九月十一日 深夜
晃は昼間に陽葵を泣かせてしまった事を、冷静になった深夜の今、後悔している。
もっと冷静になるべきだった、もっと他に言い方があったんじゃないかと、ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打つ。
「…っだあー!もう!」
そう言うとベッドから起き上がり、両頬をバチンッと叩いて、晃は陽葵の事を考えるのを一旦やめる事にした。
自分でも最低だとは思うが、今は朔の事に集中したい。
ふぅ…と息を吐き出すと立ち上がり、デスクの引き出しの中に大切にしまっておいた朔と色違いの青と黒色の飾り紐のついたピアスを取り出して、自室にある全身鏡を見ながら耳につける。
あえて髪の毛はノーセットのままで、捨てずにしまっておいた夏の学生服に袖を通す晃。
これであの赤い色の飾り紐のついたピアスを朔に渡し、制服で行く夢の国とまではいかないが、朔とメリーゴーランドに一緒に乗れば、これも一つの思い出になるだろう。
「でも、さすがに俺が制服着てるとコスプレ感はあるよな…。」
晃が照れながら全身鏡の前に立っていると、白い猫がローテーブルの上に座っているのが見えた。
「うわっ!?びっくりした…。あ、待ってくれ!まだ鳴かないで!」
急いでローテーブルの上に置いていた赤い飾り紐のついたピアスを手に取り、猫の前に晃が立つと白い猫は首を傾げる。
「ん?ああ、今日はこの服でいいんだ。…ちょっと恥ずかしいけどな。」
白い猫は毛繕いをした後に「にゃあ」と鳴いた。
今回は予め瞳を閉じていた晃は瞼に眩しい光が当たっているのが分かり、片目から薄く目を開けて、メリーゴーランドの眩い光を徐々に慣らしていった。
「晃。」
「よお、朔。悪いんだけど、目が慣れるまでもう少し待ってくれ…。」
「んふふっ。わかった。」
昼間の陽葵とのやり取りがあったからか、自分の気持ちを自覚してしまい、晃は変にソワソワとしてなんだか落ち着かない。
「どうしたの晃?…って、あれ?もしかして制服着てる?僕とお揃いだね!」
そう言って表情を明るくする朔に、晃が照れて顔を逸らした時に、暗闇で揺れる青と黒色の飾り紐のついたピアスを朔が見つける。
「今日は、僕が選んだピアスまでしてるの?嬉しいな!」
喜ぶ朔に一瞬浮かれそうになった晃だったが、バチバチと右頬を叩き左手に持っていた赤い飾り紐のついたピアスを朔に見せる。
「……これ。」
「えっ…、僕のピアスをどうして晃が持ってるの?」
「陽葵から返してもらった。」
「……そう、陽葵から…。じゃあ晃は、あのお祭の日に言った言葉が嘘だったって、わかっちゃったんだ。」
朔の言葉に小さく頷くと晃は頭を下げる。
「えっ、何?どうしたの?」
「ごめん、その事で陽葵を泣かした。」
「晃、謝る相手は僕じゃなくて陽葵でしょ?」
「陽葵にも、もちろん謝る!だけど、朔の大事な妹を泣かせたし…。」
「いいよ、気にしないで。僕もこの件に関して、陽葵を許すつもりはないから。」
朔の冷たい笑顔を初めて見た晃は、ブルブルと震えて冷や汗をかいた。
朔を怒らせてはならないと、改めて肝に銘じた。
「あ、あのさ、朔。」
「うん。何?」
「そのピアス、俺が朔につけてもいいか?」
「いいの?じゃあ、お願いしようかな。」
朔から赤い飾り紐のついたピアスを受け取ると、晃は震える手で朔の耳に触れる。
朔が目を閉じてじっとしている姿に晃は胸がうるさく高鳴って、耳に心臓がついているのかと思うくらい、自分の心音が耳の中でこだまする。
晃が何とか両耳に赤い飾り紐のついたピアスをつけ終わると、深く息を吐き出した。
呼吸をするのも忘れるくらい、真剣になっていたらしい。
「んふふっ。緊張しすぎだよ晃。こういう時は、思い切りも大事だよ。」
「いやいや、前もそうだったけど無理だって!」
二人は目を合わせて笑い合うと、ゆっくりと歩きながらメリーゴーランドに向かった。
何を話すわけでもなく、ただ二人、同じ歩幅で歩くだけでも幸せだった。
メリーゴーランドの前に着くと、二人を待っていたかのようにゆっくりと動きを止めた。
二人はカボチャの馬車に乗り込むと、少し経ってからゴウン、と音を立てて再び周り始めたメリーゴーランド。
これに乗る事が出来るのも、あと残り二回くらいか。
窓の外を眺める晃の気持ちを感じ取ったのか、朔は馬車の中の雰囲気を明るいものにする為に、内緒で持っていたバスタオルを自分の太股と晃の太股にも乗せるように広げた。
