第40話 萌芽(B2パート)揺動
教室に入って自分の席に着こうとしたら、そこには
「秋川さん、そこ俺の席なんだけど」
「コンくんおはよう。学園側からあなたの体調を監視してほしいとのことで、授業中もあなたが見える最後列に席替えになったわ。あなたの席はひとつ前ね」
机をよく見ると、確かに俺が天板に落書きした机が彼女のひとつ前の席にあった。
困ったな。これでは少しふらついだだけでも大げさに報告されるかもしれない。あくびも我慢しなければ。
「後藤だけど、今週いっぱいで謹慎処分が終わって来週頭から復学する予定だから」
「それって職員会議で決まったの」
「そう。俺に判断が委ねられたからね。高校二年生を何週間も謹慎させるなんて、進学のチャンスを摘んでしまうようなもの。俺の体調が悪化したら、それに伴って後藤の謹慎を再開する、という条件付きだけどね」
「となれば、私の監視次第ってところもあるわけか」
思わぬことで秋川さんが監視の目を緩めるかもしれない流れになったな。
多少のことは仕方ないが、まずは一週間、走らない・跳ばない・転がらないを徹底するのがよかろう。なるべく脳を揺らさないようにしなければならない。そのためのエレベーターの使用許可でもあるだろう。
「それより、今日は体育の授業があるわよ。もちろん授業を受けるつもりはないんだよね」
「当たり前だよ。歩くだけでもいい顔されないのに、スポーツをして脳を刺激したら安静の意味がなくなるからな」
「なら、入院して一週間絶対安静にしていたほうがよくないの」
「後藤のことがなければそうしたいところではあるな。だが俺の行動にはあいつの将来がかかっている。被害者が病院で絶対安静にしているのに、加害者がしれっと謹慎明けで復学していた、なんて許されると思うか」
「思わないわね」
成り行き上、今日の体育は見学ということになるが、じっとしているからといっても体がつらくなるときだってあるだろう。その場合は教室で自習することも必要になるはずだ。
体育教師と相談する必要があるな。体育の授業までに話を通せばいいか。
「しかし、コンくんって本当に人がいいわね。普通なら、暴行の加害者なんて徹底的に裁かれて刑に服したほうがいいと考えるわ。たとえ大学へ進学できなくなっても、それは加害者の自業自得なんだから」
「他人の人生がズレていくところを、俺は何度も見てきたからな。スタントなんて、皆売れたいと思ってやっているけど、大怪我で引退する人が多いからね。そういう人たちの無念を考えると、いくら加害者でひどいことをしたとしても、その後の人生設計が達成できなくなるのはさぞ無念だろう。後藤もおそらく、今は先の見えない絶望の中にいるはずだ。いつまで謹慎していればよいのかわからないから、その懊悩が尽きることはないだろう」
加害者への懲罰は被害者が望むものだ。だが、被害者の判断によって加害者の人生が乱れてしまえば、加害者への意趣返しになってしまう。それが本当によいことなのか。
「じゃあ今から後藤くんに、謹慎は今週いっぱいって連絡するわね」
「それはやめてほしい。こういうことは内輪からではなく、監督責任のある学園側が正式に通達するべきものだ。俺の意向を伝えるタイミングも当然学園側が決めないと、懲罰にならないからね」
「そういうものなの」
「そういうものだよ。きちんと指揮命令系統が整備されていなければ、組織として不完全と言わざるをえない。少なくとも学園側は俺の要望を聞いてきたくらいだから、そのあたりの管理はしっかりしているはずだ」
「立ち話もなんだから、席に座って話しましょう。じきに
言われてみればそのとおりか。秋川さんの前の席にゆっくりと座った。
「起立・気をつけ・礼・着席ってやらないとダメかな。あれも運動には違いないんだけど」
「そうねえ。たぶんだけどあなたは免除されそうね。高階先生からも安静を言い渡されているって説明もあるだろうから。そうしないと走らされたり飛び跳ねさせられたりするおそれもあるし。学園側が被害者のコンくんに無茶はさせないと思う。もし免除にならなければ私から提案するわ」
「そのときはよろしく頼むよ」
ここまで話をしていて、聞こえづらさや言葉がもつれるようなことはなかった。
だが、スタントは体を過たずに動かすために、視覚情報が大きな比重を持つ。
殺陣だって相手の攻め手を目で追いながら、絶妙の間合いで反撃と防御を繰り返して観客を沸かせるのだ。動きが見えづらいままでは、いずれスタントで大事故を起こしかねない。
耳と口に影響が出ていないのは幸いだった。あとは視力を戻す努力をするべきだが、今は安静を言い渡されている以上、多少の見えづらさは致し方ないところだ。
短期間でも眼鏡を作るべきか迷うが、仮に視力が戻らなければ、スタントシーンではコンタクトレンズを入れざるをえないし、それは事故を誘発しかねない。
視界が多少揺れているのはやはり気になる。眼筋が引きつっているのか、首が据わっていないのか。理由はわからないが、確かに揺れている。
これが学園側に伝われば、後藤の謹慎処分は延長されるだろう。
「それで、今はどんな調子なの」
さっそく探りを入れてきたか。どこまで素直に話すべきか。秋川さんがこちらの味方をしてくれるのであればすべて話したほうが得策だ。だが後藤に味方するのなら、適当な話に変えられる恐れもある。まずは当たり障りのないところを突いてみるか。
「うーん、目のかすみはあるし、眼筋が痙攣しているのか視界が揺れて見えるかな。安静にしておけば
「ということは、それらが収まるまでは仕事もしないってことでいいのね」
「そうなるね。走ったり飛んだり跳ねたり戦ったり。すべて体を自在に動かせてこそだ。だから医師は絶対安静を主張したんだろうけど」
「私も病院のベッドで絶対安静しているほうがよかったと今でも思っているんだけど」
「後藤の謹慎が解けなくても、か」
「仕事仲間として後藤くんの行動は褒められたものではなかったしね。相応の罰は当然受けるべきだわ」
「秋川さんは後藤のことが好きなんだな。俺は好きになれそうにないけど」
「後藤くんとは幼馴染みで仕事仲間というだけね。取り立てて好きとか嫌いとかはないわ」
ちょっとかまをかけてみようか。ただ監視されるだけではなにか弱みを握られそうだし。
「そうかな。あいつは秋川さんのことが好きなんだと見たんだけど」
「信じる信じないはあなたに任せるけど、私、後藤くんをフッたことがあるのよ」
「いつの話だよ、それ」
「中学二年生だったから三年前ね」
「フラレたのに三年もひらりちゃんの護衛を一緒にしていたのか」
「ひらりがいたから気まずくならなかったようなものね」
「今は付き合えないとしても、ひらりちゃんを守るためにそばにいれば再び告白のチャンスも巡ってくるかもしれないと」
「それはないわね。そのとき後藤くんに言い切ったから。誰とも付き合うつもりはないってね。少なくともひらりの護衛が正式に決まるまでは」
「ひらりちゃんをだしに使ったわけか。それで、彼女の護衛の後任って決まっているのか」
「いえ、まったく」
これはまた、ずいぶんとはっきり言い切ったな。
(第11章A1パートへ進みます)
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