九月十一日 昼
晃は昼過ぎに目を覚まし、陽葵にどうやって謝るべきか悩んでいた。
メッセージアプリの陽葵とのトーク画面を開いて、過去のやり取りをぼーっと眺めながら、何度もスクロールを繰り返す。
悩みに悩んだ晃が思いついた言葉は、「チョコバナナパフェ生クリーム増し増し食べに行かね?」「十五時半頃、いつものカフェで待ってる。」だった。
陽葵に二回に分けて送信して充電器にスマホを繋げてから、晃はシャワーを浴びに一階へと降りた。
マナーモードにしていた携帯が振動し、晃のスマホの画面には、陽葵から送られてきた可愛いクマが了解と敬礼をしているスタンプの通知が届いていた。
晃が陽葵からの通知に気付いたのは、自室で着ていく洋服を選んでいる時に、スマホで時間を確認した時だった。
返信をもらえて安心した反面、陽葵を待たせる訳にはいかないと、急いで部屋着から着替えて鞄にスマホと財布を投げ入れると、慌てて部屋を出た。
晃が駅前のカフェに着くと、陽葵はまだ来ていないようだった。
「いらっしゃいませ」と声をかけてきた店員に晃は注文をする。
「今日はソーダと、チョコバナナパフェの生クリーム増し増しで。あ、パフェなんですけど、あとから一人来るのでその時に出してください。」
「かしこまりました。お席はお好きなところにおかけください。」
店員が厨房に下がり、晃はソファー席のあるカフェの真ん中の席に座ると、店員がすぐに水色のグラスに入ったソーダとお冷を持ってきた。シュワシュワと音を立てて弾けるソーダを、晃はぼんやりと見つめて、朔との会話を思い出していた。
「ソーダとラムネって何が違うんだろうね?」
朔の問いかけに飲んでいたラムネの瓶から口を離し、ポカンとした表情を浮かべる晃。
「え?」
「あれ、聞こえなかった?」
「いや、聞こえてたけど…。」
「晃はどう思う?違いはなんだと思う?」
「うーん?どっちも瓶に入ってたりするしなぁ…。うーん…、さっぱりわからん!…けど、どっちも美味い。」
「あはは!確かにそうだよね!」
駄菓子屋の隣のブロック塀に寄りかかり、ラムネの瓶が夏の日差しを反射して、朔の笑った顔がいつもよりキラキラと眩しく見えた。
晃もずっと昔から、朔の事が好きだったのだ。
朔が自分の家に来たら、好きだと伝えようとした八月三十一日。
生温い血溜まりの中で、冷たくなっていく好きな人。
一人取り残されたような感覚に陥った自分。
真っ赤に染った自分の両手と学生服は、何度洗い流しても朔の血が落ちていないように思えて、気が狂いそうだった。
そこまで思い出してカフェの中で冷や汗と体の震えが止まらなくなり、晃はソーダと一緒に提供された水で頓服薬を一気に飲み込むと、そこでやっと上手く呼吸ができた気がした。
カランコロンとウッドベルが鳴る音がして、カフェの入口の方に晃が目を向けると、そこには陽葵が立っていた。晃は右手をあげて陽葵に合図をすると、気づいた陽葵が小走りでこちらに向かってきた。
「あれ?晃くん、今日はコーラじゃなくてソーダ飲んでるの?」
珍しいと、席に着くなり前のめりになって聞いてくる陽葵。
「…ああ、うん。陽葵が来る前に先に注文しておいたから、陽葵のチョコバナナパフェもそのうち運ばれてくると思う。」
「ありがとう。」
陽葵がニコニコと笑顔を見せてくれた事に、晃は内心ホッとしていた。
このまま自分一人でいたら、どうなっていたのか、正直なところ晃にはわからなかった。
まだ晃の心臓は激しく鼓動を繰り返していて、手汗が止まらずどうにも落ち着かなかった。
早く頓服薬が効いて欲しいと願っていた晃は、パフェが運ばれてくるまでの間、陽葵に対して会話をどう切り出そうかとタイミングを見計らっては目線を外したり、口を開きかけては閉じるという事を数回程繰り返したところで、店員が「お待たせしました」とチョコバナナパフェの生クリーム増し増しを運んで来た。
「わーい!ありがとう、晃くん!」
「どういたしまして。」
陽葵がパフェを口に運び「美味しい」と笑っている顔を見て、頓服薬も効いてきたのか晃もようやく上手く笑えるようになってきた。
「陽葵、あのさ…。」
