九月十四日 深夜

静かな夜の中、晃は朔が亡くなった場所に来ていた。ガードレールに添えられた花は枯れていて、花の包み紙も茶色くなっていた。晃はそこに向日葵の花束を供えて手を合わせる。

「今日は一分でも一秒でも長く、朔と一緒にいられますように。」

願いを込めてから供えた花束を持ち上げて晃が後ろを振り返ると、白い猫が待っていた。

「おまたせ。」

白い猫は「にゃあ」と鳴くと、ゴロゴロと喉を鳴らしながら晃の足元に擦り寄ってきた。

晃は花束を両手に抱えたまま、眩しさから顔を背けた。

「晃。」

朔の優しい声が聞こえるが、晃は声が聞こえる方向を見ることが出来ない。

「晃、どうしたの?」

顔を右手で覆い隠した晃は堪えきれず、肩を震わせて泣いてしまう。鼻をすすり、呼吸をしようとすると胸が苦しくて、上手く喋る事が出来なかった。

「晃、ゆっくりでいいんだよ。深呼吸しよう。」

いつの間にか晃の傍に来ていた朔は晃の背中をさすり、両手いっぱいに晃を抱きしめて、気持ちを落ち着かせる事しか出来なかった。晃は朔に身を預けて朔の名前を何度も呼びながら、大声をあげて泣き出してしまった。

朔も晃にバレないように、そっと涙を流していた。

朔との最後の夜が、訪れようとしていた。

「晃、メリーゴーランドまで一緒に行ける?」

朔の問いかけに小さく頷いた晃の手を握り、ゆっくりと歩き出した二人。朔の手と絡ませるようにして手を握り返した晃に、ピクリと肩が跳ねる朔はチラリと後ろを歩く晃を見る。

「恋人なんだから…、これくらいするだろ?」

晃の言葉に耳まで真っ赤にした朔は頷くと、自分の手のひらを擦り合わせるようにして握り返した。

メリーゴーランドの前まで来ると、晃は足が立ち竦む。今乗ってしまえば朔との時間も終わりに近づいてしまう。そんな晃の事を見ていた朔は「乗るのやめちゃおうか?」と提案する。

「え?」

「晃が嫌なら無理して乗ることないよ。」

「いや、でも…。」

「何周か見送って、それから乗る事だって出来るんだから。」

「…わかった。決心が着いたら言うから、それまで待っててくれ。」

「うん!もちろん。」

メリーゴーランドが二周、三周と回っていくのを晃はボンヤリと眺めていた。

「あのさ」と、二人の声が重なる。

「晃からどうぞ。」

「…ありがとう。俺、朔と一緒にメリーゴーランド乗るよ。」

「決心が着いたんだね。じゃあ、行こうか。」

「その前に、朔は何て言おうとしたんだ?」

「うーん。催促してる感じがして、よくないと思うんだけど…。いつ、その花束渡してくれるのかなぁ?って思って。」

「…あ、ごめん!」

「もう晃も気づいてると思うけど、白い猫の正体は僕なんだよ。だから、今日は花束を貰えるんだって嬉しかったんだ。」

ニコニコとしながらサラッと答えを言う朔に、開いた口が塞がらない晃。

「白い猫の事、言ってよかったのか?」

「もちろん。別にそれで僕が消えたりはしないからね。」

「なんだ…、そうなのか…。俺はてっきり何かあるんじゃないかと思って黙ってたのに…。」

「んふふっ。ごめん、晃。」

肩透かしをくらった晃はその場にヘナヘナとしゃがみ込むと、軽くセットした髪型を崩すようにクシャクシャと頭を搔くと朔を見上げる。

「渡すのが遅くなって申し訳ないけど、花束受け取ってください。」

「ありがとう、晃!向日葵、とっても綺麗だね。」

「朔に喜んで貰えてよかった。」

「僕、向日葵好きなんだ。」

「知ってる。」

朔は一瞬驚いた様な表情を浮かべたが、二人は改めて見つめ合って微笑み合うと、カボチャの馬車のメリーゴーランドに乗り込んだ。

メリーゴーランドはゴウンと大きな音を立てて動き出すと、ゆっくりと回り始めた。

「ねえ、晃。どうして向日葵の数は十一本なの?」

朔が不思議そうに訪ねてきた晃は恥ずかしそうに頬を掻き、視線をさまよわせる。

「あー、それは…うん。」

「教えてくれないの?」

「調べてみたら向日葵も薔薇みたいに本数によって花言葉というか、意味が変わってくる植物でさ。十一本は、その…。」

「うん。」

「その、最愛って意味があって。…俺の最愛の人は朔だから、受け取って貰えて本当によかった。」

「んふふっ。晃ってロマンチストだよね。そういうところも好きだよ。」

「…ありがとう。」

照れて下を向く晃が愛おしくなり、握ったままの手に朔はそっと力を入れた。

「…ずっと気になっていたんだけど、朔はさ、どうやってこの世界に俺を呼んだんだ?」

「気になる?」

「そりゃまあ気になるよ。」

「長くなるけどいいの?」

「ああ、全部教えて欲しい。」

朔は晃の言葉を聞くと、ポツリポツリと過去を思い出すように話し始めた。

「神様にお願いして四年、晃に気付いてもらうまですごく時間が長く感じたなぁ。」

「そんなにか?」

「だって、気づいて貰えるまでの四年間だよ?晃が火を付けたお線香の火を消してみたり、お線香の煙を通して晃に抱きついてみたり、気付いてもらおうと地道に色々試してみたんだけど、晃が全く気付かないから、神様が僕を変化させた白い猫を送り込んだりしてみたんだけど、それでも駄目だった。」

