第8章 検査

第29話 検査(A1パート)不穏の前兆

 ひらりと松田先生のもとへ戻ってきたに、監督とプロデューサーが待ち受けていた。


「助かったよ。これで撮影スケジュールを守れそうだ。いくら空手を習っていても、しょせんは実戦を経験していないからね。ともちゃんのボディーガードを務めているだけあって、経験とスキルが段違いだったよ」

「ありがとうございます。コンくんのお師匠さんはどう見ていましたか」


「当然君が勝つと予想しておったよ。君が相当の使い手だとわかっていたからね」

「ありがとうございます。アクションシーンの撮影はコンくんが戻り次第って話だったはずですが、なぜお師匠さんがいらっしゃったのですか」

 こちらの問いかけにひと呼吸置いて答えてくれた。


「なに、コンが大怪我をしたと聞いてな。どんな難しいスタントをこなしたのかと気になったんじゃ。コンの父親も撮影中の大怪我がもとでスタントを引退しておるからのお」

「コンくんのお父さんもスタントマンだったとは聞いていましたが。確かコンくんの最初の師匠ってお父さんだったはずですよね。まだお父さんが現役の頃から仕込まれていたとか」


「ほう、よく話を聞いているようじゃな。そう、父親も業界一の実力を誇っていてな。アクションが売りの映画やドラマからは引く手数多だったよ。鍛えた私も鼻が高かったな」


「そんなにですか。じゃあ私たちも名前を聞いたことがあるかも」

 ひらりは目を輝かせながら尋ねている。


「そうじゃな。今となっては伝説だが。アクションアクター名は田沼龍一だ。現場では〝リュウ〟と呼ばれていたな」

「〝リュウ〟ですか。もしかしてコンくんが龍拳を使えるのもその影響ですか」


「そういうことにしておこうか。そのほうがドラマチックじゃしな」

 聞き手のウケを考えながらの発言か。これが芸能界で長年アクションに携わっている要因かもしれない。誰しも耳当たりの良い発言を聞かされたら悪い気はしないものだ。

「じゃあスタントされていた俳優さんって〝ケン〟さんだったりしないですよね」


「どうじゃったかな。かなりの数をこなしていたから、〝ケン〟もいたかもしれんな。それがなにか関係があるのかな」

「いえ、純粋に興味があっただけです。スタント業界って初めて聞く世界ですから」


「スタントは一昔前では当たり前の存在だったんだが、今はなんでも特殊撮影技術とやらにとって代わられつつある。しかし本物を求める監督さんもまだ多いから、今はまだ需要があるな。そのうち廃れるかもしれんが、CGよりも低予算でより本物に見えるうちはスタントも必要なはずじゃ」


「ということは、コンくんってそのうち仕事がなくなるかもってことですか」

「それは否定できんな。じゃがコンの実力からすれば当分は安泰じゃろう」

 なるほど。CGよりも安くて本物であればスタント業はまだ必要ということか。そうなるとコンの父親であるリュウさんのことも気になる。


「コンくんのお父さんであるリュウさんについてお聞きしてもよろしいですか」

「リュウは父親、つまりコンの祖父と私に鍛えられて、彼の父親とともに経営したスタント塾に通ってスタントインの機会をうかがっていたんじゃ。そしてちょうどよいタイミングでアクション映画の撮影が決まり、主人公と背格好の似たリュウが選ばれたのじゃよ。そこからの快進撃はまさに見事じゃった。あらゆる映画やドラマがスタントとしてリュウを必要とした。当時はスタント全盛の時代じゃったからな」

 なるほど、コンくんの父親はアクション全盛期に華々しく活躍していたと。


「そういえば聞いたことがあります。確か『世界は遠くを照らしている』ってアクション映画で田沼龍一って名前をクレジットで見た憶えが」

「ほう、古い作品なのによく憶えておるな」

「俳優になるために、これだけは観ておけっていう名作を渡されて、それを観まくっていました」


「それでリュウの名前を知ったわけか。抜群の記憶力じゃな」

「はい、こう見えて記憶力には自信があるんですよ」

 ひらりの記憶力は凄まじい。憶えるつもりで見たものは高確率で憶えているものだ。それ以外でも思いがけないものを憶えているのを知っている。その記憶力で指名手配犯を見つけて表彰されたこともある。


「それでもコンとは学校で知り合うまでは気づかなかったわけか」

「すみません。最近の映画やドラマは少ししか観ていなくて」

「いや、コンのスタントは確立している。顔が写るようなスタントはしないからな。今はスタントインする役者に似せた特殊メイクも施すし、まずバレんはずじゃよ」


 その言葉にひらりは安堵したようだ。

「でしたら、私が知らなくても当然ってことですね。後日でかまわないんですけど、コン先輩が出演している映画を教えていただけませんか。普段どんなスタントをしているのか確認したいんですけど」

「それならコンから直接聞くべきじゃな。わしはアクション指導で入った作品しか知らん。コンはすべて知っているだろうからな。うまくすれば、DVDやブルーレイディスクを貸してもらえるかもしれないぞ」

「でも、コンくんってスタントをあまり気にしていないようだったから、残っているかな」


「お嬢さん、そこはだいじょうぶだ。わしが、スタントインした作品はすべて持っておけ、と指示したからな。いつでも振り返って問題点を洗い出すのに役立つ。コンはスタントの腕前は業界随一じゃろうが、じゃからこそ些細なミスも許さない鋼鉄の意志を持っておるからな」


「鋼鉄の意志ですか。でも体は生身の人間なんですよね」

「なにか不安な要素があるのかな」

 これを言うのは憚られる。最悪の場合、後藤くんが退学になるかもしれないからだ。


「いえ、不安というか、ちょっと目についたところなんですけど。どうもまっすぐ歩けていないような気がします。おそらくバランス感覚で微修正しながら歩いているとは思うのですが」

「まっすぐ歩けていない、か。それはのうしんとうの後遺症でよく見られる症状じゃな」

「あと、若干ですが視力にも影響がありそうです」


「具体的にはどのような程度かわかるかな」

「えっと、私やひらりがコンくんに会いに行くと、こちらを見つける距離が縮んだような気がするんです。今日なんかも、拳法の型を練習しているときに、こちらを発見するのが遅れたようなんです。あと、踏み込みや突き込みなどで多少のふらつきを見ています」


 松田先生は腕を組んで考え始めたようだ。





(第8章A2パートへ続きます)

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