第12話 病院(B2パート)応急処置

「今画像を処理していますので、しばらくこちらでお待ちください。もし気持ち悪いとか吐きそうだとかめまいが強いとか、異変を感じたらすぐに知らせてくださいね」


 ゆういちは素直に答えた。

「ありがとうございます。打ちどころが悪かっただけですから、このくらいどうってことないんですけど」

「脳への外傷は甘く見ちゃダメですよ。どんなに浅く見える怪我も致命傷にならないとも限らないの。いつ死ぬかわからないんですから」

 看護師に連れられて、垂水先生と秋川さんとひらりちゃんが駆けつけた。


 顔を見た瞬間、垂水先生が尋ねてきた。

「看護師さんから聞いたんだけど。コンくん、あなた全身にあざがあるそうね。学校でのいじめじゃないかとか、父親からの虐待じゃないかとか。いろいろ聞かれたんだけど」

「僕のアルバイトは学校側が把握していますよね。それに関係しているんです。僕がもっとうまければ、怪我なんてしないんですが」

「あなたのアルバイトについて、私は聞いていないんだけど、そんなに危険なところなの」

 秋川さんが問いかけてきた。


「秋川さん、危険は現場サイドで極力排除してあるから。そのうえでのことだから、やはり僕の腕が悪いとしか言いようがないな」

「じゃあ、いじめや虐待はされていないのね」

「ええ。こう見えて中国拳法を習っているので、仮にいじめに来たらやり返すよ」

 悠一は右の二の腕に力こぶを出してみせた。


「それじゃあ後藤くんが階段に投げつけたときもなんとかできたのかな」

「無理だね。胸ぐらを掴まれて力任せに投げ捨てられたから。いくら空中感覚がよくても、いったんなにかにぶつかるまではどうすることもできない。猫じゃないし、空中で動いて受け身がとれるなんてことはできないんだ」


「今、後藤くんが警察から事情を聞かれています。終わり次第こちらに戻るでしょうから、検査結果を聞くのはそれ以降のほうがよいでしょうね」

 垂水先生は加害者である後藤が戻るのを待ちたいらしい。悠一は右手で頭を押さえながら打算した。


「いえ、結果がわかり次第説明を聞きたいです。それによって仕事のスケジュールにも影響が出てきますから。今の現場は始めたばかりですから、すぐに休むのも気が引けるんですよね」

「でも結果によってはドクターストップをかけてもらいますからね。命にかかわるおそれもあります」


「仕事でもないところで負傷したら、労災も申請できませんからね」

「そんなに危険な仕事なの」

 失敗したら労災が下りるくらいの危険な仕事とはなんなのか。秋川さんもひらりちゃんも問いたげな表情だ。


「先ほども言いましたが、仕事自体は安全配慮がされたうえでなので危険じゃないんだよ。度胸は要るけどね」

「度胸ね。巨漢の後藤くんから威圧されても動じなかったのは、度胸があったからなのね」


「殴られるくらいならかまいませんよ。すぐに殴り返せばいいので。今回のようにまさかいきなり捕まえられて投げ捨てられるとは思わなかったんですけどね」

 右手で再び頭を掻こうとした悠一は、触れただけでも痛みを感じてすぐに手を離した。


「やはり痛むわよね。まだ打ち付けてから数時間しか経っていないし」

 救命医師が口を挟んできた。

「頭部に裂傷があるから、検査終了後に処置する予定だったからね。結果が出るまでもうちょっと辛抱してね」


「頭皮が裂けているの。かなりの重傷じゃない」

 真夏美が怖怖といった言葉を漏らした。

「裂けたくらいなら今は簡単に処置できるんですよ。ただ金属を使うので検査が終わってからでないとできないんだけどね」

「ずいぶん詳しいわね」

「先輩が頭部裂傷を負ったときに付き添いましたから、だいたいの処置もわかりますよ」


 救命医師が看護師からファイルを受け取ると、コンピュータを操作して画像を確認していく。


「坤くん、これが君の頭部のレントゲンだ。幸い骨は折れていないし陥没もない。骨自体は綺麗なものだね。CTの画像を見ても気になる外傷は見当たらない。MRIを見ても、脳に大きな損傷は見られない。ただ、後頭部にやや血が溜まっているような印象を受けるけど、このくらいならそれほど問題はないでしょう。この写真を見ただけで安心はできないけどね。脳は写らなくて見えていないだけで大きな損傷があった、なんてよくあるんだ。だから、頭部の裂傷の事後処置が終わるまで、当分は静養するように。通学も控えるんだ」

