第31話 検査(B1パート)精密検査

 コンの住むマンションの前でワゴン車が停まった。

「ここです、松田先生」


 は松田先生とひらりを連れてマンションの入口にあるインターホンを押して、コンの部屋を呼び出した。


「コンくんいらっしゃいますか。秋川です。松田先生にもお越しいただきました」

 すると背後から何者かが近寄ってきた。

「あれ、師匠、どうしてここに」


 現れたのはコンくんだった。

「どうしてじゃないわよ。なぜ家で安静にしていないの。それじゃあいつまで経っても復帰できないわよ」

「週末には現場復帰だからね。体をほぐしてきただけだよ」


 松田先生が歩み出た。

「それじゃがな、コン。今すぐに精密検査を受けてもらうぞ。撮影復帰はそれ次第じゃ。これが監督の指示になる」

 コンくんは監督の指示書を何度も確認すると、吐息を漏らしながら後頭部を掻いている。


「まいったな。俺が今週末に復帰しないと後藤の謹慎が解かれないんだけど。秋川さんやひらりちゃんはそれでいいわけ」

「すべては結果責任よ。あなたが後藤くんのために無理をして、スタントで大怪我を負ったら、後藤くんはさらに苦しめられると思うんだけど」

「しかし、とくに不調が強いわけじゃないんだけどなあ」


 それまでのコンくんの動きを確認したのか、松田先生が口を開く。

「コン、お前ふらついているだろう。隠していたってわしにはわかる。天性のバランス感覚でふらついていないように見せているだけじゃ。それと、視力が落ちているだろう。初見でわしを認識できなかったし、今書面を読むときもいつもより手前に持っていたからな」

 さすがスタントの師匠だけのことはある。人を見る目は確かだ。


「そういうことなら、師匠と一緒に病院に行ってきますよ。ちなみに師匠は俺の怪我がどのくらいで治ると見ていますか」

のうしんとうはやっかいじゃからな。ほとんど後遺症が出ない場合もあるし、即死する人もいる。お前は否定するが、少なくとも後遺症が出ているのは間違いない。それが消えるまで絶対安静にしていれば、それだけ回復は早まるはずじゃ。拳法の練習なんぞその後に始めてもさして錆びつくもんじゃない。今必要なのは絶対安静じゃぞ、コン」


「それじゃあタクシーを拾って病院へ行きましょうか、師匠」

 どうやら松田先生の説得に応じたようだ。

「それならうちの車を使いますか。ワゴン車だから七人は乗れるんだけど」

 ひらりのマネージャーが声をかけてくれた。


「でも、そうするとひらりちゃんや秋川さんを長時間拘束することになるからなあ」

「それはだいじょうぶです、コン先輩。どうせ撮影をしていたら遅い時間に帰宅するのはよくあることですので」

「ということは、秋川さんも同様か」

 コンくんはちらりと真夏美の様子をうかがってくる。


「そのとおり。私もひらりもあなたの現状を確認しておきたいのよ。きちんと快方に向かっているのなら、垂水たるみ先生にも説明できるから」


「わかったよ。じゃあシャワーを浴びてからでいいかな」

「いいえ、今すぐ行きましょう。私たちの帰宅時間を考慮しているのなら、手間取らせないでくれるかな。じゃあマネージャーさん、車をまわしてくれますか」

 了解と告げたマネージャーが急いでワゴン車へ戻っていく。




 コンくんが精密検査を始めてから、控室で松田先生とひらりと彼女のマネージャーと一緒に待つことになった。

「ハイティーンのスタントマンは絶対数が少ないんじゃ。だからコンの代えはなかなかきかない。もしコンがスタントを廃業することになったら、多くの作品が対応を迫られるじゃろうな」


「お師匠様、そんなにコン先輩って貴重な人材なんですか」

「ああ、とくにハイティーンの俳優は掃いて捨てるほどいる。にらさわさんには悪いんじゃけどな。アイドル俳優目当てでドラマや映画を観る人が多いから。だから芸能界も見た目重視で人選している。でもスタントは高額で危険を引き受けて、苦労して演技しても顔が写るわけじゃない。知名度は雲泥の差であることは言うまでもないな」


 確かにもひらりも、本人からスタントマンだと言われるまで、その存在を知らなかったくらいだ。とくに抜群の記憶力を誇るひらりも知らないというのは相当なものだろう。

 それだけコンくんの隠し方がうまかったのか、視聴者が注意して観ていなかったのか。とにかく、ハイティーンのスタントマンが少ないのであれば、存在が失われてしまうと、ドラマや映画の界隈は立ち行かなくなるはずだ。


 もしコンくんがスタントからの引退を余儀なくされたら、ドラマ界・映画界には計り知れない損害を与えてしまいかねない。

 もちろん代わりとなるスタントマンを用意できたら話は別だが、現状ハイティーンのスタントマンはほとんどいないらしい。ということはまったくいないわけではないのだろうが、もしひとりしかいないのであれば、一対一のバトルシーンを撮影したい場合、相手役がいなくなるということでもある。


 アイドル俳優に相手をさせるのも一手だろうが、怪我をする覚悟をもってバトルの相手役を引き受けたがるアイドル俳優はまずいないだろう。

 そんなリスクを負ってまで自ら殺陣をする必然性がないからだ。だからこそ、コンくんがスタントマンをしている特異性が見て取れる。


「コンくんが症状を隠す可能性はどのくらいありますか」

「医師には何例も治験があるじゃろうし、症状を隠されても見抜けるとは思うな。ふらつきと視力の低下は同じ部位おそらく後頭部の影響だろう。裂傷がかさぶたになっていたから針はとられているはず。であれば打撲傷ということで湿布を貼るなり消炎鎮痛薬を塗ったりして腫れが引けば全快する可能性もあるんだが」


「それにしても、のうしんとうがこれほどまでに恐ろしいとは思いませんでした。私の師匠からも、確実に相手の意識を刈り取るための攻撃を伝授されています。具体的には当て身であったり脳震盪を起こさせたり、ですが」


「武術で意図的に脳震盪を起こさせる程度なら回復は早いんじゃよ。軽く揺さぶられただけじゃからな。今回のコンは頭部を強打して外傷もあるくらい打撃力が段違いなんじゃ。だから経過観察もしっかりと行って、後遺症の有無を確認していく必要がある。最初の一週間や一か月間は集中して観察するが、ある程度回復すれば、不調が現れたときに再検査となることが多いな」


 真夏美はためらいながらも、あることが気になった。

「実はコンくんに怪我を負わせたのが、私と同い年でひらりのボディーガードをともに務めている後藤くんなんですけど。もし精密検査でなにか異常が出たら、停学による謹慎処分が長引く、なんてことはないですよね」


「わしは学校関係者じゃないからな。詳しいことはわからん。ただ、一般論で言うなら、加害者は被害者の傷に責任を負わねばならん。被害者が元の生活に戻ってから、加害者は復帰するべきじゃ。そうでなければ怪我をさせた者勝ちの状況が生まれてしまうからな」





(第8章B2パートへ続きます)

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