第15話 アクション(B1パート)スタントマン
「あれ、秋川さんにひらりちゃん。こんなところでなにしているの」
ひらりちゃんはムッとした表情を浮かべ、秋川さんは右手の甲で額を押さえている。
「コン先輩こそ、こんなところでなにをやっているんですか。昨日の今日ですよ。先輩はまだ怪我も治っていないのに」
確かに昨日の今日だよな。医師からも激しい運動は控えるように念を押されていたっけ。
「俺は先約を優先しただけだよ。明日以降の収録日を調整しようと思って来たんだけど。今日の階段落ちまで先延ばしにすると後が大変だからね。スタントインする俳優さんのスケジュールも考えないといけないし」
「だからって、階段を転げ落ちるなんて無謀すぎます。そもそも階段から落ちて頭を負傷したんですよ」
「だいじょうぶだって。医療班がしっかりチェックしてくれたから。それに、階段落ちはリアルで経験したから、それらしく決められたと思うけど」
「そういう問題じゃありません。打ちどころが悪ければ死んでいたかもしれないんですよ」
「実際、階段落ちのスタントがしっかりとこなせるかどうか。イメージ通りに体が動くかは心配していたんだけどね。大怪我をした恐怖を克服できずに辞めたスタントも数知れず、という業界だからね」
秋川さんは確認するように尋ねてきた。
「じゃあ、今日は本当に階段を落ちただけで、その他にスタントはないのね」
「ああ、そうだよ。これから
当の垂水先生は撮影所の駐車場で待機しているはず。ただ、やはり自分の足で移動できたら、とつい考えてしまう。
十六歳になってすぐに二輪免許を取得し、転校前は自宅と撮影現場の行き帰りはすべてオートバイだった。この現場での初顔合わせもオートバイで来ていたくらいだ。しかし垂水先生から当面はオートバイの運転も中止を言い渡され、今日の現場との行き帰りは送ってもらうことになった。
「とりあえず、あなたの勤務日をアシスタントさんにでも聞いてくるわよ」
「ええ、かまいませんよ。いちおうスタント撮影の日を圧縮してもらったから。そのぶん数日で数多くのスタントをこなさないといけなくなったんだけどね」
「というより、そもそもこの映画にスタントって必要なの。アクションがあるといってもそんなに危険はないんだし、俳優さんにやってもらえばいいじゃない」
「危ないことはさせない契約を結んでいるんだよ。自慢の顔や体に傷がついたらタレントの価値が下がるだろう。だからアップの顔だけを撮影して、残りのアクションは俺たちスタントが担っているってわけ」
「じゃあひらりにもスタントが付いているの」
ひらりちゃんも気づいたようだ。
「そういえば、私のスタントをする人はいなかったはずです。ってことは私は自分でやらなきゃダメなのでしょうか、コン先輩」
目に涙をためてうるうるしている。
「いや、ひらりちゃんの役にスタントが必要な危険なシーンはないんだよ。だからスタントの用意はしていないとさっき聞いたけど。スタントが売りのアクションものとはいっても、実際に体を張る人を限定しないと、そもそも演技よりもアクション要素が強い娯楽作品になってしまうからね。それに百五十ない女性のスタントさんも貴重だからね。体操経験者のスタントさんもいるんだけど、そう何人もいるわけじゃないんだ」
「そういえば、あなたの身長と体型と年代はスタントでは稀少だってスタッフさんから聞いたけど」
「誰から聞いたかはわからないけど、つまりそういうこと。やれるのが俺しかいないから、引き受けざるをえないんだ。もし俺がスタントを降りたら、この映画は未完成になって、俺に損害賠償が来る。撮影中の事故なら労災が出るからそれでいくらかの埋め合わせはできるけど。だから監督やプロデューサーとしても、俺を降ろす選択肢はないってこと。降ろせば撮影費用の回収すらできなくなるからね」
「雇用者責任をなんだと思っているのかしら」
スタントはしょせん個人事業主だ。スタント組合には入っているが、契約はそのほとんどがスタントマン本人と撮影側との交渉で決まる。
「だから早々にやらざるをえなかった階段落ちだけは、無理してでも今日中に頼むとお願いされてね。その代わり、他のスタントの撮影は後回しにしてもらったってわけ。後ろにズラすにしても期限はあるんだけど」
秋川さんと話しているところにひらりちゃんが割って入ってきた。
「それにしてもコン先輩。いくら頭を守りながら転げ落ちたとはいえ、あちこちぶつけて痛くないですか」
ひらりちゃんの感じることもわからないではない。自分もスタントマンの修行中に同じ問いが浮かんで師匠に尋ねたことがある。
「痛くないって言ったら嘘になるけど、別に打撲だから骨を折ったりヒビが入ったり、擦りむいたりしなければ、見た目ほどは痛くないんだ」
「そういえばコンくんって全身にあざがあるって看護師さんの話だったけど。しかも新旧入り交じって。学校でいじめられていたのか、お父さんが虐待でもしていたのかって話しになったわね」
秋川さんは昨日聞いた話を思い出したようだ。
「これは全部スタントとその練習で作ったあざだよ。こう見えて中国拳法の少林拳も習っているから、ケンカでは負けたことがないからね。ケンカよりもスタントの練習のほうが怪我をする回数も断然多いよ」
「そんなに危険なの」
「危険は練習中だけ。本番はマットを敷いたり命綱を付けたりと安全配慮はしっかりしているから」
現場にいるせいか、悠一も気を張らずに自然体の笑顔が浮かぶ。
「さすがコン、って監督さんに言わせるくらい、業界では信頼されているのかな」
「白鳥が水面下で必死になって足を動かしているようなものだね」
「目に見えないところで努力しているってことか。それでブランコから手すりに飛び移ろうなんて練習をしていたわけね」
「撮影が本格的に進めば、あれよりも難度の高いスタントも必要になるからね」
悠一は淡々と述べていく。
(第4章B2パートへ続きます)
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