第42話 発症(A2パート)ハラスメント

「コン、どうした。なにか不安な点でもあるのか」

 河合かわいは心配そうな視線を送ってくる。

「コンくん、もしかして視力に影響が出ているんじゃないの」


「視力に影響って、頭が割れただけじゃないのか、あきかわ

「裂傷を負った頭頂部だけじゃなく後頭部も強打しているのよ。だから視力に影響が出るかもってお医者さんが言っていたわ」


「コン、あまり無理するなよ。怪我が悪化するとろくなことにならないぞ」

たかしな先生に申し出て、垂水たるみ先生に病院へ連れて行ってもらったほうがよくないかな」

「いや、軽くめまいがしただけだから。怪我自体は順調に治ってきているよ」


「でも絶対安静って言われていて、通学しているんだろう。やはり無理はしているんじゃないか」

「だいじょうぶだ。後藤のためにも弱っているところを先生たちに知られるわけにはいかないからな」

「加害者にそこまで配慮する必要はないだろう。あんな暴力沙汰、本来なら一発レッドだぞ。それを停学謹慎処分で済ませているのは、被害者であるお前の意志だと聞いているんだけど」


「一度の感情的な振る舞いで、一生を棒に振ることもないだろう。誰だってひとつやふたつ、なにかやらかしてしまうことはあるからな」

「それがお人好しだって言うんだよ。犯罪はサッカーじゃない。一度の猶予なんてないんだぞ。暴力事件を肯定するような主張には同調できない。いくら秋川とじっこんの後藤だとしてもだ」


「私も今回はさすがに後藤くんがやりすぎたと思っているわ。一発レッドでもおかしくないというのは正しい判断よ。コンくんの口添えでなんとかイエローカードで猶予期間を作ってもらっただけで、本来なら許されないファールよ、あれは」

「階段を落ちるなら自分の意志とタイミングでしたいところだな。無理やり放り出されたら受け身もとれない」

「なんだ、コン。お前、階段を落ちたことがあるのか」


「足を滑らせて落っこちたことがあるな。ただ、あれは、滑るかも、と思っていたから対処できたんだ。その考えが頭にないと、今回と同様の結果になっていたかもしれない」

「お前はブルース・リーかよ。たしか、いつも有事を想定して行動するんだったよな」


「河合、よく知っているな。武術をやっていて知らない人はいない話だが。いつ殴りかかられてもいいように、つねに周囲に気を配る。俺はそこまでではないなあ。もしそうなら後藤に投げられるかもと想定できたはずだからな」


「言われてみれば。そういえばブルース・リーって鎮痛剤の過剰摂取で死んだって聞いていたけど違うんだってな」

「ああ、水の飲み過ぎが原因という新説が出てきたよ。腎臓が処理しきれずに脳が膨れてしまったとかで」

「怖いよなあ。安心して水を飲むこともできないのか」


「飲み過ぎがダメなだけだって。成人なら一キログラムあたり三十〜四十ミリリットルの水を飲むのが適正だったはず。俺六十二キロくらいだから中間の三十五ミリリットルなら二.二リットルくらいになるのかな」

「だいたい二リットルのペットボトル一本分か。おちおちコーラも飲んでいられないな」

「俺、炭酸飲料てほとんど飲んだことないんだよな。最初に飲んだのがまずくてトラウマになったのかな」


「なにを飲んだんだよ」

「ミスター・ペッパー」


「コン、それは飲んだものが悪すぎるわ。俺もあれは飲めないからな。普通にペット・コーラとかならだいじょうぶじゃないのか」

「炭酸飲料を飲めば健康になるっていうなら飲むけど、たいていのものは糖分過多らしいから、師匠も飲まないほうがいいって言っているくらい」

「師匠って、なにかやっているのか」


「あれ、言ってなかったっけ。中国拳法を教えてくれた人がいるんだよ。その人はけっこう健康に気を使うから、やめとけと言われたものは口にしないようにしているんだ」

「それってもしかして、ビールも飲むなってことかよ。高校生ではまだ飲めないけど」

「成人してもアルコール類は飲むなって言われているな」


「本当かよ。俺の親父なんて仕事から帰ってきたらすぐに冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出して一気飲み。ぷはあ、生き返った、って言うくらいだぞ。大人になればそういうものじゃないのか」

「アルコール類って血流を高める働きがあるから、疲れた体に沁みるっていうのはそのとおりだと思うな。血管内の老廃物を早めに腎臓から排泄させれば疲れもとれるだろうし」

「だよな。やっぱ俺も社会人になったらビール飲んでいる気がするもんな」


「大人になれば全員が飲まなきゃいけないわけじゃないからな。アルコール・ハラスメントなんて新語まであるくらいだ」

「アルハラか。最近なんでもハラスメントだよな。最初のハラスメントってなんだっけ」

「セクハラじゃないかしら。セクシャル・ハラスメント」

「ああ、そうかも。意識の高いフェミニストが言い出しそうだ」


「河合、それは暴言に近いぞ。意識の高いフェミニストでなくても、男女による権利の違いは指摘されていたはず」

「そうだったっけ。今はアルハラのほうか。上司の酒が飲めねえのかっていうやつもそうだよな」

「当然だ。というかアルハラの始まりは、上司の酒と一気飲みの強要だったはず」


「そうなのか、コン。大学のコンパで一気飲みするって聞いたことがあったけど」

ただのり大学でも今は禁止されているはずよ。急性アルコール中毒で死者が出たら洒落じゃ済まないから」

「秋川もアルコールは飲まない派なのか」


「私はひらりのボディーガードだから、アルコールでめいていするわけにもいきませんからね」

「ってことは、秋川はともちゃんのボディーガードに就職するわけか」

「今の関係そのままで社会人になるだけね。ひらりがどう考えるかにもよるけど」


「ともちゃんの事務所からはなんて言われているんだ」

「高卒で入社してひらりのボディーガードとして契約してほしいらしいわね。幼馴染みだし、ひらりも気を使わずに済むだろうからって。後藤くんは男性だから、悪い噂が立たないよう高校で契約は終了することになるらしいけど」


「そういえば後藤って忠度大学コースのC組だったな。今回の暴力事件で心象が悪くても、それ以外の貢献度や学力を考慮すればほぼ進学は決まっているんだよな。もしコンが後藤は許せない、退学させろって言い出したらその未来予想図は描けなくなるわけだが」


「だから後藤が不利にならないように、謹慎処分でよしとしているわけ。俺がひらりちゃんと親しげにしていたからといって暴行を働くような人物とはいえ、それを理由にして退学まで要求するのは気が引けてな」

「俺なら間違いなく退学にさせるけどな。一度あったことは二度あるかもしれない。少なくとも怨みを買っているのは確かだろう。顔を出さないまでも報復されないとも限らないしな」


「後藤くんの関係者としては、コンくんの判断はとても貴重に感じているわ。いっときの過ちで一生を棒に振りかねない状況なのは後藤くんもわかっているはずよ。だから、加害者側とはいえコンくんには感謝しかないわ」


 後藤とつながりのある秋川さんとしては、本心なのだろう。





(第11章B1パートへ続きます)

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