02 神子の事情


 なんだ、あの女は。


 わざと大きな音を立てて扉を閉めた。

 しかし、立て付けが悪いせいで蝶番がギイと苦しそうな音を立てただけで、扉自体はゆっくりと閉まる。


「…………」


 慣れないことをするものではないな。

 急に冷静になって、肩を落とした。



 中央神殿から聖女派遣の連絡を受けたのは一週間ほど前のこと。断りの文を出したにもかかわらず、聖女はやってきた。しかも若い娘だ。

 キャラメル色の明るい髪、光を受けて輝く新緑のような瞳。キラキラと瑞々しい、生命力に溢れた気を放っている、自分と正反対の空気を持った女。


 なんだそれはと、動揺してしまった。

 いままで不定期で現れた神殿からの聖女は、現役を引退したような落ち着いた雰囲気の年嵩の女性ばかり。己の子どもが成人して手を離れたので、時間を決めて神殿の手伝いをしている元聖女ばかりだったので、よもやこんな現役の聖女が来るとは想定外であったのだ。


 しかも神子たる自分に対する無礼な振る舞い。

 完全にこちらのことを下に見ていた。まるっきり小さな子ども扱いだ。あんなふうに顔を覗き込んで、近づきすぎではないだろうか。

 思い出すと顔が赤くなってきて、頭を振った。


 精神を安定させるために本を手に取る。

 国外の本を自国の言葉に翻訳するのは、ひそかに請け負っている仕事であったりするが、これは先日入手したばかり。まずは読んで、自分のなかに落とし込む段階である。

 しばらく没頭していると、ノックの音が耳に入った。


「フィルさま、入りますよー」


 返事を待たずに入室してきた護衛騎士は、片手にトレーを持っている。茶器と茶菓子らしきものが載っており、それらを無造作にテーブルへ置くと、勝手に座って茶を淹れ始める。


「ヨアヒム」

「なんです?」

「……あのおんなはどうした」

「お部屋に案内しましたよ。掃除道具の場所も教えたので、まずは寝る場所を整えていただこうかと」


 今日来たばかりの客にさせるなって話ですけどねー。

 朗らかに言いながら手酌で茶を注ぐ。ふわりと花のような香りが鼻に届いてつい反応する。

 好んで飲んでいる茶葉だ。

 神殿から届く支給品のなかに紛れているもので、銘柄は不明。どうやら市販品ではないようで、味気ない袋に無造作に入っている。稀にしか手に入らないので大事に飲んでいるもの。


「フィルさまはこれ好きですよねー。ミノン嬢が持参してきたんですよ」

「ミノンというのか、あの子は」

「名前すら聞かずに出て行きましたよね。失礼ですよーさすがに。いくら恥ずかしいからってまったく」

「はずかしいってなんだ! はじらいがないのはあっちだろう、としごろのだんじょが」

「はいはいそうですね」

「おまえ、てきとうにいってるだろ」

「だって、年頃ってその姿で」


 言ってヨアヒムは噴き出し、笑いながら続ける。


「たしかにフィルさまはもうすぐを迎えられる立派なですが、見た目はただの五歳児ですよ。彼女はそれを知らないのですから、子どもに接するようにして当然でしょう」

「それは、そうだが。でも、あたまをたたくのは」

「まあ不敬ではありますよね。我が国の第五皇子フィリップ殿下に手をあげたわけですから。でもそれを言えば、殿下に仕える俺が、こーんなくちの聞き方をしているのも不敬なんですけどね」

