九月六日 昼

晃は、自宅から歩いて数歩先にある正面の家の玄関のチャイムを鳴らす。

特に反応が無いまま二分程待っていると、家の中からダダダッと走る音がする。

バーンと音がしそうな勢いで開け放たれた玄関扉を、白くて細い腕が支えている。

「よっ、祭以来だな。」

晃の声を聞いて顔を上げた彼女を見て、思わず息を呑む。

一瞬だけその表情の中に朔が過ぎった気がして、晃は動けなくなった。

「よっ!じゃないでしょ!もういっつも急に連絡してくるんだから!」

頬をふくらませて怒っている彼女は、朔の双子の妹、渡辺陽葵だ。

「…喋らなければ、朔に似てるんだよなぁ。」

「はいはい、それは何度も聞きました!それで、これからどこに行くの?」

「まあ、着いてきたらわかる。」

「行くぞ〜」と歩き出した晃の後ろを、慌てて着いていく陽葵。

何も言わずとも車道側を歩き、陽葵の歩幅に合わせて歩く晃の横顔を見上げた。悔しくなるほど晃もかっこいい方だが、陽葵の一番は双子の兄の朔だった。

朔はとにかく優しくて、普段は絶対に陽葵に怒ったりしなかった。

過去に一度だけ、朔の机の引き出しの中に入っていた晃から貰ったという大切な物を隠した時に、陽葵が大泣きする程のすごい剣幕で怒鳴られた事がある。

その出来事以来、無断で朔の部屋に入るのを禁止された。

あれの何がそんなに大切だったのか、陽葵は未だに分からないままだった。

過去の話と言えば陽葵が思い出すのは、陽葵の高校で行われた文化祭で、晃と朔が二人揃って遊びに来てくれた事があった。

陽葵がイケメンを二人も連れて来たと、それはそれはクラスの女子達が大騒ぎになった。

陽葵が自慢げに晃と朔二人の間に入るようにして、腕を組みニコニコとしている。

「陽葵、せっかくだから学校案内してよ。」

「え〜、もうちょっとだけこのままがいい!」

「陽葵の所はアメリカンドックか〜。なあ、朔ちょっと食べていこうぜ。」

「…わかった。食べるからちゃんと案内してよ、陽葵。」

仕方ないなと折れた朔に、陽葵と晃が顔を見合せて笑い合う。

文化祭の楽しい雰囲気に、晃は落ち着きがなかった。

「ケチャップとマスタードはどうしますか?」

受付の女の子に声を掛けられた晃は、内心ドキドキしながら平静を装って「お願いします。あ、一本はケチャップのみで!」と伝えると、半券を渡されて教室の中に案内された。

机を向き合わせた二人用の座席に腰掛けると、晃の視線は華やかに飾り付けられた教室をグルっと見回す。

「晃、ケチャップだけにしてくれてありがとう。」

「お?おお、朔マスタード苦手だもんな。」

「んふふっ、今日の晃は何だか落ち着きがないね。」

「…まあ、確かにそうかもしれないな。」

朔に核心を突かれ、恥ずかしそうに答えてから、半券と一緒に渡されたカップに入ったコーラを一口飲むと、気持ちを落ち着かせるように短く息を吐く。

「お待たせしました〜!はい、こっちが晃くんで…。こっちがお兄ちゃんの分ね!」

緩く巻いたツインテールを揺らしながら、陽葵がお盆の上に置いたアメリカンドックを運んで来た。

「お、ありがとう。陽葵。」

「ありがとう。陽葵。」

「はーい!どうぞ、召し上がれ。」

晃が大きな一口で口に運ぶと、サクサクフワフワの甘みのある生地が何とも美味しい。

晃は、あっという間に食べ終わってしまった。

朔はというと、半分を食べ終えた位だった。

「あ、朔。ゆっくりでいいからな。」

「うん、ありがとう。」

「晃くん、食べるの早すぎるんだよ。もう少しゆっくり食べたらいいのに。」

「はいはい、次からそうします〜。」

「絶対しないじゃん!」

三人で笑いながら話していると、クラスの女子に「あの…。」と、おずおずと声を掛けられる。

「この後、陽葵も一緒にカラオケとか行きませんか?」

「えー!行きたい!」

「…カラオケ?あ、うーん。俺は良いけど…、朔はどうする?」

「…僕はいいかな…。晃と陽葵で行ってきなよ。」

「お兄ちゃん、カラオケとか好きじゃないもんね。…せっかくだし行こうよ、晃くん!」

「おお…、うん。」

「やったー!決まりですね!お兄さんが来られないのは残念ですけど、詳しい事は陽葵に連絡しますね。」