「ストップ!美味しいものを食べてる時に、謝るなんて事しないでよね。」
意を決して話し出そうとした晃の顔の目の前に左手を出して、陽葵は頬を膨らませる。
「えっ、いやでも、俺はこの間の事を謝りたいと思ってて…。」
「この間?何の話をしてるのか、さっぱりわかんない。」
「えっ…。」
「私はお兄ちゃんに酷いことをして、晃くんに正式に振られた。それだけ。」
パフェを口に運びながら淡々と話す陽葵に驚いて固まる晃は、用意していた言葉が全て頭の中から飛んでしまった。
「晃くんは何も悪い事してないんだから、謝らなくていいの。はい、この話は今日でおしまい。わかった?」
「…わかった。」
「よろしい。」
ふふん、と笑った陽葵に対して、渋々頷いた晃は、朔といつも座っていた窓辺の席に視線をやると、朔の学生鞄につけていた鈴の着いた赤い飾り紐のストラップの事を、ふと思い出した。
小学五年生の移動教室の時に、宿泊施設までお土産屋さんが出向いて、販売しに来てくれた簡易ショップの端の方に置いてあった鈴の着いた赤い飾り紐のストラップ。
少ない小遣いの中から捻出したお金で、晃が朔にプレゼントしたものだった。
朔はとても喜んでくれて、一生大切にすると言ってくれた。
「なあ陽葵、朔がいつも鞄につけてた、鈴の着いた赤い飾り紐のストラップ覚えてるか?」
「ああ、うん。晃くんがお兄ちゃんにプレゼントしたストラップでしょ?納棺式の時に一緒に棺の中に入れたよ。」
「おお…。そうだったのか…。」
「今思えば、晃くんにお兄ちゃんの形見として渡せば良かったよね…、私そこまで気が回らなくて…。ごめんね晃くん。」
「いや、陽葵は謝らなくていいよ。一緒に棺の中に入れてくれてありがとうな。」
寂しそうに笑う晃は一瞬ハッとしたような表情を浮かべて、あの白い猫の首輪を思い出した。
「鈴の着いた赤い飾り紐…。」
「晃くん、ストラップの事がそんなに気になるの?」
チョコバナナパフェの最後の一口を口に運ぶ陽葵は不思議そうに晃を見てから、テーブルに置いてあった紙ナプキンで口を拭く。
「ご馳走様でした。」
「陽葵、何度も聞いて申し訳ないけど、納棺式の日に本当にストラップを棺の中に入れたんだよな?」
「え、うん…。だってストラップを入れたの私だし…。」
陽葵の話を聞き、何度も頷く晃は確信を得たように、白い猫の正体はやはり朔だったのかと思った。
「まーたお兄ちゃんの事?今目の前にいるのは私なんだけど。」
「えっ、ああ…ごめん。」
「全くもう…。あ、そうだ晃くん。私別に甘いもの好きじゃないよ。」
「えっ!?」
「どちらかと言えば、辛いものとかしょっぱいものの方が好き。」
「じゃあ、なんで今までチョコバナナパフェなんて食べたりしてたんだ…?」
目をぱちくりさせて驚く晃に、陽葵は大袈裟にため息をつくと腰に両手をおき、呆れたように晃を見る。
「そんなの、晃くんに可愛いって思われたいからに決まってるでしょ。」
「えっ、ああ…そっか…、うん。」
「何よ、その反応。実際に可愛かったでしょ?」
「……うん。美味しそうに食べてる陽葵の姿が、可愛かった。」
「っ…、だから、今度誘う時はしょっぱいもの食べる時にしてよね。」
少し考えてから返事をした晃の真っ直ぐな瞳が陽葵の心を射抜く。
陽葵は泣きそうになるのをぐっと堪えて、下を向きながらテーブルに手をついてソファーから立ち上がる。
「陽葵?」
「晃くん。私、もう帰るね。」
「えっ、じゃあ家まで送るよ。ちょっと外で待っててくれ。」
「ううん、いい。一人で帰る。じゃあね、晃くん。」
そう言うと陽葵はパフェの代金をテーブルの上に置き、一人カフェを出た。
店先で瞳からボロボロとこぼれ落ちてきた涙を何度拭っても、溢れて止まらなかった。
陽葵が心の底から好きな初恋の人は、少し鈍くて、でも笑ってしまう程正直で、真っ直ぐな人だった。
陽葵はメッセージアプリを開くと、友人に「今夜はヤケ酒に付き合って」と連絡を入れた。
一つ大きく伸びをすると、陽葵は前を向いて歩き出した。
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