解毒の聖女は、呪われたカラの神子を救いたい。
彩瀬あいり
01 聖女、物申す
偉大なる
古びた平屋の邸は物々しい鉄柵に囲まれ、侵入者を拒む堅牢な空気が漂っており、辿り着いた門もまたミノンの背よりも高く、こちらを
(そうは言っても、こっちは中央神殿から正式に派遣されているわけでして、すごすごと帰るわけにはいかないのよね)
だってお金がもらえないと困るもの。
続けてそう呟くと、ミノンは小さなかばんをひとつ携えて門をくぐり、玄関扉を叩いた。
「たのもー!」
◇
邸の中は薄暗く、あまり掃除が行き届いているとは思えない。
事前に聞かされた話によると、住んでいるのは神子さまと護衛騎士。通いの掃除婦はひと月に一回程度というから、定例清掃に入ってからしばらく経っているのかもしれない。ミノンが派遣されるにあたって、それらの手配もなくなると聞いているので、仕事始めは屋内清掃から、といったところか。がんばろう。
掃除の手順などを考えつつ無遠慮に見渡していることに気づいたのか、応対に出てくれた年上の男性――おそらく彼が護衛騎士――が、ミノンに声をかけてきた。
「大丈夫ですよ。さすがに床に穴が開いているとかで、聖女さまを転ばせる危険はないですから」
「……失礼しました」
まず通されたのは応接室であろう部屋。豪華なソファーに浅く腰かけて待っていると、やがて男は誰かを連れて戻ってくる。
おそらく彼が神子なのだろう。柔らかそうな金髪に白い肌、蒼天を宿した清廉な印象の瞳でこちらを見たあと、顔を歪めた。そんな表情であっても麗しさは損なわれず、これが神に選ばれし者の美貌なのかと感嘆の息が漏れた。
「わかいおんなじゃないか」
しかし開口一番、高い声でそんなことを目の前の
なんだこの失礼なお子さまは。
神子さまか。
そうか。
うなずいてミノンは立ち上がり、神子の傍に寄るとその頭をぶっ叩いた。
「こら、初対面のひとにそんな言い方はないでしょう」
「んな!」
「おお……」
子どもと騎士は、共に驚いたようすを見せながら、けれど両極端な感情を表した。
前者は怒り、後者は感心。
「なんだおまえは、そっちこそしつれいだろう! ぼくをだれだと」
「神子さまですよね。だからといって他者に礼儀を払わなくていい理由にはならないでしょうに。むしろ偉いひとこそ下々の者を労わるべきです。建前上は」
「たてまえじょう?」
「現実はまあ、あなたのように、偉いひとは下の人間なんて家畜同然なので、なんとも思わないですよね。でもやられたほうはそんなこと知ったことではないので、普通に怒ります」
両手を腰に、ミノンはふんぞり返る。
神子の背丈はちょうどミノンの腰あたりだ。遥か上から見下ろされるのはさぞかし怖かろうと想像するが、こういった躾は最初が肝心。この年齢ならまだ矯正は効くはずだ。
ビシバシ行こうとこころに決めて、ふたたびくちを開く。
「さきほどわたしに頭を叩かれて痛かったですか? 物理的に叩かれると痛みを感じるように、ひどい言葉を投げつけると、こころが傷つきます。言われたわたしも、言ったあなたもです」
そう告げると神子はまた驚いた顔をした。
今度の感情は戸惑いだろう。意味がわからないといったふうな子どもの目線に合わせて膝をつき、ミノンは彼の顔を覗きこむ。
近くで見ても本当に綺麗な瞳だ。
晴れた空、それを映す湖。
神子と相対するとき、彼らの瞳に映る自分を見て、ひとは己の振り返って自省するのかもしれない。
それが、神に選ばれた、神の子――『神子』の尊さ。
平民で、孤児で、あまり優秀とは言えない聖女の自分は、心根が腐っていると思っているが、神子の目を通して見る自分は、どう神に判断されるだろう。
すこし怖く感じながらも、ミノンは神子ではなく、ただ不満そうにしている幼い子どもに告げる。
「今は違うかもしれませんが、もうすこし時間が経ってから言ったことを後悔するかもしれません。ひどいことを言ってしまって、相手に悪かったなあって。ですが言ったことはもう取り返せないんです。体の傷は治療して消すことができますが、こころの傷は治せません。叩かれた痛みは消えても、痛かったことは憶えているでしょう? それと同じですよ」
噛んでふくめるように言い聞かせると、神子はくちを引き結んで、下を向いた。
「…………」
「神子さま?」
「…………るさい」
「はい?」
「うるさい! こうかいなんてするものか!」
叫んだあと、踵を返して部屋を出て行く。遠くで扉の開閉音が聞こえたので、自室に戻ったのだろう。
残されたミノンに護衛騎士は告げる。
「
「いえ、どちらかというと失礼なのはわたしなので。あの」
「なんですか?」
「なにがそんなにおかしいのでしょう?」
問うと、騎士は我慢の限界といったふうに笑い始めた。
「いやあ、すみません。もう途中からおかしくてたまらなくて」
「はあ」
「フィルさまはああ見えて、わりと繊細なんですよ。だから図星を差されてなにも言い返せなくなって、だけど素直に認めるも癪だから逃げたと、まあそういうかんじです」
