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「俺が術を掛けて眠らせなかったら、この子に何を言うつもりだった?」

「…さぁ、何だろうね」

「お前は、この家の飼い猫だろ?アトムだっけ?何で人間の姿でいるんだよ。この部屋では人間にならないって言ってたのに」

「大丈夫だよ、彼女は酔っていたし、ただの夢だと思ってくれてるよ」


穏やかにそう言ってのける月那つきなに、アズは「そうじゃないんだって!」と、もどかしそうに頭を掻いた。


「人に化けて、バリスタやら何やら勉強して、しかも人間の女に好かれてさ。お前、化け猫だろ?」

「君は化け狸だね。それに、彼女に好かれてるのは猫の僕だけだよ」

「まぁ、そうだとしてもだ!最初は飼い猫ポジションで満足してたのに、人に化けてまで接触してさー、そんなに好きになっちゃったわけ?」

「…そんなんじゃないよ」

「そんなんだろ、まったくもって、そんなんだろ」


アズは疲れた様子で天を仰ぎ、「まぁ、良いや」と肩を竦めた。


「お前が何をしてもお前の自由だよ、でもさ、皆、心配してるんだよ。もし俺達の素性がバレたら、人の世には居られなくなる」

「分かってる、皆には迷惑かけない」

「だから、そうじゃないって!お前が辛い思いをするんだって言ってんの!俺達は最悪、あやかしの世に逃げれば良い、人の世に思い入れがある訳じゃないしな。でもお前は、その子が全てじゃないか」


アズは眠る時緖に視線を向けると、そっと肩を落とした。


「…今みたいに、彼女を見守る事も出来なくなるぞ」

「引き止めたいのか応援してるのか、どっちだよ」


笑う月那に、アズはムッと眉を寄せた。


「笑い話じゃない!」

「優しいなって言ってるんだよ。心配してくれてありがとう」


そう微笑まれてしまえば、アズも二の句が告げず、怒りたいような照れくさいようなむず痒い様子で、ふいっと顔を背けた。


「…どうして、そんなにその子に執着するんだ?」

「…さぁ、どうしてかな」


月那はそっと眉を下げて微笑み、眠る時緖を優しく見つめた。




***





思い返すのは、二十年程前の事。月那は人の姿で、幼い時緖ときおと出会っていた。


出会ったのは、時緒達が暮らす人の世、住宅街の中にある公園だ。平日の昼下がり、学校が終わったのか、公園では子供達が駆け回り、楽しそうな笑い声が空に飛び交っていた。

月那はその風景に溶け込むべく、猫から子供に姿を変えて、ベンチに腰掛けて絵を描いていた。


月那は、妖の世では有名な絵本作家だ。人の世にやって来たのは、人間の作った作品を見る為。この頃、自身の作品の売れ行きが伸び悩み、このまま作家を続けていくべきかと、迷いを抱えていた。作家として自信も失くしており、だから、何か刺激になるものを求めて、こうして人の世にやって来た。


この日は、せっかく人の世にやって来たのだから、記念に何か描き残して行こうと、穏やかな昼下がりに、何となく絵を描いていた。

そこへ、ひょっこりやって来たのが、まだ幼い時緖だった。

彼女は、遊ぶ友達を探しに公園にやって来たのか、キョロキョロしながら歩いていたが、やがてベンチで熱心に絵を描いている月那を見つけると、「何してるの?」と、月那に声を掛けた。

月那はまだ人の世に馴染めていなかったので、声を掛けられた事に驚き、思わず逃げようとしたが、好奇心いっぱいの瞳と目が合ってしまったら、何だか逃げる事も出来ず、緊張しながら「…絵本を作ってるんだ」と、言葉を返した。


「凄い!見せて見せて!」


その興味津々といった様子に、どうして、ただ絵を描いているだけだと言わなかったんだろうと、月那は後悔した。

物語なんて、一欠片も浮かんでいなかったのに。


「…えっと、まだ、途中だから」

「じゃあ、どんなお話か聞かせて?」

「…えっと、そうだな…」


それから、月那は時緖の熱心さに負け、咄嗟に思い浮かんだ話を聞かせた。といっても、ざっくりとして曖昧なものだ、それでも、時緖は更に瞳を輝かせ、「面白そう!」と身を乗り出した。


「完成したら、絶対見せてね!時緖が一番最初だよ!」

「う、うん…」


「楽しみだな」と、楽しそうに笑う姿に、月那は胸の奥が熱くなるのを感じた。

暗がりに、ぽっと一輪の光の花が咲いたような、ささやかでありながらも、それは間違いなく道しるべのように光り輝き、月那の心を突き動かす。


月那はその後、宿に戻るとすぐに絵本の製作に取りかかった。白い画用紙いっぱいに描かれた真夜中の魔物は愛嬌たっぷりで、翌日、再び公園で時緒に出来上がりを見せると、彼女は喜び、満面の笑みで作品を褒めてくれた。


「こんなお話作れるなんて、凄いね!時緖、毎日読みたい!」


そのキラキラとした瞳が、月那の胸に彩りを添えていく。喜んでくれた事が嬉しくて、胸の奥深くに燻っていた不安や迷いが一気に吹き飛ぶようだった。

まだ、自分の作品を面白がってくれる人がいる、まだ頑張れる。

それが人間で、たった一人だとしても、こんなに嬉しい事はなかった。


「そ、それなら、ちゃんと本にして渡すよ」

「本に出来るの?」

「…これでもプロの作家だから、出版させて貰えると思う」

「本当!?」

「う、うん」

「凄い!絶対見せてね!約束だよ!」


約束、そう指切りをしたが、その約束が叶う事はなかった。


その夜、月那は急遽、妖の世に帰る事になったからだ。人の世で騒動を起こしている妖がいるから、巻き込まれない内に帰って来いという。


その為、時緖に別れを告げる事も出来ず、月日は流れ、月那は三年前、再び人の世にやって来た。

今回は、人の作った本を見る為だ、時緖に再び巡り会う事など、期待していなかった。


「真夜中の魔物っていう絵本はありますか?」


だから、ある図書館でその言葉を聞いた時は驚いた。そして、司書に尋ねる声の主を見て、月那は確信した。二十年経ってすっかり大人になってしまったが、あの眼差しには面影を感じる、それに、真夜中の魔物という絵本は、人の世にはない、知っているのは時緖しかいない、彼女は時緒で間違いなかった。


子供の頃の事、忘れても仕方ないような一時の出来事を時緖は覚えていて、出版出来ると言った事も信じてくれていたのかと思えば、じわりと胸が熱くなって。振り返った彼女と目が合った瞬間、今度はぎゅっと胸が苦しくなった。あの時のように、胸に彩りが舞い広がっていく。


その時、気づいたのだ。月那は時緖に恋をしていたと。



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