第10章 萌芽
第37話 萌芽(A1パート)監督室にて
放課後になり、
車を降りると、師匠が近寄ってきた。
「診断書はすでに監督へ渡してある。代わりが務まるスタントはいないから、可能なかぎりギリギリまでコンの回復を待つそうだ。そのぶん、しっかりと治してくるんじゃぞ」
「師匠、ありがとうございます。俺も監督さんたちに直接会って、学校との間で取り決めた今後の方針を共有しようと思って来ました」
「そうじゃな。お前は有能なスタントである前に高校生じゃ。仕事と学業の両立が目標なのじゃから、まずは学業をどうにかするべきじゃろう」
「
「問題はそれじゃな」
師匠は深刻な顔をしながら鼻の下に人差し指を添えている。
「今回の撮影が押す原因はコンの大怪我だが、そもそもその大怪我が
「ひらりちゃんは関係ないですよ。悪いのはボディーガードの後藤であって彼女自身ではないんですから」
「じゃが、韮沢さんは大勢いるアイドル俳優のひとりであって代わりはいくらでもいる。コンはただでさえ稀少な高校生スタントであって、代わりを探してもまず見つからない」
「だから、絶対に大怪我をするなよ、でしたね、師匠」
「お前の父リュウも業界では稀少な存在じゃった。あれの代わりが務まる者が偶然いてくれたから穴埋めできたのじゃが。お前の代わりはまず見つからん。殺陣は軽快でキレがある。スタントとしても度胸満点で技術も高い。スタッフとじゅうぶんコミュニケーションがとれる。それだけ現場から信頼されているということじゃよ」
師匠はつねに自制を求めてくる。
体を鍛えること、メンタルを強くすること、スタントの技に習熟していること。
確かにこの三点はスタントでは有用であり、だからこそ、大怪我などもってのほかなのだ。
「ここで立ち話もなんじゃ。監督室へ向かうぞ。先生も一緒においでいただけますかな」
監督室の扉を師匠がノックしようとするとその手を止める。
「どうやら先客がいるようだ」
「先客ですか。スポンサーでしょうか」
「スポンサーが撮影を見に来ることなんてあるの」
「製作費を出していますから、きちんとスケジュールどおりに撮影が進んでいるのかを確認するのが一般的です」
スポンサーの確認はドラマより映画のほうが頻繁だ。映画は完成までに総額数億円はかかるため、きちんと利益を出せないと判断した企画は、撮影中でもボツになる。
「先ほどもお話ししたように、スタントを担当するコンくんが怪我をしたのです。多少スケジュールは前後しますが、必ず完成させますよ、
やはりスポンサーが悠一の怪我を聞きつけて、さっそく押し込んできているようだ。監督を詰めているのはスタント不在に起因するだろう。これは悠一自身が状態を説明する必要がありそうだ。そう判断してドアをノックする。
「監督、コンです。今だいじょうぶでしょうか」
やや間を置いて返ってきた。
「ああ、入ってきてくれ」
失礼しますと言ってからドアを開けると、私服の監督の周りにスーツを着た三名の男女が立っていた。
「コン、なにかあったのか。診断書は松田先生からすでに受け取っているんだが」
「あなたがコンくんですか。怪我の程度はどうなんですか」
黒のタイトスーツに身を包んだ女性が、赤い眼鏡フレームに手をかけた。
「医師からは絶対安静を言いつけられています。監督さんに今の状態を生で把握してもらって、今後の方針を定めてもらうために参りました。決まれば復帰の期日まで安静に過ごす予定です」
「なんでも韮沢さんがあなたの怪我にかかわっているのだとか。撮影のスケジュールが乱れているのもスタントのあなたが演技できないからだと聞きました。撮影以外で怪我をしたのですから労災保険も出ません。このままあなたをスタントとして起用し続ける理由はなんですか」
監督が女性に口を挟んだ。
「アイドル俳優と同世代でスタントをこなせる人が彼しかいないんですよ。もしコン以外をスタントにしたら、安っぽい出来栄えになってしまいます」
「なぜひとりにすべてを任せてしまうのですか。他のスタントも雇えば済む話じゃないですか」
これに師匠が応じる。
「今の時代、スタントを使わなくても特殊撮影技術である程度代用できております。それでもスタントでないとリアリティーが担保できないので、スタントの存在意義はそこにあります。しかし顔も出さずに危険な仕事を進んでやろうとする若者はおりませんからな。芸能界で働きたい若者は、俳優は目指してもスタントを選びません。それにコンは元々父親のスタントを見て育ったため、この道に進みました。そのために武術や身のこなしの特訓を毎日のようにこなしています。今は絶対安静なので練習でも控えさせていますが」
「担当医師からは一週間絶対安静にして様子を見るように言われています。僕のせいで撮影がズレてしまって申し訳ございません。挽回するためにも、今はしっかりと休ませていただけませんか。今無理をして復帰が長引いたり引退したりするより、一週間なり一か月なりかけてしっかりと治して復帰したほうがこの映画のためだと思います」
「しかしだね、コンくん。そもそも君にそんな大怪我を負わせた原因が韮沢ともにあるのなら、彼女をキャストから外すべきじゃないのかい。撮影も始まったばかりだし、彼女の代役はすぐに見つけてこられるんだが」
「もし彼女に代役を立てるのなら、僕はこの映画を降りますよ。僕が原因でひとりの俳優がその役を追われるなんて我慢できませんから」
「しかしだねえ。そもそも君に大怪我を負わせた韮沢とものボディーガードがすべての元凶じゃないのかい。なのであれば韮沢ともには連帯責任をとっていただかなくては」
「部下の責任をすべて上司がかぶらなければならないなんて、前時代的な対処ですね。少なくとも護衛としては立派に働いたと思いますよ。ただ、状況をもっとわきまえたほうがよかったのは確かでしたが。そのために彼は停学処分で謹慎しています。皆さんの高校時代は一週間がどれだけ貴重なものだったのか。よく考えていただけると助かります」
これだけ説明しても、凝り固まった思考はなかなか改まらないものではあるのだが。
(第10章A2パートへ続きます)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます