九月七日 昼

太陽が完全に昇きり下弦の月が西の空に沈んだ頃、晃はハッと目が覚めて、自室のベッドの上から飛び起きる。

晃は自分の顔や体を触ると、どこにも怪我をしていない安堵感から胸をなでおろした。

「そうだ!陽葵に連絡!」

ほっとしたのも束の間、自分のスマホを起動しようと電源ボタンを押すと、バッテリーが無かった。

いつも自室の配線にさしてあるはずの充電コードが今日に限って見つからず、晃はボリボリと頭を掻きながら、パンツのポケットにスマホを入れると自室を出て一階のリビングに向かった。

階段を中程まで降りかけて、思い出したかのようにもう一度自室に戻ると、首元のゆるいオーバーシャツとジーンズを掴み、適当な下着を手に取ると今度こそ部屋を出た。

猫が鳴いた後の事はよく覚えていないが、昨日着ていた洋服のまま寝ていたらしく、リビングでスマホを充電している間に、着ていた洋服を洗濯カゴに放り投げてシャワーを浴びることにした。

陽葵への連絡はそれからにする事にした。

十五時頃、陽葵の職場のデスクに置いていたスマホが二回振動する。

陽葵がパソコンから一旦手を離しスマホの画面を見ると、"晃くん"という文字に心が踊る。

メッセージアプリを開くと「朔に会えた」「仕事終わったら俺ん家来て」と用件だけ送られてきていた。

驚いた表情で食い入るように画面を見た陽葵に驚いたのか、隣の席の上司が「大丈夫か?」と声を掛ける。

「あ、はい…。すみません。大丈夫です。」

上司に頭を少し下げてから、陽葵は急ぎ足で御手洗に向かった。

メイク直しの鏡の前で、震える手で口元を覆いながら陽葵はしゃがみ込む。

深呼吸をしてからもう一度画面を見ると、「朔に会えた」という文字が送られてきている。

晃に「わかった」「仕事を早めに終わらせて、晃くん家に向かうね」と陽葵が震える手でようやく返信すると、晃から謎のスタンプが直ぐに送られてきた陽葵は既読無視をして職場に戻った。

「なんだよ陽葵のやつ、既読無視かよ。」

アイスの棒を咥えながら、ソファーの上に寝転がって足を組んでいる晃。

「お!あ〜ハズレか。…ってか、なんだよ大ハズレって!初めて見たわ!」

二度見したアイスの棒に一人ツッコミを入れてから、スマホをジーンズの後ろのポケットに突っ込むように入れてソファーの上から立ち上がると、キッチンに置いてあるゴミ箱にアイスの棒を捨てて、自室に向かった。

いつの間に寝ていたのだろう。

部屋の外からドンドンと強めにドアを叩く音がする。

煩くて目を覚ますと、スマホの画面が眩しく光り、晃は目を細める。

二十一時十五分の文字が見えた。

「ちょっと、晃!もう一時間以上、陽葵ちゃんの事待たせてるわよ!」

母親の怒った声が、寝惚けた頭の中に入ってくる。

晃は真っ暗な部屋の電気を付けようと起き上がった。

ゆっくり自室の扉を開けて、また何かを言おうとしていた母親と目が合う。

「母さん、ごめん。陽葵こっちに呼んでもらってもいい?」

欠伸をしながら言うと、呆れたような顔をした母親の顔が涙で滲んで見えた。

コンコンと小さくノック音が聞こえた。

扉を開けると、下を向いた陽葵が髪の毛を耳にかける仕草をしながら立っていて、晃は謝りながら自室に陽葵を迎え入れた。

「悪い、寝てた。」

「ううん、私も結局、来るの遅くなっちゃったし…。」

「…飯食べた?」

「あ、うん。おばさんの手料理、久しぶりにご馳走になっちゃった。」

「おお、そっか。」

「うん…。」

朔のことに関して、言いたいことや聞きたいことはあるはずなのに、互いに何故か気まずい空気になり部屋の中で立ち尽くしていた。

「まあ、とりあえず座るか。」

「う、うん。」

二人はベッドを背もたれにして、陽葵は手近にあったクッションを抱き締める。

晃は、ぽつりぽつりと夜に起きた出来事を陽葵に話し始めた。

自室の窓から猫と一緒に飛び降りたが無傷だった事と、朔は何も話さなかった事。

そして、陽葵の言葉を伝えるとあっかんべーをして消えていった事。

それらを伝えると、陽葵は泣き出してしまった。

「あっかんべーしてたんだ、お兄ちゃん…。」

それは陽葵が子供の頃、朔の大事な物を隠した時や、修学旅行の時に朔に見せつけるように晃と腕を組み、数歩後ろを歩く朔に向かってした事だった。

「もう絶対許して貰えないよ。だって私、お兄ちゃんに酷い事ばっかりしてたもん!」

「そうか?…朔なら許してくれそうだけどな。」

「ごめん、ごめんね…。お兄ちゃん……。」

顔を覆ってしゃくり上げるように泣いていた陽葵を励ますように、頭を撫でる。

涙を拭いながら顔を上げた陽葵が小さく頷いたのを見て、晃は部屋の窓辺に遠くを見るように視線をやる。

双子だから、分かることもあるのだろうか。

消える直前の朔の口は「ゆるさないよ、ひまり」と動いていた。その事は陽葵には黙っておく事にし、自分の心の中だけで受け止める事にした。

九月八日の夜が段々と近付いていた。

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