第34話 結果(A2パート)ストイックな生活
医師から突然の提案があった。
「学校のほうは診断書があればだいじょうぶなはずです」
秋川さんが答えて、師匠が継いだ。
「スタントは撮影スケジュール次第じゃな。いちおう監督とは話を合わせてから来ているので診断書があれば認めてくれるじゃろう」
「もし認められなかったら、強制的にでも入院させますよ。それに最低一週間であって、確実に止血されて腫れが引き、運動機能が回復するまではスタントなんて許しませんからね」
「ちなみに一週間って受傷してからですか、今からですか」
「建前としては受傷してからだけど、確実性をとれば今から一週間だね」
「俺に怪我を負わせた生徒が停学で謹慎処分を受けています。俺が復学するまでは謹慎期間が延びていくと思うので、早めに戻りたいんですけど」
「運動しないことが大前提なんだけど、受傷後一週間で登校を再開するのはかまわないよ。ただし、運動は一切禁止。軽く走ったり早足をしたりするだけでもダメだ。脳を揺らさないようゆっくりバランスをとりながら歩くんだ。出血がぶり返しかねないからね。だから本来なら強制入院させるんだけど」
「スタントに関しては絶対にさせないよう、わしが監督に釘を差しておこう」
「学校に関しては、私がコンくんを見張っています。同級生なのでつねに観察できますので」
師匠と秋川さんが名乗り出た。これが決まったら公私にわたって観察されることになるわけか。
「おそらくだけど、出血の跡からするとけっこう運動をしていたんじゃないかな。ふらつきや力が入らないなんてことがあったはずなんだけど。あと後頭部だと視力にも影響が出ているはず」
「すべて当たっていますね。やはり運動は厳禁でしたか」
やはり専門医だけあって的を射ている。
「完全な悪手だよ。運動していたのが事実なら、今から一週間の絶対安静が必要かな」
「先ほども言いましたが、ひとりの生徒の今後がかかっています。今から謹慎が一週間延長されると授業も受けられませんし」
「その加害者の今後を慮るのなら、まず被害者である君の今後を考えてもらえるかな」
「コンくんにはあとで授業のノートを渡しますから。安静にするにしても、やることがないと体を動かしかねないだろうし」
「これは判断が分かれるところなんだけど、絶対安静のときは脳の血流自体を穏やかにするべしと主張する医師もいてね。本来なら強制入院させて鎮静剤で血圧の管理もするんだけど。プロのスタントマンなら、自分の体のことは任せられるかもしれない。ただ、受傷後から運動をしていたとなると、やはり強制入院にするべきかも」
「自宅で食べて眠るだけにしておけばいいんですか。それならやれなくはありませんが」
「コン先輩、絶対に安静にしていられますか。なんでしたら食事の用意くらいはやれますけど」
「ひらりちゃんは早々気安く男性の部屋に来ないほうがいい。マスコミがうるさいからね」
「今だって男性の通院に付き合っていますけど」
「通院は怪我の確認と現場への報告のため、という建前があるだろう。父子二人暮らしの部屋に通うのとは雲泥の差があるよ」
「それじゃあ真夏美さんとマネージャーさんが一緒ならどうですか」
「ひとりじゃなければ特定されるおそれは減るわね。三人のうち誰の用でコンくんの家にお邪魔しているのかわかりづらいだろうし」
マネージャーさんもその案に乗りそうなんだけど、ちょっと危険な雰囲気もする。
「いや、マスコミはどんな状況でもネタになりそうなら捏造するくらいわけない。
師匠がひらりちゃんに答えた。
「そうなんですか」
「当たり前じゃ。奴らも飯のタネを見つけたらあることないこと書くくらいは平気でする。それに対して弁明の機会はまず訪れんぞ。徹底的に追い込まれて芸能界から干すくらいわけない」
そばで話を聞いていた医師が口を挟んできた。
「失礼ですが、そちらの韮沢さんという方は芸能人なのですか」
「えっ、私のことを知らないんですか。コン先輩以来ですね」
「先生、このことはご内密に願えますか」
「患者さんの治療にも協力してもらえるのでしたら」
ベッドに腰掛けている四人が顔を見合わせてひそひそ話をしている。
「わかりました。コン先輩の治療に協力致します。ですので私の正体は伏せておいてください。実は私、俳優の韮沢ともって言います。本名は違うんですけど」
「韮沢ともさんですか。やはり知らないなあ」
「やっぱり世間の認知度ってその程度なんですね。これから売れてやろうって野望も湧いてきますけど」
「いえいえ、こちらがアイドルに疎いだけですよ。テレビをまったく観ない生活ですので。非番の日はジムとサウナで汗を流して、自炊して寝るだけの生活だから」
「娯楽はなにもしないんですか」
「まず遊ばないなあ。同僚にはゴルフをやっている先生もいるんだけど。お酒好きな先生もいてね。僕はまったく飲まないから。飲んだ後に緊急手術が入ったら大変だからね」
「ストイックなんですね。医師を中心にして生活なさっているんですか」
「そんなことを言ったらコン先輩もストイックじゃないですか。スタント中心の生活なんですから」
「俺はまだまだ及ばないよ。高校に通って生徒もしているし、アルコールは飲めない年齢なんだし。飲める年頃になっても飲むつもりはないけどね。いつオートバイや自動車のスタントが入るかわからないから」
確かに高校を卒業したら、この医師くらいにはストイックにならないといけないんだろうな。それがプロ意識というものだろう。
ミスが許されない現場で、可能なかぎり見栄えのするスタントをする。そして絶対に失敗しない演技を見せなければならない。そのために日頃からたゆまぬ努力を続けている。
この医師の生活スタイルはまさに理想とし見習うべき点だろう。
だからこそ、この医師の期待は裏切りたくなかった。後藤には悪いが、医師の言うように強制入院したほうがいいのか。
「お父さんがいるようだから、管理を任せてもいいんだけど。もちろん吐き気やめまいやふらつき、視聴覚に影響が出たらすぐにここに来てほしい。お父さんは忙しいのかい」
「はい、重い役職に就いているので、俺の怪我程度では休めませんね」
「それじゃあ強制入院ということでいいかな」
トントン拍子で話が決まりそうになったところで師匠が返した。
「わしがコンの家に泊まって監視するとしよう。この役を韮沢さんやそのマネージャーさん、秋川さんに任せると、あとでどんなゴシップ記事になるかわからんからな。わしは老人だし、こう見えてコンの師匠だから、一緒にいても誰も疑わんじゃろう」
師匠は診断書を二通作ってもらうよう医師に頼んだ。
今日から当面は師匠と同居か。これは隠れて運動するわけにもいかなくなるな。今は一週間でも一か月でも、完璧に治るまでは安静にしているしかないのだが。
(第9章B1パートへ続きます)
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