「……そんなの、いまさらだろ」

「付き合い長いですからねえ」


 今度は柔らかく笑って、ヨアヒムはフィリップのほうへカップを押しやる。

 猫舌な自分のために、ちょうどいい頃合いをもってお茶を供してくれるこの男は二十歳の若さで第五皇子の専属護衛の任に就き、十数年も従ってくれている。


「おまえには、ほんとうにすまないとおもっているんだ」

「なに言ってるんですか。しがない男爵家の五男坊にとっては、破格の給与と特別手当がある職ですよ」

「だが、ぼくはのろわれたみのうえだ。五さいのまま、せいちょうしていない。十四ねんずっと」


 うつむいて言葉を絞り出すしかないフィリップの頭を、ヨアヒムの大きな手が撫でる。

 父を同じくする異母兄弟がありながら、交流らしい交流をしたことがないフィリップにとって、ヨアヒムは兄のような存在だった。





 フィリップ・マクベスタ・ゼン・アルマルティア。

 神聖帝国アルマルティアの第五皇子として生を受けた、皇位継承権を持つ男子である。


 仰々しく『神聖』などと名乗っているように、アルマルティアは聖魔法と呼称する神聖魔法を有する者が多く輩出される国だ。それとは別に、神の声を聞く子どもが生まれることもあり、彼らは神子みことして丁寧に遇された。


 神子の神聖さは神の声を拝聴するだけにとどまらず、なにかしらの能力に特化した者が多い。

 それらは勉学の面だけではなく、音楽や美術工芸といった芸術方面への才能であったりもして、国の産業に寄与するものであるため、決して他国へ取られぬように保護される決まりだ。


 聖魔法の適性は五歳を迎える際に正式調査されるが、貴族は判定機能を持つアイテムを自分たちで所持しており、赤子の段階で調べるのが慣例となっている。その時点で反応が出た者が、五歳になったときに再度そのちからの大きさについて調べるのだ。


 皇族の血を引くフィリップもまた、産声をあげたあとに判定にかけられたという。

 すると、まあ盛大に反応が出たものだからたまらない。

 継承権を持つ皇族から神子が排出されることは少なく、周囲はたいそう賑わったらしい。当時は入隊したばかり、見習い宮廷騎士のヨアヒムにすら噂が届いたというぐらいだから、どれほどの騒ぎかわかろうというものだ。


 そんなわけでフィリップは赤子のころから権力者の話題の的となり、自身の派閥に引き入れたい者にかどわかされそうになり、他の皇子陣営に命を狙われるようになったのである。


 権力に縁もなく、およそ裏のなさそうなヨアヒムは殿下付きの子守り担当を仰せつかったため、フィリップは物心つくころからヨアヒムのことを認識していた。いかついおじさんより、優しそうなお兄さんに懐くのは当然といえる。



 過保護に育てられたフィリップが五歳になったとき、再度の判定が実施された。

 それはもう皆が期待を寄せたし、神子を経て皇帝になる道を望む者、それを阻みたい者、両者の気持ちがせめぎ合い、場はとんでもなく澱んだ気配に満ちていたことだろう。

 フィリップは大いなる神気しんきをまとった、類稀なる神子であった。

 これまで以上に大事にされ、これまで以上に危険と隣り合わせの生活の幕開けとなった。


 しかし、周囲の期待は裏切られることとなる。

 それから二年が経過しても、フィリップの姿に変化がなかったせいだ。


 同世代の子が背を伸ばしていくなか、彼は五歳の判定の儀で見た姿のままであった。飲食も排泄もするけれど、背丈どころか、髪も伸びない。まるで時が止まったかのような姿。生きていながら人形のように、あどけない子どもの姿を留めたままだったのである。

 神殿の最高位神官は言った。



 邪悪なる気がの者の成長を阻んでいる。祓われないかぎり、永遠にこのままであろう。



 稀代の神子は、その存在が稀であるがゆえに何者かに呪われ、皇位に就くことを阻まれた。

 そう判断されるのに時間はかからなかった。




 神子は神殿に身を置き、爵位のあるなしにかかわらず国のために働く。

 ヒトであってヒトではない存在として扱われるため、保護の観点からも神殿で暮らすのだ。


 フィリップもまた例に漏れず儀式のあとは神殿に身を寄せていたが、ずっと姿の変わらない神子は、より神秘なる存在となり、同じ神子からの嫉妬を集めるようにもなってしまった。