朔の行動の意図が分からず思わず「朔、寒いのか?」と尋ねた晃。
「違うよ、見覚えない?このバスタオル。」
晃の発言に思わず吹き出して笑った朔が質問すると、顎に手を置いて考え込む晃。
「…シュークリーム雲のタオル…?夏の空の色のタオルでいいな、これ。」
「んふふっ…。母さんが僕の納棺式の時に入れてくれたんだ。だから僕が今持ってるんだよ。」
「…ああ…、そうだったのか。」
「晃、は…いなかったから、知らないよね…。」
「…まあな。朔のお母さんに許して貰えたとは今も思ってないけど、裁判以降、少しだけ挨拶とかして貰えるようになったよ。」
「…そっか。」
「うん。」
スピードを早めたメリーゴーランドの中で、二人の沈黙が続く。
暗い雰囲気が続く中で、朔はバスタオルを見て会話の糸口が何かないかと考える。
「あ、晃。僕がこのバスタオルの色が抜けちゃって、泣いた事覚えてる?」
「ん?おお。多分…?」
「ふふっ。シュークリーム雲のバスタオルが出来る直前に、実はお昼に食べたケチャップたっぷりのオムライスをタオルの上に落としちゃって、それで広範囲に染みが出来ちゃったんだよね。」
「あ!俺、その場にいたな。確か朔が冷房が寒いってひざ掛けで使ってたんだよな。」
「そうそう。それで急いで母さんが浸け置きして染み抜きしてくれたんだけど、一緒にタオルの綺麗な水色まで落ちちゃって、それで出来たのが、この夏の空色バスタオル。」
うんうん、とあの日と同じ様に頷く晃を見て、変わらないなと朔は感じたのと同時に、晃は忘れてしまったんだと思い、十年以上前の話だから無理もないかと寂しい気持ちにもなった。
「ねえ、お母さん!元に戻して!!」
「朔、ごめんね。また新しいタオル買ってくるから。ね?」
「嫌だ!このバスタオルがいいの!」
泣いて駄々をこねる朔を初めて見て、驚いた晃が大きな声で言う。
「夏の空色タオルだな!」
「…え?」
涙を流しながら晃を見つめる朔に、元気を出して欲しくて一生懸命大きな声を出す晃。
「俺こっちの方が好きだ!この真ん中がシュークリーム雲で、この端の方は、一緒に流れて行く雲だな!」
うんうん、と力強く頷く晃に泣いていた朔は涙が止まり、もう一度バスタオルを見る。
「…本当だ、シュークリーム雲だね。」
「だろ?世界に一枚しかないタオルなんて、超かっこいいじゃん!」
ニカッと笑う晃を見て、あれだけ泣いていた朔もつられて一緒に笑う。
朔が晃の事が好きだと気が付いたのは、その時だった。
「なんだか、あの日みたいだね。」
朔は隣に座っている晃を盗み見て、楽しかった過去を一人思い出すように言った。
「あの日?」
「うん。」
「…あ〜、世界に一枚しかないタオルって言った時か!」
朔に言われてから数秒経ち、晃は思い出したようにバスタオルを両手で広げて、過去を懐かしむように見ていた。
晃が覚えていた事に朔は驚いて目を見開くと、その顔を見た晃が笑い出す。
「なんだよ朔。その顔!朔との事は、大抵の事ならなんだって覚えてるって!」
「そ…そうなんだ…。」
「おう。驚いた?」
頷く朔を見て、まだ笑っている晃。
心の奥の方があたたかくなっていくのを感じ、今すぐ晃に好きだと伝えられたら、どんなにいいかと朔は思った。
メリーゴーランドがゆっくりと止まり、朔が晃の方を見るとバチッと目が合い、そのままの勢いで二人ともそれぞれ違う方向に顔を逸らす。
「ご、ごめん晃。」
「いや、こっちの方こそ…。」
朔が動く度に揺れる赤い飾り紐のついたピアスを見て、やっぱり朔には赤が似合うと感動していたなどと、口が裂けても言えない晃。
「晃!やっぱり晃には、青と黒色のピアスが似合うよ!…また明日ね。」
晃の気持ちを知ってか知らずか、消える直前に朔は声を掛けてきて、晃が何か返事をする前に消えてしまった。
「……それはずるいだろ。」
顔を両手で覆って下を向いた晃は、喜びと幸せで胸がいっぱいだった。白い猫が近付いて来た事にも気付かずに舞い上がっている晃に、白い猫は「にゃあ」と鳴いた。
目の前が突然グニャリと歪んだ晃は驚くと、白い猫と目が合う。
どんどん薄れていく視界の中で今になって初めて見えた月が薄ぼんやりと光っていて、そのまま体を闇にあずけるようにして晃は目を閉じた。
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