未だ笑いを滲ませながら「座ってください」と促され、ミノンはソファーへ腰かけた。騎士は対面に座ると、表情を改めて一礼する。
「主が不在で恐縮ですが、俺はヨアヒム・アルミホと言います。フィルさまの護衛を仰せつかっております」
「御挨拶をありがとうございます。わたしは中央神殿より派遣されてまいりました、ミノンと申します」
姓を名乗らなかったためミノンが平民と悟っただろうが、騎士――ヨアヒムは気にしたようすもなく、言葉を続ける。
「聖女さまは住み込みでと聞いておりますが、大丈夫でしょうか」
「大丈夫の対象が具体的になにを差しているのかわかりませんが、問題ないと思いますよ。ヨアヒムさまこそ大丈夫なのでしょうか。一応わたしも性別が女なので、同じ邸で寝食を共にするのに差し支えありませんか?」
「むしろ歓迎ですね。聖女さまがいらしてくだされば、俺も家を空けることに罪悪感も薄くなります。自分の家にも帰りやすくなりますしね」
嫁と子どもを放置って外聞が悪いですからねえと明るく笑うが、それは笑って済ませていい問題ではない気がする。彼の子どもはまだ三歳というから、これは全力で帰っていただかなければなるまい。
ぐっと拳を握り、ミノンは言った。
「どんとこいです。早くこの邸のことを覚えますから、ガシガシしごいてください先生」
「先生って」
「お子さんがお父さんの顔を忘れちゃわないように、積極的に家に帰ってあげてくださいよ」
「うわ、それグサっとくるなあ」
ミノンは教会に併設された孤児院育ちである。
捨てられた者、事情があって預けられた者。理由はさまざまだが、親のことを記憶している子どもほど忘却を恐れていた。
ミノンはよちよち歩きのころに教会前に放置されていたらしく、一か月経ってもなんの問い合わせもなかったことから、捨て子と判断されたくちだ。ミノンにとっての親は教会のシスターらと院長だが、本当の親を憶えている子たちは、捨てられたという事実に傷ついていたものだった。
「こんなことを訊いていいものかわかりませんが、神子さまのご両親は?」
「あー、そうですねえ。フィルさまは、さる一族の五番目の男子でして、俺も五男なんですが、まあそれぐらいの下になると普通は放置されるんです。後継問題とかにも縁がないので、自立しないと生きていけない、みたいな」
ミノンは、神子の出自についてくわしく知らされていない。もともと神子自体が『神に選ばれた子ども』なので、俗世からは解き放たれた存在として扱われるせいでもある。とにかく秘密主義なのだ。
けれどヨアヒムの言葉から察するに、神子さまはわりと高位の貴族籍なのだろうと察せられた。
五番目の子ともなれば、家の者も育て方に慣れており、扱いも通り一遍だったのかもしれない。
そんななかで神子に選ばれてしまい、家から引き離された。
ついに捨てられた、と。
そう感じて拗ねてしまっても仕方がないと思う。
なるほど、たしかにこれはミノン向きの仕事である。
本来、神子と呼ばれる尊いひとの世話役に就くのは、争奪戦が起きかねない仕事だ。
なにしろ神子といえば、十代半ばから後半の殿方。彼らは二十歳を境に『神の子』ではなくなり
そんな元神子たちが、ずっと傍で支え仕えてくれた聖女を伴侶に求める事例も多く、あわよくば、とばかりに神子付きを狙う聖女は多かった。むしろそれが目的といってもいい。
にもかかわらず、今回の仕事が末端のミノンにまわってきたのは、相手が子どもだからなのだろう。
この神子が還俗年齢に達するのは十年以上先のこと。聖女たちが、そのときまで未婚で待つわけにはいかない。行き遅れてしまう。
それぐらいならば別の神子の傍付きを望むし、高位神官の専属聖女を狙ったほうが効率がいい。そんなところか。
貴族令嬢の聖女たちは、孤児でありながら聖女となったミノンを良く思っていないため、「あの平民にやらせておけばいいじゃない」となったに違いない。
まあ、いい。これは実入りのいい仕事だ。
孤児院に仕送りをしているミノンにしてみれば、お金をくれるならば問題ない。お嬢様方にとっては小遣い程度の金額かもしれないけれど、孤児院にとっては大きな収入なのだから。
食堂にしている大部屋の机はそろそろガタがきているので新調したいし、冬に備えて窓枠も修理したい。夏の今から準備しておけば、寒くなるまでには間に合うはず。
掃除道具のモップの柄も折れたと言っていたし、新年に備えてそろそろみんなに新しい冬服を送ってあげたいと思っている。古着はそのまま雑巾にすればいいので一石二鳥。
「わかりました。神子さまのお世話、全力で取り組ませていただきますね!」
神子本人は歓迎していないようだったが、そんなことは関係ない。
他人からの嫌がらせなら慣れているし、子どもの癇癪なんて孤児院でもよくあること。あしらい方は心得ている。どんとこいだ。
辞める気なんて、さらさらなかった。
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