第30話 検査(A2パート)命懸けに見えるスタント
組んだ腕をほどかずに松田先生が口を開いた。
「さすがにまずい状態じゃな。今日にでも精密検査を受けさせたほうがいい。規定は一週間じゃが、なにもなければ一週間様子を見るということであって、不調がわかったら即座に受診するべきなんじゃよ。コンが受け入れるか、という問題もあるがな」
「私とひらりで説得してみます。それによりアクションの撮影日がズレ込むおそれもありますが、コンくんは業界の宝なんですよね。であれば、完治するまで後ろ倒しできますよね」
腕をさらにきつく組んだ師匠は告げた。
「映画の撮影はスケジュールと予算が決まっておる。リミットまではまだあるとして、コンがタイトな日程でスタントをこなさなければならなくなる。そもそも今回のように現役高校生のスタントインが求められているから、日程が間に合わなくなったら今回の映画はお蔵入り、なんてこともあるんじゃ。その場合、コンにも賠償責任が及ぶ可能性がある」
「その場合、いくらくらい請求されるのでしょうか」
「一度契約したらそう簡単には降りられないからな。傷害事件に巻き込まれたという事情を考慮しても、数千万円はいくじゃろう。加害者にある程度請求がまわるはずじゃが。加害者の生徒はどのくらいまで出せそうなのかな」
「後藤くんのうちは裕福ではないので、数十万ならなんとかって感じだと思います」
「撮影以外での怪我は労災認定されないし、たいへんな賠償を請求されるかもしれんな」
「それでコンくんは芸能界から干されるんですか」
「いや、スタントとして稀少な存在であることに変わりはない。契約額が減らされることはあっても、完全に干される心配は要らないだろう」
それを聞いてひと安心したが、
「それでは明日にでもコンくんと養護教諭の方に再検査をお願いしてみます。アクション指導の松田先生の判断だ、ということでよろしいでしょうか」
「うむ、それがよかろう。実際にはふらついているのに天性のバランス感覚でカバーしている状態は異常じゃからな。おそらく一時的なものじゃろうが。それが事実なら、危険度の高いスタントシーンは致命傷になりかねん。まずはふらつきもなくなり、視力も戻ってからじゃな。リュウもなんでもない撮影で怪我をして、その傷が癒える前に危険度の高いスタントに挑んだために取り返しのつかない結果を招いたのじゃよ」
「コン先輩もこのままだと致命傷を負いかねない、と」
「スタントはただでさえ危険なのじゃから、体が自在に動かせなければ失敗して大怪我をするのが道理じゃ」
「私、ちょっと監督さんと話し合ってきます」
今後のスケジュールを調整してもらおうと、お師匠さんのもとから離れようとした。
「それならわしも行こう。アクション撮影に詳しい者がいかなければ説得もできまいて」
ひらりをその場に残すわけにもいかず、結局三人で交渉に向かった。
「監督さん、コンくんを急いで精密検査する必要がありそうです。場合によっては今週末のスタント撮影が延びるかもしれません」
「どういうことだい」
松田先生が監督さんへ事の次第を明らかにしていく。
「なるほど。バランス感覚と視力に影響が出ている可能性があるのですか、松田先生」
「さよう。今の状態で今週末を待っても、それまでに改善する可能性は低い。今は一刻も早く精密検査を受けさせて、しっかりと絶対安静をとってもらうべきじゃ」
「ですが、撮影スケジュールを後送りしても、それはそれで事故を誘発しかねないのではありませんか」
「冷静に考えてみるのじゃな、監督。もし今のままでスタント撮影に入ったとして、満足な演技もできず失敗も増える。それでは本末転倒じゃないのかな。しっかりと治りさえすれば、コンのこと、きっと誰もが満足するレベルでスタントできるはずじゃ」
監督は台本とスケジュール帳をにらめっこしている。
もしコンくんの撮影に入れなければ、完成時期は遅れてしまう。しかし、今無理にスタントさせて事故でも起こしたら、作品それ自体がお蔵入りする可能性もある。
目先の完成時期を気にしすぎると、最悪の結果を迎えるかもしれない。
「もしコンくんが無理を押してスタント撮影し、重大な事故が起こったとしたら、どうなりますか。労災保険に入っているでしょうからコンくんはだいじょうぶかもしれません。しかし、この映画にケチが付き、撮影禁止や公開禁止になったら元も子もありませんよね。監督さんとしても公開禁止は避けたいところではないですか」
「秋川さんの言うとおりじゃ。いつものコンなら万が一の事故だが、今の状態では二が一かもしれんぞ。無理を押させることでかえって監督を悩ませる事態が発生するじゃろう。そもそも今回の映画はコンありきなのだから、コンの代えはきかんはず。であれば俳優よりもコンを優先するべきなのは言わずもがなじゃ」
コンくんの師匠だけあって、松田先生はひじょうに冷静な物腰だ。
スタントが命がけではダメなのだ。命がけに見えるような演技をするのがスタントの仕事である。
役者でも、死ぬ役で本当に死ぬ俳優はいない。死ぬ演技が迫真だからこそ俳優の評価が高まる。
スタントもひと目見て大怪我につながりそうな状況でも、最大限の安全を確保しつつ失敗したら大怪我や死ぬのではと思わせる演技をするのが仕事だ。そういう意味ではスタントも立派な俳優である。だが、演技に身命がかかっているので、普通の俳優とは自己管理のレベルが段違いだろう。
「わかりました。それでは私がコンへただちに精密検査を受けるよう手紙を書きます。それをコンに渡してください。松田先生の説得ならコンも素直に聞くでしょう。そしてコンが確実に元通りになったことを確認してからスタントを撮影します。その方針はこれからキャストとスタッフに周知させます。この映画はコンありきで構想していたので、彼が怪我を治してからでないとスタントシーンは撮れないと。それ以外の撮影を先に進めます。それでよろしいですか、松田先生」
松田先生は大きく頷いている。
「うむ、それがよかろうて。じゃあすぐに手紙を書いて説明を始めるのじゃな。コンに一刻も早く精密検査を受けさせれば、それだけ復帰も早まる可能性が高い」
監督はアシスタントを呼ぶと、まずスタッフを全員監督の控室へ集めさせる。
「それでは松田先生、今から撮影方針をしたためますので、しばしお待ちください。問題はコンの住所ですな。最近引っ越したばかりで案内できるスタッフがおりません。スマートフォンのナビ機能で案内してもらう手もありますが」
監督さんはパソコンに文章を打ち込んでいく。考えながら文面を書いているはずなのに、淀みがない。すぐに書面が完成したのか、プリンタが稼働して印刷を開始した。
「あ、それでしたら問題ありません。私が案内できます。
「松田先生、よろしいですか」
監督さんは印刷された文面を二度三度読み返す。
「わしはかまわんよ。説得は早めにしたほうがいいじゃろうしな」
「それじゃあともちゃんのボディーガードさんにお任せしよう。このプリントを彼に見せてほしい。復帰には精密検査で異常なしの診断書をもってすることにしました」
プリントは監督が念押ししながら読んでから松田先生へ手渡された。
「では、コンの住所まで案内を頼むよ。ともちゃんも一緒に来なさい」
はい、とひらりが答えて、マネージャーさんに荷物をまとめさせた。
(第8章B1パートへ続きます)
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