やったと、きゃあきゃあ言いながらクラスの女子達は去っていった。

晃が女子達から視線を外して朔を見ると、目を伏せて静かにアメリカンドックを食べていた。

二時間程、晃と朔は文化祭を見て回っていたが、陽葵から連絡が来た事で、学校の校門前で朔と別れる事になった。

「じゃあ、カラオケ楽しんで来てね。」

「おお…、うん。」

ヒラヒラと朔に手を振られ、見送る事が何故かとても悲しくなった晃は陽葵に「やっぱ朔と帰るわ、ごめん。」と短く連絡を入れて朔の後ろ姿を追いかけた。

少し走った先に、朔の後ろ姿を見つけ大声で朔を呼び止めた。

「はあ、…はあっ……。一緒に帰ろうぜ、朔。」

「…カラオケはいいの?」

「…朔と一緒じゃないなら、意味ないから。」

「ふふっ、そっか。」

晃が走り去る姿を遠くから陽葵は見ていた。

カラオケへ行く予定のクラスメイトに声を掛けられると、「急な用事思い出したんだって。」と、断りを入れると態度を急変させた。

「はあ?何それ。ドタキャンとかありえないんだけど。」

「何様?」

「陽葵がちゃんと見張っとかないから、帰っちゃったんじゃん。」

耳障りの悪い声が陽葵の頭に響く。ガンガンと頭痛が起きるようだった。

「あー…ウザ。私が無理なのに、あんた達でどうにかなる二人じゃないっての。」

「は?何それ。」

「ちょっと陽葵、そんな言い方ないんじゃないの?」

「だって、本当の事だし。」

はぁ、と分かりやすく大きなため息を吐いた陽葵を見て、悔しそうにその場を去る友達とも言えないクラスメイト達を見送り、やれやれと肩を竦める陽葵。

あの二人の間に他人が割って入る事など不可能だと、何故わからないのか。

「さっき会ったばかりの人間が、わかるわけないか…。」

自嘲気味に笑うと陽葵も教室に向かって歩き出した。陽葵はそんな少々苦々しい過去を思い出しながら歩いていた。

歩いて十分程の駅前のカフェに二人は入り、店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けると、晃はチョコバナナパフェのクリーム増量とコーラを頼んだ。

晃は窓際の二人がけの席に着こうとして、ハッとして一瞬立ち止まってから向かうのをやめて、店の真ん中にあるソファー席に陽葵を座らせて、それから自分もテーブルを挟んだ正面の席に着いた。

「ここ、いつものカフェじゃん。」

「ん?陽葵、ここのチョコバナナパフェ好きだろ?」

「好きだけど!…もう!晃くんから大事な話があるって言うから、ついに私への告白かな?って思って可愛いワンピース着てきたのに、何で何も言わないわけ!?」

「あー、はいはい。可愛い、可愛い。」

「やった〜!晃くん、私の事好きだって!」

「言ってねぇよ。」

ふはっと吹き出して否定する晃を見て、頬を膨らませながらこちらを睨む陽葵。

タイミングの良いカフェの店員が「お待たせしました」と注文したクリームを増量したチョコバナナパフェとコーラを持ってきた。

ストローを挿してコップの縁の辺りを片手で掴み、視線を窓際の席に向けてコーラを飲み始めた晃に、陽葵がテーブルに肘を置いて手を組みながら前のめりで質問してくる。

「あのさ、晃くんも私も二十二歳じゃん?そろそろどうかな〜って思って。」

「どうって…何が?」

「私を彼女に?」

「しない。」

即答されて悔しかったのか、陽葵は少し意地悪な質問をする。

「…ちなみに車の免許は?私は取ったけど!」

「取らない。…いいんだよ、俺は。一生助手席宣言。」

「なにそれ、意味わかんない。…そもそも晃くんは、お兄ちゃんに縛られすぎてるよ。」

「……。」

「もっと自由に生きたらいいじゃん。」

「美味しい」とパフェの溶け始めたアイスクリームを掬って食べながら、陽葵はそんなことを言う。

晃は陽葵から視線を再び窓際の席に移す。

学生服を着た朔と、正面に座った過去の自分がぼんやりと映し出される。

四年前のあの夏の日、カフェを出た後に朔は用事があると晃を先に帰るように促した。

朔に伝えたい事があるから一緒に行くと粘ったが、「用事を終えて家に帰ったら、晃に会いに行くよ。約束。」と言われ渋々晃が頷くと、手を振り別れて背中を向けたその時だった。

