのお忍び』に慣れているのだろう。あきらかに庶民ではない神子に対しても、お客様に接する程度の丁寧さで対応をしてくれており、神子もまんざらでもないようすであちこちに目を走らせている。



「フィル、前を見て歩かないと危ないですよ」

「わかっている」


 外で『神子さま』と呼びかけるわけにもかず、名前を呼ぶ了解を得た。さまをつけると大仰なので、ついでに呼び捨てにさせてもらう提案をした。さすがに怒られるかと思ったけれど、快諾された。

 どうぞどうぞ、と言ったのはヨアヒムだったけれど、神子さま――改めフィルも拒否はしなかったので、ミノンは押し通すことにした。


 これからしばらくは一緒に暮らすのだ。そろそろ壁を取り払ってもいいだろう。

 フィルが子どもらしくあれるようにするには、ミノンが気楽に接し、必要以上に彼を神子として崇めないことだと思うから。


 あの家で暮らすようになって、ミノンはまず近所の商店を巡った。

 日常的に買い物をするにあたり、顔を見せておくことが大切になる。余所者ではないアピールをして、ついでに情報収集。


 幸いにも生活資金は潤沢で、よほど散財しなければ、普通に暮らして余剰が出るぐらいの生活費が支給されている。孤児院育ちのミノンからすれば、かなり余裕のある贅沢な食事ができるものだった。

 男所帯の家には余計な食材がなかったので、根菜類を中心に、ある程度保存が利くものを買い込んだ。

 あまり見ない顔の女性、配達先の家を知ると興味深そうな顔となったので、ミノンはヨアヒムと決めた設定を話しておく。


 ミノンは家政婦。聖女の肩書をそれに変えただけで、自身の出自に関してはとくに偽る必要はない。神殿が孤児に対して仕事を斡旋するのは珍しくないことだ。

 フィルは、さる貴族のご子息。まだ幼いうちから望まない後継争い巻き込まれたため、精神的に参ってしまった。療養を兼ね実家を出て、さりとて帝都を出てしまうとなにか起こったときに手を差し伸べることができないため、町の外れに身を寄せている。

 年の離れた従兄が同居して面倒を見ているけれど、子どもの面倒を見るにあたって女手があったほうがいいだろうということで、家政婦を雇うことになった。


 なんだか物語のような設定だと思ったけれど、富裕層が多く暮らす帝都ではよくある話なのか、「小さいのに気の毒にねえ」と納得されたのであった。さらにひどく同情され、「おいしいものを食べさせてあげなよ」とおまけまでしてくれた。こうしてミノンがフィルを伴って町を歩いていても騒ぎ立てず、見守ってくれている雰囲気がある。


 今日は足を延ばして、いつも食材を購入する商店ではない場所までやってきた。

 ミノンにとっても目新しい区画なので楽しい。神殿の外に出られる機会はあまりなかったので、業務外でのお出かけは新鮮だ。


「フィルはこんなふうに町を歩いたことはないんですか?」

「ない」

「ここに来て、一度も?」

「……ぼくがそとにでるのはめいわくだから」

「誰がそんなこと言ったんですか!」


 ひどい。なんだそれは。

 神子だから誘拐されたら危ないですよーとか、そういった心配ならともかくとして。まるで厄災かなにかのような言い方はなんだ。

 しかもそれを本人の耳に入るように言うだなんて。


「サイテーですね。そんな大人は、甘えて抱き着くふりをしておなかに拳を叩きこんでやればいいんですよ。子どもの特権です! 頭髪が気の毒な方であれば、抱き上げてもらったときにむしってやればいいんです。もう、ほんっとにひどいったら」


 憤慨するミノンにフィルは呆然とした顔をした。

 おかしなものを見る目つきをするので、さすがに往来で騒ぎすぎたと反省する。


「いいですか。そんなの知ったこっちゃないです。お外に出て太陽を浴びないと病気になっちゃいますよ。フィルはただでさえ痩せてるんですから。運動して、おなかをすかせて、おいしいものをいーっぱい食べましょう。今日の目的はそれです。当面のあいだ、フィルのお仕事はそれですからね。覚悟してください」

「なんだそれは。そんなものがしごとになるのか」

「子どもは寝て食べて大きくなるのが仕事なんです。今みたいな不規則な生活をしていると、大きくなれませんよ?」

「……そんなことでおおきくなれるなら」


 フィルの声には悔しさが滲んでいた。

 これもまた誰かにちくりと言われたことがあるのだろうか。

 まったく神子さまの周囲にはろくな大人がいないらしい。


「まだまだこれからじゃないですか。わたしがいた孤児院でも、フィルぐらいの年齢では背が低かったけど、十四歳で孤児院を出たときは、院内で一番背の高い男の子になってた子もいましたよ? 体が痛いってよく言ってました。成長痛っていうんですって」


