九月九日 深夜
いつも不意をついて現れるのが良くないんだよな。
行き方も帰り方だって雑だし。
内心悪態をつきながら、晃は白い猫が現れるのをリビングのL字型のソファーの上で寝転びながら待っていた。
ぼーっとしながら天井を見上げていると、突然ドッと何かが腹の上に落ちてきて、思わず晃の口から出た唸り声。
晃は腹部に重さと痛みを感じたが、確認するまでもなく見えたのは白くて長い前足だった。
「猫…ごめんってば…。」
晃の言葉を無視する様にそっぽを向き、腹の上で丸くなる白い猫。
「え…?今日は連れて行ってくれないのか?」
白い猫の眉間の辺りを撫でながら、不安そうに確認する晃を一瞥し、腹の上からテーブルの上に飛び乗る白い猫。
「ぐっ…本当にごめんな…。」
お腹をおさえてソファーから立ち上がり、再び謝る晃をジーッと見つめる白い猫は「にゃあ」と鳴いた。
メリーゴーランドの前に着いた瞬間、あまりの眩しさに晃は目を逸らし、目を少しづつ慣らしていくように手で正面を隠しながら、片方ずつ目を開けていく。
瞬きを数回繰り返していると、晃の目の前に心配そうな顔をした朔が立っていた。
「晃、大丈夫?」
「…朔……。」
「どこか痛いの?」
朔の柔らかい声を四年ぶりに聞いた晃は、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「晃」と呼ばれた次の瞬間、朔の右腕を引っ張って晃は泣きながら強く抱き締める。
「朔…朔っ…!」
「苦しいよ、晃。」
赤子のように泣きじゃくる晃の背中に、朔はそっと腕を回し優しくさする。
ああ、やっと晃とこうする事が出来た。朔は晃の腕の中に擦り寄り、晃の心音を感じた。
それと同時に朔は、もう一生動く事はない自分の鼓動にどこか虚しさも覚えていた。
晃が落ち着いたタイミングで、カボチャの馬車の形をした乗り物に乗り込む二人。
肩が触れ合う程の広さの二人がけのカボチャの馬車は、ゴウンと大きな音を立ててゆっくりと回り始めた。
隣で鼻水をすすりながら、朔を見る度に涙目になっている晃に「今晃は何をしているの?」と朔は優しく声をかける。
「い、今は…その…。」
「うん。」
「あー…えっと、朔本人に言い難いというか…。」
「悪いことでもしてるの?」
疑いの眼差しを向ける朔に、首と両手をブンブン振りながら必死に否定する晃を見て朔は笑ってしまう。
「あははっ、晃が悪い事するなんて最初から思ってないよ。」
「なんだよ、めっちゃ焦ったわ。……あのさ、俺朔が死んでから、鬱病とPTSD(心的外傷後ストレス障害)って診断されて、通院したり入院を何度か繰り返してるんだよ。」
「それは、その…ごめん。長い間、僕が晃を苦しめてるんだね…。」
「違う、朔が謝る事じゃない!今は薬を飲んでるから気持ちが安定している時の方が多い。むしろ、入院してたからその期間中、ずっと墓参り行けなくてごめん。」
「薬を…そう。…そうなんだね。晃、お墓参りの事は気にしなくていいよ。…父さんと母さんは来てくれていたし、それから陽葵も、たまに来てくれたりしてたから。まあ、晃ほどじゃないけどね。」
楽しそうに話す朔を見て、ほっと胸を撫で下ろす晃。
「それこそ、今日…あ、もう昨日か。診察の日でさ、昼間に病院に行ってきたんだよ。」
「へえ、そうだったんだね。」
朔に病院での入院生活や通院している事をぽつりぽつりと話しているうちに、昼間の帰り道の事が脳裏に過った。
朔の願いの一つくらい面倒くさがらずに叶えてやればよかったと、今更ながら酷く後悔している事を思い出した晃は、朔に自分の気持ちを話す事にした。
「俺、入院中に患者さん同士と看護師さんとでっかい分厚い窓のある部屋から花火大会を見てさ、朔が誘ってくれたあの日、一緒に現地で花火を見なかったことをすごい後悔したんだよ。」
「…どうして?」
「どの花火を見ても、隣に朔がいてくれたらなって考えてばかりでさ。思わず話しかけようとして振り向いた右隣が空いてるのが寂しくて。最後の特大花火が打ち上がって散って消えていった瞬間に、何かが全部終わったような気がして、気が付いたら泣いてた。」
分厚い窓ガラスの向こうに咲いて散っていく花火の音は、子供の時に二人で観に行った花火大会のように心臓が震えるような音を響かせることはなく、祭を終えた後に飾られている太鼓山車を親に抱えられた小さな子供が叩いているような、そんな小さな音しか聞こえてこなかった。
それが却って、晃の心の奥の方にしまっていた気持ちを溢れさせたのかもしれない。
「朔からしたら今更されても困る話だと思うけど…。」
「ううん、そんな事ない。覚えてくれていただけでも、僕は嬉しいよ。」
朔の言葉を聞いても尚、肩を落としている晃に「じゃあ、最終日は花火でも打ち上げてもらう?」と晃の辛そうな横顔を覗き込んだ朔はふふっと、いたずらっぽく笑いながら晃に提案した。
晃はその言葉に、パッと目を輝かせるように朔を見る。
朔は晃のその表情を見るのが好きだった。
「そんな事できるのか?」
「さあ?どうなんだろう。僕にもわからないや。」
「…なんだよそれ。」
お互いの目を見てどちらともなく吹き出すと、二人は自然と笑みがこぼれた。
「あ、花火で思い出した。…ねえ、晃。」
「ん?」
「僕、瓶のラムネが飲みたい。」
「ラムネ?」
「いつも売ってたら一緒に飲んでたでしょ?だから、お願い!」
「おお、…わかった。明日の夜までに用意しておく。」
顔の前で片手でお願いとポーズを取る朔が、学生時代には無かった可愛さを備えていて、兄弟がいたら、こんな感じで何でも買ってあげたくなるんだろうなと晃は思った。
「んふふ。ありがとう、晃。」
二人の会話が終わるのを待っていたかのように、メリーゴーランドが大きな音を立てて止まり、朔はこちらに笑顔を見せて手を振ると、静かに消えていった。
いつの間に晃の足元にいたのか、白い猫が「にゃあ」と鳴いた。
グニャリと歪む視界の中で、晃は暗闇の中に落ちていく感覚と一緒に静かに瞼を閉じた。
三日目の夜が終わろうとしていた。
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