九月十二日 深夜
自室のデスクの前で椅子に座って緩く回転を繰り返し、時々ガンガンと音を立てて膝の辺りをぶつけながら、晃は昼間の出来事を思い出していた。
あれは、陽葵と無事に仲直りが出来たと言えるのだろうか。
少しざわつく胸に手をあてながらデスクの正面を向くと、ビニール袋の中からガサガサと薬を探し出し、口に入れた瞬間は酸っぱくて、飲み込むと苦い頓服薬を水で流し込み、晃は渋い顔をした。
「まっっず…。」
ため息を吐いた晃は、伸びをしながら天井を見上げる。
白い猫の迎えが何時もより遅く、何かあったのだろうかと不安になり、まさか事故にでもあったんじゃないかと心臓がバクバクと音を立てる。
晃は居てもたってもいられず椅子から立ち上がり、白い猫を外まで探しに行こうと思い立った。スマホや頓服薬と水をバッグに入れてから準備を終えて、部屋を出ようとした時だった。
ふと、視界の端に入った自分のベッドの上を振り返って見てみると、白い猫が丸くなって眠っていた。
「えっ、いる…。めちゃくちゃ普通にいるじゃん…。」
俺の心配を返せと項垂れる晃に対して、白い猫はクワッと欠伸をすると、いつも通り「にゃあ」と鳴いた。
晃がメリーゴーランドの前に項垂れたまま着くと、それを見た朔が心配して駆け寄って来る。
晃の隣に立膝をついてその場にしゃがみ込むと、右手で背中をさする。
「晃、どうしたの?大丈夫?」
「…朔!俺、めちゃくちゃ心配したんだからな!」
「えっ…?どういう事?」
「あ、悪い…、こっちの話。」
困惑した表情を浮かべる朔に、白い猫の事はまだ黙っておこうと晃は思った。
自分の不用意な一言で、朔との大切な時間が消えてしまっては辛いどころの話では無い。
晃は、一瞬一瞬を大切にしていきたかった。
「そう…?それならいいんだけど…。」
「おう、ごめんな。俺の勘違いだったわ!」
「…わかった。」
それ以上は何も聞いてこない朔との距離感が心地よかった。
だからこそ、晃自身が告白する事で、この二人の居心地の良さを壊したくはなかった。
朔は赤い飾り紐のピアスを揺らしながら立ち上がると、晃の顔の前に手を差し伸べる。
晃はその手を取ると立ち上がり、メリーゴーランドに向かって先に駆け出した朔の手に引っ張られるように、一緒に駆け出した。
止まっているメリーゴーランドのカボチャの馬車に乗り込むと、晃はずっと胸に引っかかっていた事を朔から聞き出そうとすると、ゴウン、と大きな音を立ててメリーゴーランドが回り始めた。
「なあ、朔。陽葵から聞いた話なんだけど、炭酸の飲み物飲まないって本当か?」
「…あははっ!真剣な顔をしてるから、何を言い出そうとしてるのかと思ったら…。んふふっ、そんな事かぁ。」
「そんな事って…。ラムネとかコーラとか子供の頃から一緒に飲んでただろ?朔の嫌いな物だったらどうしようかと思って、ずっと心配だったんだぞ!」
「ごめんごめん。…僕の家、母さんが炭酸ジュースとか積極的に飲ませようとしなかったんだよね。そんな時、晃が誘ってくれた祭でラムネとコーラを飲んだ時、口の中がパチパチシュワシュワ弾けて何だこの飲み物は!ってかなり衝撃的だったよ。」
ニコニコ笑いながら話す朔に晃は見蕩れていた。好きだと喉まで出かかって、その言葉は唾と一緒に飲み込んだ。
「すっ…、朔がラムネとコーラが嫌いじゃないなら良かったよ…。」
「す?…まあ、うん。晃の好きなものは、僕も好きになりたいから。それに、今までもそうだけど、晃がお供えしてくれたラムネ以外、僕飲んでないよ。」
「あ、おお…うん。」
「そこはちゃんと返事してよ、晃。」
朔からの殺し文句のオンパレードで、晃は卒倒しそうだった。
好きという気持ちは心が温かくなって、朔と付き合えたら、どれだけ幸せな事だろう。
でも同時に、それは叶わぬ夢だと苦しくもあった。
「…好きになってくれて…ありがとう?」
「んふふっ、何その返事面白いね。」
「あ、いやっ飲み物の事な!」
「…わかってるよ。」
寂しそうに眉を寄せる朔を見て、晃は朔の頭をポンポンと優しく撫でる。
すると次第に笑顔を取り戻す朔を見て一安心した晃は、勢いに任せて朔の額にキスをした。
「……えっ?」
「えっ?」
「…い、いきなりどうしたの?」
「うわ、ごめん朔!俺何してんだマジで。」
晃は自分の右手で額にキスしたところを拭おうとすると、朔に両手で止められる。
「朔、ばっちぃから拭いた方がいい!」
「ばっちぃかばっちくないかは、僕が決めることだよ!」
「…わ、わかった。」
朔の勢いに押されて手をどける晃は、恥ずかしそうに口元を覆いながら回る景色の中で窓の外を眺めていた。
「ねえ、晃。」
「ん?どうした?」
「…もしも僕が生きていたら、今も晃の隣でこうして笑いあっていたのかな。」
「…当たり前だろ。朔は俺の唯一の理解者で、…親友だからな。」
「……そっか。ありがとう。」
晃の返事を聞くと、朔は下を向いて晃にバレないように泣いていた。
晃は晃で朔から顔を逸らし、静かに涙を流した。
ゆっくりとスピードを落として止まったメリーゴーランドは静寂に包まれていて、朔が鼻をすする音が聞こえた晃は驚いて朔の方を見る。
朔が泣いているのを見るのはこれで三度目で、この世を去る一年前の夏休みに、晃の家に遊びに来た朔と一緒に「千と千尋の神隠し」を一緒に見て、朔が泣いていたのを晃は思い出した。
ああ、そうだ。このメリーゴーランドで流れているあのピアノの曲は「いつも何度でも」だった。
「なあ、朔。もう少し長く一緒にいないか?」
「…っ、いいよ。メリーゴーランド何周しようか。」
「朝日が昇るまで!それと、このメリーゴーランドで流れてる曲の事、思い出した。」
「本当?じゃあ、周りながら昔話でもしようか。」
「ああ。」
二人は涙を拭うと顔を見合せて笑い合い、あの夏の日の事を話し始めた。
朔はあの日、自分の叶わぬ恋を映画と重ねて見ていたのだろうか。
しばらくメリーゴーランドに乗っていると、晃は突然、咳が止まらなくなった。
朔は重たく苦しそうに息を吐き出す晃の背中を左手でさすり、右手を首や額、頬に手を添える。
「…朔の手、冷たくて気持ちいいな……。」
「…晃は、こちらの世界の空気を長く吸いすぎちゃったみたいだね。僕も晃と長く一緒にいたくて、それで苦しい思いをさせてごめん。」
晃は薄れゆく意識の中、自分の両頬に朔の手が添えられると、その冷たさが心地好くて目を瞑った。
優しく唇に落とされた口付けに晃が気付くことはなく、カボチャの馬車の中にいた二人の頬と前髪を風が優しく撫ぜるように吹くと、擽ったそうにした朔は晃から唇を離し、朝焼けの空を流れていく雲が風に運ばれていく姿をそっと見上げていた。
朔が白い猫に変身すると「にゃあ」と鳴き、元の世界へと晃を見送った。
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