 ミノンは自分の頭の遥か上にまで手を伸ばし、これぐらいありましたよーといったふうに提示してやる。

 多少は大袈裟に盛っているが、そこはご愛敬。

 その甲斐あってか、フィルはようやく頬をゆるめ、笑みらしきものを浮かべた。


「なんだそれは」

「可能性です。夢は大きく持ちましょう」

「ゆめ?」

「こうなりたいなー、こんなことがしたいなーっていうやつ。寝ているときに見るやつとは違いますよ?」

「それぐらいはわかっている。かんがえたことがなかっただけだ」

「これからですよ。わたしが五歳のころなんて、おなかいっぱい食べる職業に就きたい、ぐらいしか思ってませんでしたし」


 そしてそれは、叶ったような叶っていないような、微妙なところだ。

 曲がりなりにも聖女という肩書きを得たことで、飢えて死ぬようなことはないだろう。

 けれど、聖女にもランクがあるので、末端はとても忙しい。

 貴族というだけで聖魔法を宿し、階級に慮って配慮されるご令嬢聖女さまとは違い、ミノンのような平民聖女は、「選ばれたのだから、民のために身を粉にして働け。還元しろ」という扱い。身分の差は神の前でも平等にはならない。


 考えながら歩いていると広場に辿り着いた。商業区の中心であり、そこを起点にして別の区画へ向かう馬車が発着する駅もある場所だ。

 中心には時計台があり、一時間ごとに鐘が鳴る。

 フィルが暮らす家にも届くぐらいだから、間近で耳にしたらどんな大音響となるのだろう。興味がある。


「たくさん歩いて疲れたでしょう? まず飲み物を買いましょうか」


 ミノンは露店を指さす。飲み物を売っている店の前まで行き、フィルに訊ねた。


「なににしますか?」

「…………」


 ところがフィルはくちをつぐんで答えない。どうしたのだろう。


「甘いやつ、すっぱいやつ、どろっとしたやつ、シャワシャワするやつ。いろいろありますよ?」

「…………」


 答えない子どもの姿に、今度は店主の男が声をかけてくる。


「坊主、姉ちゃんのうしろに隠れてばっかじゃダメだぞ」

「すみません。病弱で外に出ることが少ないもので、慣れてないんですよ。おすすめはありますか?」


 ミノンが問うと、店主は人好きのする笑みを浮かべて、台の上に並んでいる赤い果実を指した。


「そりゃ大変だ。そんな坊主にはこれだな。滋養たっぷり。ちょっと味が濃いから薄めてやろう。娘さんはそのままでいくかい?」

「同じ味を飲んでみたいので、一緒にしておいてください」

「あいよ」


 どうやら絞り器を使って、その場で作ってくれるらしい。甘酸っぱい香りが漂ってくる。

 差し出された木のコップを受け取ると、手のひらがひんやりとした。冷えた水を使っているらしい。

 ミノンの驚きを察したか、店主が教えてくれたところによれば、このあたりの店では冷水温水が自由に使えるようになっているという。専用の魔道具が貸し出されており、出店料に加算される形で使用料は取られるけれど、やはり冷えた飲料はよく売れるし、あたたかいスープの類を提供できるのは利点も大きい。


「へえ、すごいんですね」

「もともとは外国でやっていた形態を取り入れたんだと。どこの国って言ってたかなあ」

「……ジネスポ」

「おお、そこだ。よく知ってるな坊主」

「べつに、たいしたことじゃない」


 ぶっきらぼうに呟くフィルに、店主はストローを刺した取っ手付きのカップを渡してくれた。

 お金を支払い店の前を離れると、そこかしこに設置されている椅子に腰を下ろす。


「あんなこと、よくご存じですね」

「まえにぼくがほんや――いや、よんだがいこくのほんにかいてあった」

「外国の本が読めるんですか!」

「ほんをよむのはすきだから」

「では、図書館とか貸本屋とか、そういうお店にお勤めするのはどうですか?」

「つとめる?」

「あ、すみません。ご子息さまなら、自分でお店を立ち上げて作るほうでしょうか。そのほうが、お好きな本をたくさん置けて楽しいかもしれませんね」


 つい庶民目線で語ってしまったが、フィルのように身分のある、お金持ちのお邸ならば、いち従業員ではなくオーナーのほうがふさわしい。


「わたしはがくがないもんで、難しい本は苦手なんです。神殿学校の授業も正直なところ、よくわからなくって」

「あれはとおりいっぺんのものしかしないからな。わかっているやつをあいてにするから、りかいできないものはおいていく」

「ああ、なるほど。みなさん、もう読み書きができている状態でいらっしゃるので、そのあたりは説明すらしてくれなかったんですね。おかげで、常識を知らないってよくバカにされました」


 神官は総じて当てにならなかったので、それ以外のひとに基本を教わった。おもに下働きをしているひとたちで、彼らもまた「自分たちもそうやって先輩から教えてもらったんだ」と言って快く付き合ってくれたのだ。

 そういった意味では、悪いばかりの環境ではなかったと思う。


「もじぐらい、ぼくがおしえてやってもいい」

「本当ですか? 嬉しいです!」


 大袈裟に喜んでみせると、フィルは目を泳がせて、それから下を向いて「そうか」と言った。ストローをくわえて、ずずずと音を立ててジュースを飲んでいる。


「おいしいですね」

「……そうだな」


 小さな子どもでも――むしろ子どもだからこそ、自分でも誰かの役に立つことができるのだという事実が嬉しかったりするものだ。

 この神子にとって、『文字を教える』という行為がすこしでも自信に繋がればいいと、ミノンは思った。





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