第38話 萌芽(A2パート)本格アクション映画
あの状況では短慮だった後藤に非があるのは明らかだ。だからといって雇用主であるひらりちゃんが責めを負うのは間違っている。
ひらりちゃんが後藤に
止めきれなかったのはひらりちゃんと後藤の信頼関係が薄かったともとれる。
高校生同士でそこまでの信頼関係を構築できるはずもない。対価だって微々たるものだろう。
今回のことでひらりちゃんが干されたら。その発端が悠一の負傷であると業界に知れわたったら、今後ひらりちゃんがドラマや映画から干される可能性もじゅうぶんある。
ここに来ている三名のスポンサーが考えているのは、ひらりちゃんを契約解除して代役を立て、クリーンな人物で映画を作れという趣旨だろう。
「少なくとも韮沢さんに罪はありません。この怪我は彼女のボディーガードが短慮を起こしたのが原因です。転校してきたばかりの僕が、韮沢さんと親しげに話していた。彼にとっては花に群がる蜂に見えたのかもしれません。きちんと状況を理解していれば防げたはずです。だから短慮を起こしたボディーガードが悪いのであって、韮沢さんは悪くありませんよ。少なくとも被害者である僕は、韮沢さんが外されるのをよしとはしません。もしそうなったら、僕もこの映画から降りるしかなくなります」
「ちょっと待つんだ、コン。お前が降りたら〝本格アクション映画〟の看板は下ろさざるをえんぞ。たとえ韮沢ともが降ろされても、お前まで付いていくなんて言わないでくれ」
「であれば、韮沢さんを降ろさないでください。それがこの映画を引き受ける前提と受け取っていただいてかまいません」
「ですが、この映画の製作を停滞させているのは、スタントであるあなたが大怪我を負ったから。しかも撮影中ではなく学校生活で。その原因は韮沢とものボディーガードにあるのだから、この映画がなかなか進まないのは、韮沢ともに原因があることは明らかです」
これはなんと浅はかな。三段論法にすらなっていない。
絶対安静である以上、怒りを見せるわけにはいかない。それを慮ったのか、師匠が口を開いた。
「それは三段論法ですらないですな、スポンサーの方々」
監督が松田先生と言うと、スポンサーの三名は師匠に向き直った。
「誰がどう見てもこの論法は成立するのですが」
「しませんな。まずコンが大怪我をしたからスケジュールどおりに進まなくなったのは事実です。しかしその原因であるボディーガードを裁くのではなく、韮沢さんを処断するのは理屈に合いません」
「韮沢ともがいなければ、そもそもそんな事件も起こらなかったのでは」
「いいえ、仮に韮沢ともがキャスティングされていなかったとしても、コンが韮沢ともと仲良く話していたことは変わりませんから、事件は起こったはずです。韮沢ともがいなければ撮影がスムーズに進む要因にもなりません。事件はすでに起こっており、被害者であるコンが韮沢ともを処断しないよう求めている以上、彼女を降ろす必然性がないのです。それでも韮沢ともに責任を負わせるような働きかけは、スタントであるコンが許していません。だから彼女には引き続き役を演じてもらうべきです。それが被害者であるコンの希望でもあるのですから」
「では、本作の企画そのものを考え直さなければならないかもしれませんが」
「その必要もありません。今から〝本格アクション映画〟の看板を下ろしてしまったら、そこらにある平凡な映画と大差なくなります。本作の強みを自ら捨てるようなものなのですから。それでも採算がとれるとお思いですか」
「そ、それは」
スポンサーの三名が押し黙ってしまう。
彼らにしても〝本格アクション映画〟の企画に賛同して資金を提供しているのだ。そこらにある〝学園ドラマ〟にしてしまうと、観客にアピールする要素がなくなってしまうだろう。
「要は、撮影期限内に僕がスタント復帰できればよいだけの話です。それが叶わなかったら、そのときに方針変更を検討すればいいでしょう。今日僕が無理を押してもここへ来た理由のひとつは、僕の復帰までスタント撮影を後ろ倒しにしてほしいこと。もうひとつは韮沢ともさんを降ろさないでほしいこと。この二点をお願いしたかったのです。スポンサーの皆様もご了承いただければ、安心して療養生活に入れます」
「というわけです。我々は起きてしまった暴行事件の責任を追及するのではなく、コンのスタント復帰を支援してコンセプトどおりの作品に仕上げることを追求するべきです」
監督のひと押しのおかげで、スポンサーはとりあえず納得はしてくれたようだ。
「もちろん、コンが復帰できないというのであれば、私がスタントなしでも娯楽作品として楽しめるものに仕上げてみせます。今の映画界ではアクション映画は稀少ですからね。基本がコメディなのですから、コメディ映画にすればいいのです。ジャッキー・チェンの初期作品のようなワクワクするものに仕立て上げるのもいいですが、アクションが少なかった中期作品のようなものにも需要はあると思うのですがね」
ジャッキー・チェンと並べて語られるのは照れくさいが、彼でさえ怪我と無縁ではなかったのだ。それだけスタントに求められる演技は際限がない。
もちろんじゅうぶんな安全を確保したうえでの撮影だから、今の時代のスタントは大怪我をする確率が低いのだ。躊躇してしまうと怪我を誘発しかねない。きっぱりと決断して過たず実行に移せるだけの度胸のよささえあれば、かえって怪我は少なくて済む。
スタントの世界に絶対はない。
絶対安全なスタントなら、俳優本人がすればいい。絶対怪我をするのがわかっていれば、企画段階で取り下げられる。
いかに危険なように見せながら、安全にアクションをこなせるか。そのさじ加減を求められるのがスタントである。
安全に危険を演じる。それには高度な計算を要する。
「それでは、私たちはこのコンくんとやらに社運を預けなければならないのですか」
「そうなります。彼がいるから〝本格アクション〟は成立するんです。テレビの戦隊ものでも彼のスタントが入ることもありますから。今アクション業界を支えているのは命知らずな俳優か、コンのようなプロのスタントかです。撮影の危険度を考えれば、プロのスタントに頼るほうが確実。コンのスタントを間近で見れば、いかに彼の技術が高いかおわかりいただけるでしょう」
「しかし、そんな都合よくこの少年のスタントが見られるわけでもないのでしょう」
「いえ、以前私が撮影した作品でしたらすぐにお出しできますし、本作でも最初に撮った階段落ちのスタントなら生テープがありますからお見せできます。どうでしょう」
「そうですね。それではそれらを見せていただきましょうか。それを見てこの少年が本当に必要なのか、判断させてください。もし価値なしと判断したら、別のスタントを立ててもらいますからね」
(第10章B1パートへ続きます)
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