 ヒトではないといえど、それは建前でしかない。妬みや嫉妬の感情は持っているし、競争心もある。

 環境がひとを育てるとはよく言ったもので、特別な者として扱われ続けることで培われる驕りにより、嗜虐的な意識を育ててしまうことも多々あるのだ。


 身分を隠し、フィル・マクベスタとして神殿で暮らすなか、フィリップは先輩神子による洗礼を受けた。

 十歳前後の年少神子の囃し立てなど可愛らしいもので、十代半ばから後半の神子らは、表面的には穏やかに微笑みながら裏側で陰湿な振る舞いをする。

 見た目は五歳だが、フィリップの精神は年相応に育っている。何も知らない幼児ではないのに、彼らは見た目で侮り、虐げてくる。


 神子が神の子であるのは、二十歳まで。

 不思議なことだが、その年齢を境にして神の声を聴くちからは弱くなり、只人ただびととなってしまうらしい。


 それ故に、二十歳に達すると『還俗』することになるのだが、ずっと神殿で特別な者として育った神子は当然ながら不安に駆られる。

 この先をどう生きていけばいいのか。通常の社会で育っていれば、早ければ十四歳から己の進路を決めて見習いに就くものだが、神子にはそれがない。

 そういった背景もあり、二十歳を控えた青年神子たちは、抱えた不安の発散先としてフィリップを選んでいるのだろう。

 冷めた頭でそう考えたが、だからといって、それを唯々諾々と受け入れる理由にはならない。



 神殿で過ごすこと五年強。

 あいかわらずの見た目。同じ年に神子として神殿に入った者との差異、新しくやってきた事情を知らない神子からの奇異のまなざし。

 そのころになれば、さすがに神聖さよりも薄気味悪さのほうが先に立つようになっており、フィリップは腫れ物に触る扱いになっていた。


 表情変化にも乏しく、なにを考えているのかもわからない。

 否定と賛美、そのどちらを受けても変わらぬ態度。


 あの者には、ヒトのこころすらないのではないか。

 やはりヒトではないのかもしれない。


 神に選ばれた、神の子ども。


 だが、あんなふうに中身のない、からっぽの人間になりたいとは思わない。



 いつしかフィリップは、カラの神子と呼ばれるようになった。

 それは決して尊称ではないと気づいていたが、かまわなかった。なぜならば、それは事実、自分を的確に表した名であると思ったから。


 なにを言われても内に留まらずに流れていく。

 ときすらも自分を置き去りにして通り過ぎ、中身は空のまま。きっとぽっかりと穴が開いていて、なにかを留めおくことなどできやしないのだ。



 十歳の誕生日を迎えた年、フィリップはついに神殿を出ることを決めた。

 神殿としても、過去に例のないフィリップの体質に難儀していたこともあり、住まいを移すことは大きな反対なく承認された。

 神殿としては、神子の存在を把握しておく必要があるため、世話係として聖女を派遣することは約束させられる。だが神殿関係者からの日々の視線がなくなるだけでも、フィリップにはじゅうぶんだったのだ。

 そうして用意された小さな家。五歳の体では独り暮らしができるわけもないため、同居人が選ばれた。



「うわー、フィルさま、驚くほど変わってないですねえ」


 そう言って笑ったのは、五年ぶりにまともに顔を見た護衛騎士ヨアヒム。

 変わらない姿を恐れずに、むしろ笑い飛ばしてくれる兄貴分の存在に、フィリップがどれほど救われたのか、この男は知らないに違いない。


 長らく動かなかった顔の筋肉が動く。

 口許が震え、目頭が熱くなる感覚は、いつ以来だろう。

 湧き出してくる衝動にあらがえず半泣きになったフィリップの頭を、宮廷にいたころと同じように撫でてくれ、そうして護衛騎士との生活が始まったのである。





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