 医師の判断には不満を感じさせるをえない。


「俺、仕事があるんですけど、そちらには出てもいいですか」

「どんな仕事なのかな」

「撮影現場で働いています」

「ということ、君は芸能人なのかい」

「いえ、ただそういう現場で働いているだけです」


「エキストラやスタッフといったところか。傷口が開くようなことをしなければ、という条件をつけさせてもらうけど」

 悠一は肩から力を抜いて深くため息をついた。


「ただし、少しでも異変を感じたらすぐに静養すること。そしてもう一度検査に来なさい。頭部の強打は今だいじょうぶでも、後日なにがあるかわからないからね」

「それでよければ受け入れます」

「わかった。とりあえず車椅子を貸し出そうか。救急対応だからちょっと割増料金になるんだけど」

「いえ、うちのマンションはエレベーターが付いていますが、学校にはないのであまり意味がありません。歩いて帰れるようなら車椅子がなくても問題ありませんので」

「秘密だけど、学校にもエレベーターはあるんです。必要なら車椅子を借りてかまわないわよ」

「そこまで大げさにするほどのことでもありませんし」


 医師が椅子から立ち上がった。

「じゃあ廊下を歩いてもらえるかな。その姿を確認して、脳のダメージを確認したいんだけど」

「かまいませんよ。すぐにやりましょう」

 そういうと、悠一は医師とともに廊下にでて、端から端まで歩いてみせた。


「若干ふらつきはあるようだけど、頭部強打から時間もあまりないし、この程度なら問題はないかもしれないね。ただ、まっすぐ歩けなかったりめまいが出たり吐き気がしたりしたらすぐに歩くのを止めて救急車を呼んでくれていい。その際はうちの病院を指定するように」


 垂水先生が答える。

「帰りは私の自動車で自宅まで送りますのでだいじょうぶだと思います。問題は帰ってから翌日登校するまでの間ですが、なにかあればおっしゃるように救急車を呼んでもらいます」


「それじゃあ傷を縫合しようか。看護師さん、スキンステープラーを取ってください」

 やはりこれか。縫い目もほとんど残らないし処置も簡単で痛みも少ないから、頭部裂傷にはスキンステープラーをよく使うのだ。


「女性の方々は退室いただいて結構ですよ。本人に痛みはほとんどありませんが、見ている側にはショッキングな映像なので」

「どうしますか。秋川さんとひるさわさんは廊下に出ていていいですよ」


 秋川さんとひらりちゃんは顔を見合わせて揃って頷いた。

「処置も見届けさせてください」

 ふたりとも肝が据わっているな。さすがに引く映像だと思うんだけどな。


 傷口の消毒が済むと、スキンステープラーの針を八発打ち込んで裂傷を縫合される。そして化膿止めの軟膏を塗ったガーゼを当てて頭部にネット状の包帯をかぶらされた。

「これでよし、と。それじゃあ異変を感じたらすぐに再診に来ること。あと傷口がかさぶたになったら針を抜くから、そのときもうちにくるように。今日は退室していいよ。お疲れさん」

「ありがとうございました」

 悠一は垂水たるみ先生と秋川さんとひらりちゃんとともに救命医師に返答しながら一礼し、扉から廊下へ出た。


 眼の前のソファから立ち上がった後藤が刑事と思しき男女三名に付き添われながら深く一礼して謝罪の言葉を口にした。

ひつじさるくん、このたびは申し訳ありませんでした」

 これで後藤は態度が改まるだろう。そもそも親衛隊なんて必要ない存在なんだということに気づいてほしいところだが。

「後藤くんは短慮なようだから、もう少し自制心を持ってください。今後気をつけていただけますか」

 後藤に言葉を投げかけた。


「はい、今後二度と同じようなことは起こしません。誓います」

「誓わなくても、心がけてくれればいいですよ」

 秋川さんがそのあとを継いだ。


「ごめんなさいね、コンくん。私が教室で無視したばかりにこんなことが起きるなんて。まったく思いもよりませんでした」

 深々と礼をして謝罪の意志を示している。


「いいですって。誰にだって都合がありますから。秋川さんは学校で他人を寄せつけたくないってことなんでしょう」

「ひらりの身辺を守る必要があって。この子アイドルだから言い寄ってくる生徒が多いのよ。スキャンダルを恐れた事務所から、幼馴染みの私と後藤くんが身辺警護を依頼されていたんです。それ自体は学園公認でした」


ひるさわさんだけじゃなく、他の芸能人生徒にも誰かしら護衛がついていますよ。ただ、今回のような事件が起こるとは思いませんでしたが」

 垂水先生の説明を聞いて、後藤が再び腰を折った。


「反省しています。申し訳ありませんでした」

 これは対処に困るな。

 学園側としては所属している芸能人にスキャンダルが起きないような仕組みを売りにしているはず。

 それなのに芸能人を守るべき護衛役がスキャンダルを起こしたとあっては、尻込みする事務所も出てくるだろう。最悪転校されるかもしれない。

 それでは学園としてのステータスにもかかわってくるはずだ。





(第4章A1パートへ続きます)

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