思い当たる節があるのか一つ一つに頷いては、気まずそうに目を逸らす晃。

「神様が痺れを切らしてお爺さんの姿になって、現世に現れる強硬手段に打って出たら、思いの外すんなりメリーゴーランドの事を信じたから、神様が心配してたよ。あの子はチィとばかし純粋すぎるって。んふふっ。」

「もしかして、あの時のバスに乗ってた白髪のお爺さんか!?」

「そうそう。あの時、晃に朔って呼ばれて嬉しかったなぁ。」

二人はあの真夏日を思い浮かべて、死ぬほど暑かったねと笑いあった。

メリーゴーランドがゆっくりと止まり、二人はカボチャの馬車から降りると向かい合う。

「朔、どうしてメリーゴーランドを作ってもらったんだ?」

「このメリーゴーランドを作ってもらった理由?晃と一緒に遊園地に行ったら、必ず乗ってたからだよ。」

「あー、まあな。」

「好きなんでしょ?」

「…好きっていうか、まあ好きなんだけどさ。」

「…え?違うの?」

「初めて遊園地で一緒に乗った時、朔が楽しそうにしてたからさ。それで毎回乗ってたんだよ。」

「晃はそんな昔の事まで覚えてくれてるの?嬉しいなぁ。僕って愛されてたんだね。」

「愛されてたじゃなくて、今も愛してるんだよ。」

「え〜、…それはずるいよ。」

照れて恥ずかしそうに顔を隠す朔が可愛くて、晃は思わず抱き締める。

「…なあ、朔。どうして明日は会えないんだ?」

「ん?それは…、それは明日、僕が本当の意味で成仏して、この世から消えてなくなるからだね。」

朔の言葉を聞いて晃は心臓を一突きされたような衝撃が走る。わかっていたはずなのに、本人に直接言われると、胸が苦しくて息が上手くできない。

「晃とせっかく気持ちが通じあったのに、こんなに寂しい事はないよね。…本音を言えば、本当はもっともっと晃と一緒にいたい。だけど、それも今日で終わりだね。死んでいるのに夢を見ているような、世界で一番幸せな時間だった。」

「そんな、終わりみたいな事言うなよ。」

「……寂しいけど、終わりだからね。」

「……朔…。」

朔は赤い飾り紐のついたピアスを両耳につけると晃の腕の中から抜け出て、金の糸で縫い上げたように細くなった月を背負って、大粒の涙を流しながら笑顔を向ける。

「僕は本当に幸せ者だ。晃、どうか僕の分まで生きて幸せになって!」

「朔!待ってくれ!どこにも行かないでくれよ!!朔!!」

「…ごめんね、晃。僕の事を、ずっと好きでいてくれてありがとう。…晃は、僕の太陽だった。」

夢中になって抱きしめようとした朔の体は、晃の腕の中をすり抜けていく。砂のようにサラサラと解けてゆき、金の糸で縫い上げたような細い月の光にキラキラと反射して、空に浮かぶ星原のように朔は消えていった。

晃が次に目を覚ましたのは、日もすっかり暮れた夜の二十時頃だった。

体が鉛のように重く、やっとの事で目線を左側に向けると、陽葵が正座していて起きた晃に気付いたのか声を掛ける。

「おはよう、もう体は大丈夫?危ないからピアスは外して、テーブルの上に置いておいたよ。」

「…朔…朔……は?」

「あははっ、酷い声だね。まずは水を飲もう、晃くん。」

陽葵に背中を支えられながら、晃はゆっくりと上半身を起こされる。見舞いに来た陽葵の話によると、晃は一晩中ずっと高熱が続き、酷く魘されていたということだった。

「じゃあ、私はそろそろ帰るね。…おばさん、呼んでくる。」

「…呼ばなくていい。陽葵、ここにいてくれ。」

晃にそう言われ少し視線をさ迷わせると、陽葵が立ち上がろうとした腰を静かに下ろしたのを見て、晃はぽつりと話し出した。

「…朔、成仏するって言ってた。」

「そう、なんだ…。じゃあ、また天国でお兄ちゃんに会えるってこと?」

「…わからない。ただ朔との明日は、もう来ない。やっと…、やっと気持ちが通じあったのに。」

陽葵はただ黙って、晃の背中をさすっていた。

「今すぐ、朔に会いたい。」

堪えていたものが溢れ出したのか、両手で顔を覆って上半身を前に倒すと、晃は声を押し殺すようにして泣き出した。

晃の自室の窓から見える一番星がチカチカと瞬いて、月の無い夜空を照らすように、流れ星が幾つも流れて行った。



弓張り月のメリーゴーランド



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