信号無視をして、猛スピードで歩道に突っ込んできた乗用車に朔は轢かれた。

「えっ…?朔じゃない…よな…?」

背中に冷たいものが流れるのを感じながら人混みを掻き分けて行くと、瞼を閉じたままの親友が、赤い血を流して地面に体を伏せて動かなくなっている。

無我夢中になって急いで抱き締めると、生温い血溜まりの中で段々と朔の体が冷たくなっていくのがわかった。

「朔!朔!!頼むよ、俺を置いていかないでくれ!!っ誰か…!誰か早く救急車を呼んでください!!お願いします!お願いします!!」

泣きながら叫んだ晃の声は、蝉の鳴き声と野次馬の声と共に夏の紫色の夕空に吸い込まれていった。

裁判では、運転していたドライバーは特に反省をしているようには見えず、「前をよく見ていなかった」と、ただ一言。

腸が煮えくり返る思いで太股の上に置いた拳をブルブル震わせながら傍聴席で加害者の言葉を聞いた。悔しくて、どうして朔があんな奴なんかに。

そう思った時には「ふざけんじゃねぇ!!」と晃は泣きながら叫んでいた。

あの時自分が何を言ったか正確には覚えていないが、裁判長に退廷を命じられて警備員に捕まり、傍聴席から外に出されてしまった。

魂が抜けたように近くのベンチに座っていた時、目の前にペットボトルの水を差し出された。

「晃くん、私の代わりに怒ってくれてありがとう。」

泣き腫らした陽葵の顔を見てもかける言葉が見つからず、ペットボトルを無言で受け取り口いっぱいに含んだ水を一気に飲み込むと、体や心のすべてが痛くてたまらなかった。

晃はその場から崩れ落ち、嗚咽が出るほど涙が止まらなかった。

「…晃くん?晃くん聞いてる?」

「んあ?聞いてる聞いてる。マンドラゴラをペットにしたい話だろ?」

「そんな話、一度もしてません!…ねえ、そろそろ本題に入ってよ。」

「…ああ、朔の命日にお墓参りに行った時の話なんだけどさ…。」

八月三十一日に自分の身に起こった不思議な話を陽葵にすると、「ふーん」と興味の無さそうな返事が返ってきた。

「なんだよ、ふーん。って。こっちは真面目な話をしてるんだぞ。」

「いや、あまりにも現実味が無さすぎるというか…。」

「俺も最初はそう思ったんだけど、この招待券を貰ったからには、信じざるを得ないんだよな。」

黄色のチケットに茶色の文字で"弓張り月のメリーゴーランドご招待券"と書いてあるチケットを陽葵に差し出してみると、眉間に皺を寄せている。

「なんだよその顔は。」

「いや、そっちこそ新手のマジックでもしてるの?そんなチケット、どこにも無いんですけど。」

「…は?いや、陽葵の目の前に出してあるって!」

「だから、何にも無いんだってば!」

「…もしかしてこれ、見えてないのか?」

「残念だけど、そうみたい。」

不満そうな顔をした陽葵は手元に視線を移すと、ボソッと一言発した。

「…お兄ちゃん、家ではジュースなんて絶対飲まなかったのに。」

「え…?」

「お兄ちゃんがラムネが好きだなんて、初めて知った。」

朔の新たな一面を、今更知る事になるとは思いもしなかった。

もし日付が変わって朔に会えたら、ラムネの事を聞いてみようと思った。

ラムネの他にも朔に伝えたい事は、山ほどあるのに。

晃が会計を済ませて陽葵と一緒にカフェの外に出ると、まだ残る夏の暑さに少しうんざりした。

何から朔に話そうかと考えてカフェから少し離れたガードレールに目をやると、花束が置かれていた。

朔の事を風化させないように、誰かが供えてくれたのだろうか。

「ねえ、晃くん。」

「ん?」

もじもじと自分の手と晃に視線を行ったり来たりさせて、珍しくしおらしい陽葵。

「どうしたんだよ?陽葵らしくもない…痛え!」

「もし、お兄ちゃんに会ったら私の代わりに謝っておいて。…大事な物、隠したりしてごめんって。」

「お、おお…。わかった。」

陽葵に叩かれた右腕を擦りながら空に目をやると、太陽の眩しさに晃は目を細めた。

チリンと鈴の音が聞こえた気がして後ろを振り返ってみても、風が体を通り抜けていくだけで、晃の少し伸びた前髪を揺らしただけだった。

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