九月八日 深夜

二日続けて二階の窓から落ちるという体験をするのがさすがに怖かった晃は、二十三時五十八分頃に暗いリビングの窓を開けて、縁側に座って白い猫を待つ事にした。

「さあ、いつでも来い!」

晃が小声で決意をしながら胡座をかいて太ももを叩き気合いを入れると、いつの間に隣にいたのか白い猫がこちらを向いて座っていた。

「うわっ!!あっ…!シーッ、シーッ!!」

深夜に大きい声を出したのは晃自身の方なのに、白い猫を抱き抱えて急いで部屋の中に入り、窓を閉める。

窓に背を預けて「ふぅ…」と吐き出した息と、バクバクと激しく動くやたらと大きい心臓の音が自分の耳に届く。

「近くに住んでるおじさん、子供の頃から怒ると怖いんだよ…。」

「誰だ騒いでる奴は」と、遠くの方で聞こえてきた声に肝を冷やした晃をよそに、抱き抱えられた白い猫は不満そうな声で「にゃあ」と鳴いた。

晃が瞬きをした間に、初日と同じ眩く光り輝いているメリーゴーランドの前に来ていた。

ただ、背中を預けていた窓が無くなったせいで晃はその場で思い切り尻もちをついた。

「痛え…。」

手に付いた地面の砂粒を両手を叩いて払い落としていると、目の前に右手を差し伸べられる。

「おお、ありがとう…って、朔!」

手を差し出した朔は頬笑みを浮かべている。

晃は朔が差し伸べてくれた手を嬉しそうに掴むと、グッと腕に力を入れて引っ張ってくれた朔の力を借りながら立ち上がり、履いているパンツの上からついてしまった地面の砂粒を手で払い落とす。

晃も手や足の反動を使って立ち上がってはいたものの、朔の白くて細い腕のどこに自分を引っ張りあげてくれるような力があるのか、不思議でしょうがなかった。

「俺の事を心配してこっちまで来てくれたのか?…ありがとな、朔。」

晃の言葉を聞いて逆光の中で微笑む朔が、メリーゴーランドの方へと向かおうと背を向けると、突然四年前の事故が起きる直前の朔と重なって見えた晃は、夢中で朔の左腕を掴み下を向きながら震えた声で伝える。

「お願いだから、もう俺を置いて行ったりしないでくれよ…朔。」

この時だけでもいい。少しでも長く一緒にいたい。晃のせめてもの願いだった。

下を向いている晃の頭に朔は右手を置くとわしゃわしゃと頭を撫でる。

「うわっ!?ちょ、ちょっと待ってくれ朔!」

朔に会うために髪の毛をセットしていた晃は、これ以上髪型を崩されてしまっては、格好をつけた意味が無くなってしまうと、朔の右腕を掴んで動きを止めさせた。

一方で朔は両腕を掴まれたまま一瞬キョトンとした顔をしていたが、顔を上げた晃と目が合い、いたずらっぽく微笑むと掴まれた腕はそのままに、メリーゴーランドまで走り出した。

二人がメリーゴーランドの前まで来ると、晃は朔の腕から両手を離した。

朔が一瞬寂しそうな表情をしたようにも見えたが、晃が朔の方を見ると小首を傾げながら微笑んでくれた。

「あ、いや…。なんでもない。」

晃の言葉を聞いた朔は不思議そうに頷くと、回転を止めたメリーゴーランドのピンクの鬣の木馬に乗り、晃はすぐ隣の緑の鬣の木馬に乗り込んだ。

ゴウンと大きな音を立てて、メリーゴーランドがゆっくりと回り始めた。

しばらく無言のままの二人だったが、晃が何かを思い出したのか朔に話しかける。

「朔の乗ってるピンクの馬で思い出したんだけどさ、中学生の時の修学旅行覚えてるか?あの時、お土産屋さんで赤い飾り紐のピアスを見つけて、朔の耳朶にあてがって似合うって言ったやつ。」

朔はこちらを見て嬉しそうに微笑むと、何度も頷いていた。

「俺には朔が選んでくれた、青と黒の二色の飾り紐のピアス。今でも大切に持ってるよ。お互いに買ってプレゼントしあったもんな。あ!そうだ、高校生になってお互いの耳朶にピアスを入れる為の穴を開けたのも、俺ものすっごい手が震えたの覚えてる。朔はあっさり開けてくれたけどさ。」

朔に怪我をさせてしまったらどうしようかと晃は手汗が止まらず、結局見かねた朔が「晃。こういうのは、思い切りも大事だよ。」そう言うと自分で耳朶に穴を開けていた。

少し痛そうにしていた朔の横顔と、白い手で指が細長くて綺麗だった事を晃は今でもよく覚えている。

「二人で浴衣着て、お揃いの飾り紐のピアスつけて祭行ったのも楽しかったよな。やっぱり朔には赤が似合うなって思った。」

目を細めて懐かしさに耽ける晃に、朔はトントンとピンクの鬣に指をさす。

「ん?ああ、そうそうピンクな。あの時、陽葵も同じ班で一緒にいただろ?俺たちの話を聞いてたらしくて、俺に凄い勢いで近寄って来て、ねえねえ晃くん!こっちとこっち、どっちが似合う!?って俺たちと同じ種類の飾り紐のピアスを持って聞いてきたんだよ。」

それまで微笑んでいた朔は、不意をつかれたかのように驚いた表情を浮かべて目を見開く。

「いや、朔とだけお揃いのものを買う予定だからって断って、手近にあったピンク色の花がモチーフの可愛いイヤリングを勧めたんだよ。可愛いそれが陽葵に似合うって言い続けてたら、不満そうな顔してたけど、大人しくそれを買いに行ってた。」

笑いながら話す約束を守ってくれた晃を嬉しく思う反面、どこまでも邪魔をしてくるような陽葵に対して、内心舌打ちをした朔だった。

晃がふと朔の方を見ると、瞳の中に憎しみと悲しみを併せ持ったような遠い目をしていた。

「朔」と声を掛けようとしたタイミングで、大きな音を立てて動きをゆっくりと止めたメリーゴーランド。

朔がこちらを振り向く事なく消えていくのを、手を伸ばして捕まえようとしたが、晃の伸ばした手は一歩遅く朔はそのまま消えていった。

「朔に話さない方が良かったかな…。」

独り言を呟いた晃が夜空を見上げると、半月から少しだけ欠けた月が浮かんでいた。

晃の足元で丸くなっていた猫が、小さく「にゃあ」と鳴いた。

だんだんと重くなっていく瞼を閉じながら、晃はとても寂しい夜だと思った。

二日目の夜が終わっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る