第35話 結果(B1パート)スタントの心得

 学校の朝は強烈な噂話で始まった。

 ゆういちあきかわさんとひらりちゃんに連れられて教室までやってきた。そしてひらりちゃんは頑張ってくださいね、と言い残して自分のクラスへと歩み去った。

 その姿を見守りつつ、秋川さんとともに教室へと入った。


「おい、秋川。お前、コンのこと監視しているんだって」

 河合かわいがさも嬉しそうな表情を浮かべている。

「どこからそういう話になっているんだ、河合。情報のネタ元を教えてくれ」


「いや、うちにも親族がただのり病院に入院している生徒がいてな。そいつが秋川とひらりちゃん、そしてお前の師匠とやらが監視役になったと聞いたらしいんだよ」


 そうか。法人が同じであれば、入院患者の世話も考えると手間がかからないよな。

 同じ法人だから安心できるかと思いきや、至るところに耳目があったわけか。


「で、他に噂になっていることはどのくらいあるんだ」

 河合は頭を傾げて思案した。


「えっと、お前がスタントマンとやらをやっていて、多くのドラマや映画で危険な役を演じている、っていうのが最初だな」

 ちょっと待て。たまたまうちの生徒が立ち聞きしていたとはいえ、スタントマンだとバレることはありうるのだろうか。


「河合、お前がその噂を誰から聞いたのか教えてくれ。情報源をたどっていくから」

「お前がスタントマンとして活躍しているドラマや映画を教えくれたならな」

 顔が写るような失敗はしていないはずだが、「◯◯を探せ」パターンで視聴者は増えそうだな。


「それもいいが、せっかくだからサインしてくれよ。うちのクラスにも十数名芸能人がいるけど、そいつらもお前がスタントマンだったことは知らなかったらしいしな。お前が大ブレイクしたらプレミアがつきそうだ」

 これは芋づる式に噂の発信源をたどるにしても時間がかかりすぎる。応じる必要はないだろう。


「いや、スタントマンは裏方だからサインなんてないんだよ。だからサインはパスな」

「普通に名前を書くだけでもいいんだよ。そうすれば初期のサインとして高値がつくからさ」

「スタントマンなんていつ死ぬかわからないんだから、あまり頓着するもんじゃないぞ」

 それでも河合の思いつきは続く。


「なにか学校でできるスタントとかないのかよ。ぜひ見せてほしいんだけど。屋上から飛び降りたりとかさ」

「河合くん、コンくんは本来なら病院で絶対安静を言い渡されているのよ。当然スタントはおろか速歩きもさせられません」

 秋川さんがぴしゃりと跳ね返した。


「スタントは仕事でやれば失敗しても労災が下りるけど、仕事と関係ないところじゃあな。後藤に負わされた怪我は仕事外だから当然下りないんだし」

「ということは、仕事として請け負っていたらいいわけか」

「そういうことになるが、スタントの報酬をホイホイ払える現場は限られているからな。それに大人が誰も見ていないところでスタントをして大怪我でもしたら、責任は誰が持つんだよ。当然自己責任ってことで俺が悪いことにされちまう」


 そもそもスタントでは下っ端に過ぎない。中高生のスタントができるという点でのみ業界から評価されているだけだ。とても見せるような恩義はない。

 そもそも危険な役を目立たず遂行するのがスタントの役割だ。俳優より前に出るわけにもいかないし、悪目立ちすればすぐに干されるのがスタント業界の鉄則でもある。

 スタントは名前を知られることを最も嫌う。当然スタッフロールに名前が出る著名なスタントもいるにはいる。

 トップクラスの技術と経験と知名度によってのみ表舞台に立つことを許される。スタント歴としては長いほうだが、年齢的にはまだ駆け出しに等しく、限られた現場でのみ活動しておれば知名度も低い。


 忠度病院の担当医がたまたまコンの名を知っていたくらいで、ドラマや映画にスタントがいることを知らない人もまだまだ多い。

 ジャッキー・チェンがスタントマン出身だったし、千葉真一や真田広之もスタントを通じたアクションに定評がある。

 今はその三人には遥かに及ばない。ということは、知名度があるはずもない。クレジットでは「チーム松田」とひとまとめにされているくらいだ。

 だからいくらスタントインした作品をチェックしてもコンの名前は出てこない。

 芸能界としては未成年役者のくくりだから致し方ない。だからこそ、中学生や高校生のスタントの話がまわってくるわけだが。


「じゃあ今放送しているドラマだとどれに出演しているんだ。それくらいは教えてくれよ」


 それでドラマを観てくれるのであれば、視聴率も考えれば教えておいてよかろう。

 オーケイが出るのは顔が隠れて見えないスタントだから、探しても見つけられる可能性は低い。


「今やってる戦隊モノって知っているか、河合」

「えっと、弟が観てたはず。確か『三色戦隊トリカラ』だったっけ」

「そう『トリカラ』。それでときどき仕事をしているよ。今は主に映画の仕事にウエイトを持っていかれているから、今探すとすれば『トリカラ』ってことになるかな」


「何話に出ているかっていう情報はないのか。今週とか来週とか」

「スタントは単に演技を指示されて、それを遂行するだけだからなあ。正直第何話かは憶えていないよ」

「つまりコン自身も完成したスタントシーンはチェックしていないのか」


「ああ、過去にこだわると惰性が働いてしまうからな。つねに緊張感を持ってスタントするには、あれが成功だったとかこれじゃダメだとか、余計な情報は入れないほうがいいんだ。と師匠から教わっているな」


 もちろんこれはウソだ。師匠からはスタントした作品はすべて揃えておけと言われ続けている。

 スタントに慣れてきてから振り返れば、どこが未熟だったのかもわかるようになるからと。


「それがスタントマンの心得ってことなのか」

「中には、自分のスタントシーンを観てやる気を起こす人もいるんだけどな。俺は違うというだけで」

「そりゃあ俳優でも自分のシーンをチェックする人と、演じるだけで顧みない人がいるらしいしな。たしかともちゃんって自分の演技を観ない人じゃなかったっけ」


 秋川さんが応じる。

「ええ、あの子は演じるだけね。始めのうちは観ていたらしいんだけど、自分の不甲斐なさが目につくようになってからは観なくなったんだって言っていたわ」

「それなら、いつかまた自分の演技をチェックしたくなるレベルに達するまで、時間がかかりそうだよな」


「芸能人なんて多かれ少なかれそんなものでしょう。一般人があれこれ詮索したって、影響力なんてないんだから。どんなに下手でも自分が好きならチェックするわよ。有名なお笑い芸人なんて、自分が出演した番組はすべて録画して保存していることもあるそうだし」





(第9章B2パートへ続きます)

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